飯岡陸評 「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」(Takuro Someya Contemporary Art)
身体の表象を軸に、性や人種、人と植物や機械、有機物と無機物などの境界を問う作品を制作する、写真家・細倉真弓の企画による展覧会「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」がTakuro Someya Contemporary Artにて開催された。石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、そして細倉自身が参加し、一人称的な視点とその境界を問いかける本展を、キュレーターの飯岡陸がレビューする。
毛利嘉孝評「藤井光 爆撃の記録」展(原爆の図丸木美術館)
2016年に発表された藤井光の《爆撃の記録》。その別バージョンが、原爆の図丸木美術館で特別企画として展示された。東京都現代美術館での「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展に出品された本作は、東京大空襲の記録をめぐる「規制」を浮き彫りにするものだった。丸木美術館で常設展示されている「原爆の図」と、《爆撃の記録》が同じ場所で展示されることから見える問題提起とは。社会学者の毛利嘉孝が論じる。
黒沢聖覇評 AKI INOMATA「貨幣の記憶」展(MAHO KUBOTA GALLERY)
MAHO KUBOTA GALLERY(東京・神宮前)にて、AKI INOMATAによる個展「貨幣の記憶」が開催された。生物との協働で知られる作家の新作が発表された本展を、エコロジーなどをテーマに活動する若手キュレーターがレビューする。
椹木野衣評 「梅田哲也 イン 別府『O滞』」展、「虹 夏草 泥亀 佐藤俊造の全貌展」
ひとりのアーティストの個展形式で行われてきた大分県別府市の芸術祭「in BEPPU」。今年は梅田哲也が、街中を回遊しながら音声を聴く体験型の作品を発表した。コロナ禍における新たな芸術祭のかたちを提示した本展を、同時期に別府で開催された「虹 夏草 泥亀 佐藤俊造の全貌展」とあわせて椹木野衣がレビューする。
清水穣評 千葉正也個展、松田啓佑「捨てていた意識は目に当たる」展、顧剣亨「APART OF THERE IS HERE」展
紙や文字、鏡の反映など、絵画のレイヤーを意識させる要素を平面に描き込む千葉正也、キャンバスや陶器に力強いストロークで形態を描く松田啓佑、そして写真を通して視覚的無意識に迫ろうとする顧剣亨(コ・ケンリョウ)。3人のアーティストの実践は絵画の歴史のなかにどう位置づけることができるのか、清水穣が論じる。
布施琳太郎評「Try the Video-Drawing」(TAV GALLERY)
キュレーター・西田編集長とアーティスト・林千歩によって企画された「Try the Video-Drawing」(TAV GALLERY)は、すべての出展作品が「3分以内(推奨)」という制限により「映像で何ができるか」という課題に8作家が対峙する展覧会となった。本展をアーティストの布施琳太郎が「マイクロポップ」と紐付けてレビューする。
能勢陽子評「ホー・ツーニェン:ヴォイス・オブ・ヴォイド-虚無の声」展(YCAM)
あいちトリエンナーレ2019にて、豊田市の旅館を舞台に映像インスタレーションを展開したホー・ツーニェン。シンガポールを拠点に国際的に活躍する作家の最新作が、山口情報芸術センター[YCAM]で展示中だ。1930~40年代、日本で大きな影響力を保持した「京都学派」をテーマに、VRとアニメーションを組み合わせた本作について、あいちで同作家のキュレーションを担当した、豊田市美術館学芸員の能勢陽子が論じる。