「私」の記憶、風景の記憶
社会が停止してしばし切れ目が生まれ、のち「新しい生活」という概念により癒着させられた。断面には多くのものが呑み込まれてぽっこり盛り上がり、いずれこの傷口が癒えるとしても、しこりが消えることはない、という気がする。「以前」とはどのようなものだったか。その記憶とこの生活とが連続したものだという実感に揺らぎを覚えるのは、私だけだろうか。「私」という同一性を下支えしているのは、私の記憶にほかならない。ゆえにこの傷は「私」の確かさが負った傷だ。
断片の連結から都度生成される私たちの内的な記憶とは異なり、場所の持つ記憶は、線的な時間軸に沿って積み重なる。つまり、その場所がどのように形成されてきたかについては、地層のように物理的に残された履歴の確実性がある。
路上観察の手法とは、背景と化したその小さなログの表出を見出しては、名付け、記録し、類型化して収集するものだった。関東大震災の後の今和次郎の活動や、バブル期の急激な都市開発から生まれた路上観察学会を想えば、それらは、なんらかの社会変革により傷を負った「私」が、場所の持つ外的記憶を頼りに、新しく自らを紡ぐ応答の実践だったのではないかと感じられる。
場所を眺めること──風景にこそ、「私」という主体の存続の鍵があると考えるのは、博物館等の相次ぐ自粛休館の直前に目にした、京都文化博物館での《BEACON 2020》の提示した問題系による。
BEACON:風景は抵抗する
「BEACON」(*1)とはターンテーブルに乗せたカメラで撮影した、ある場所の360度の映像を、撮影時と同速度でプロジェクターを回転させながら展示室全体に投影するシステムである。灯台のごとく回転する投影光によって、潜在的な風景が闇から徐々に染み出しては、また沈んでいくような効果を生み、そこに潜む言い難い不穏さを炙り出すと同時に、とらえどころのない私たちの記憶のありようを示唆する。
ある室内で別の場所を体験するという点では、昨今取り沙汰されるヴァーチャル・トラベルを先取りするかのようでもあるが、BEACONの対象とする風景は一貫して、なんの「映え」要素もないありふれた日常の景色である。
今回の《BEACON 2020》は、京都文化博物館という「京都」という表象生成の中核を担う機関での発表となり、これまでの匿名的風景を扱う態度よりも踏み込んで、「もうひとつの京都」の隠された側面の抽出を試みた。それは特に、プロジェクトメンバーのうち京都出身の哲学者・吉岡洋の幼少期の記憶に由来する「軍都としての京都」という顔だ。
観光客で賑わう京都駅八条口(*2)や梅小路公園、深草の何気ない街頭、煉瓦造りの聖母女学院の建築(*3)──いわゆる「京都」らしさからはこぼれる光景ではあるが、日常を映した映像からは、それらの場所と日本近代戦争史との結びつきを即座に感じ取れるわけではない。
「グンドー(軍道)」や「レンページョー(練兵場)」と呼び親しんだ地名の意味、米軍の機密文書公開により明らかになった梅小路機関車庫への原爆投下計画、吉岡は大人になってそれらの歴史を知ったときに「それまでの自分が一種の記憶喪失に陥っていたかのように感じた」と記す(*4)。
《BEACON 2020》の示した命題とは、風景は「沈黙する記憶装置」であり、いかなる記憶の抹消にも「抵抗する」というものだった。潜んだ記憶を象徴するように、日常の景色の上にしばしの間だけ戦車の映像のコラージュが幻のように差し込まれる。
記憶の喪失に抗うために、風景に目を凝らす。さらには、今まで見慣れた風景にこそ潜在する、失われた記憶を発見する。「私」の足元が揺らぐとき、路上に足場を置いてよく眺めるように、とBEACONは指し示している。
目を凝らそ:風景の情報を引き出す
《BEACON 2020》の企画を担当した同館学芸員の植田憲司もまた、風景についての関心を継続しており、アーティストの山城大督の主宰するセンサリー・メディア・ラボラトリーとの共同によるプロジェクト「目を凝らそ」をオンラインで展開中だ(*5)。
京都の路上をアーティストらが歩きながら対話した、街を切り取る独自の視点を記録する企画「Walking Dialogue」としてスタートしたが、感染症拡大を踏まえて方法論が変更され、実際にその土地を歩く以外の仕方でどのように路上にアクセスできるかを各アーティストが開発している(「Diogenes with a Camera」)。
それらは例えば、隣り合う二つのラーメン店の間で長らく交わされてきた味の対話を、古代ギリシア風の哲学的思索に託す(田村友一郎「対話篇」)、全共闘のサロンとされたある喫茶店の名物ドーナツを食べた共通の事実から、あるYoutuberと『二十歳の原点』の著者・高野悦子と自身の三者に、位相幾何的なつながりを見出そうとする(遠藤薫「私たちドーナツ、コーヒーカップ、チューブ、ユーチューバーズ」)といった方法。
ウェブサイト全篇に、註釈や補足画像、別サイトへのリンク、Youtube動画の埋め込みなどが入り、歩いたルートがGoogleマイマップ上に示され、インターネット空間のハイパーメディアの特性を巧みに利用して各対話の重層性を説明する。
これらの試みは、物理的にも歴史的にも、路上がいかに情報(履歴)の堆積された場所であるかを、《BEACON 2020》とは別様の方法で露呈させ、その情報過剰性を引き出してみせる。だが路上とは、過剰な情報の結節点であるばかりではなく、実際に訪れることのできる「私」と地続きの場所であると担保されていることも重要な点だ。《BEACON 2020》の映像が、始まりと終わりに実際の展示室を写すことは、「いまここ」から「そこ」への旅を意識させるものだった。情報網の上で路上に出会う「目を凝らそ」においても、マップをズームアウトすれば現在地との距離を確認することができるだろう(それは、いっぽうでは私もまた情報化されていることを指すのだが)。
氾濫する饒舌な情報は「私」の不確かさに拍車をかけ、曖昧な記憶には容易に塗り替えられてしまう危険性もある。路上に立ち返り、まさに変わりゆこうとする風景の、そのなかで沈黙する長い歴史を見つめ直すことはひとつの防御の身ぶりとなるはずだ。
*1──KUSUGI+ANDO(小杉美穂子・安藤泰彦)、伊藤高志、稲垣貴士、吉岡洋の5名による共同制作プロジェクト。1999〜2015年のあいだに、7ヴァージョンの映像インスタレーション作品が展開され、名古屋、東京、京都、岐阜などで発表された。展示構成や対象となる風景の選定において、発表場所との結びつきが重視されるため、同じ作品の再現展示はこれまで実施していない。また発表ごとに、回転式投影システムの構造や機器のアップデートが施され、同一の投影システムが常にヴァージョンを変更されて使用されている。近年のメディア・アート作品の保存にまつわる議論では、「作品」と「システム(機器)」を一致させることが前提となりやすいが、このプロジェクトのような方法について改めて検証が必要であろう。
*2──京都駅の裏玄関である八条口は近年に整備され、多数の観光客の駅南部への導入に成功した京都におけるインバウンド対策の象徴といえるが、《BEACON 2020》の展示が新型コロナ感染症流行の影響により中止された2020年3月初頭の時点では、映された映像の賑わいが早くも過去のものとなり、閑散とした状況となった。
*3──1908年に現在の京都市伏見区に設置された帝国陸軍第十六師団司令部の遺構は、聖母女学院の他、京都教育大学、京都教育大学附属高校等に遺され、「師団街道」「軍人湯」といった名称にその名残を見せる。(参考:京都教育大学 教育資料館 まなびの森ミュージアム「京都・伏見の戦争と師範学校」、2012年
https://www.kyokyo-u.ac.jp/museum/exhibition/2012pamph.pdf 最終閲覧日:2020年6月25日)
*4──吉岡洋「《BEACON 2020》の風景」 『BEACON 2020 Works of BEACON 1999-2020』京都文化博物館発行、2020年、pp.42-51。
*5──https://mewokoraso.jp(最終閲覧日:2020年6月25日)