EXHIBITIONS
太郎千恵藏「Passion」
PARCELで、太郎千恵藏による個展「Passion」が開催されている。
太郎千恵藏は、1991年にニューヨーク・ソーホーのギャラリーでデニス・オッペンハイムらと「見えない身体」展で芸術家としてデビュー。翌年「ポスト・ヒューマン」展においてマイク・ケリー、キッペンバーガーらとヨーロッパの5美術館を巡回した。奈良美智、村上隆らと並ぶ1990年代のネオポップの作家だ。
今年の2月から、東京国立近代美術館で新収蔵された《戦争(ピンクは血の色)》(1996)を含む代表作3点が「所蔵作品展 MOMATコレクション」(〜6月15日)の第12室「美術家たちのダークツーリズム」という特別展示に出品。太郎の《戦争(ピンクは血の色)》は同館無期限貸与の藤田嗣治《アッツ島玉砕》や《血戦ガダルカナル》などの戦争画の文脈上にあり、ポストモダンを複製技術の時代としてとらえた戦争画であるという。
1996年の『ARTFORUM』誌上(*)で、美術評論家のジャスティン・スプリングは《戦争(ピンクは血の色)》が発表されたニューヨークのサンドラ・ゲーリングギャラリーでの太郎の個展を次のように解説している。
「テレビ、ビデオ、コンピューター、インターネットなど、パッケージ化されたテクノロジーをめぐる即時的な興奮を視覚的に表現したところに、太郎千恵藏の卓越した才能がある。今回展示された4点の大作は、ネット上の様々なサイトで見つけた日本のマンガのキャラクターが描かれている。キャンバスに油彩でコラージュされたこれらの作品で、太郎千恵藏は、コンピューターやテレビが生み出すイメージと無頓着で楽観的な消費文化を絵画的に表現した。ジャパニメーションとAbExの技法、そして蛍光色の絵具を使った鮮やかなパレットという、ありそうでなかった組みあわせは、コンピューターで生成されたイメージが氾濫する世界における絵画そのものの地位に対する辛辣なコメントと見ることもできる。無表情なコメディとはまったく別の、この作品は、ロリポップ、ネオン、プラスチックの世界に身を置くおいしそうなほど人工的な色彩感覚が際立っている。ペインティングも形式主義的に印象深いが、レーザーディスクを敷き詰めた小さな遊び場を這い回る機械化された彫刻(A Robot to Fall in Love /or not,1994)は圧巻だ」。
本展では、太郎の1990年代と新作の絵画を中心に展示。太郎の新作絵画は、日本の近代美術史における戦前の前衛芸術と漫画の関係をテーマにしている。靉光の《眼のある風景》とおなじように《忍術:唯物論としての》(2025)などの太郎が描く「一つ眼」の顔は、視線の複数性や眼差しの問題ではなく、見ている人を「物」(イマージュの総体としての)にしてしまうような強さをもつ。この「一つ眼」のモチーフは、90年代から度々描かれている。そのほかにも戦前の前衛芸術運動MaVoの雑誌の表紙を描いた地に猫と犬をモンタージュした高見沢路直へのオマージュの絵画や、戦前の前衛画家・岡本唐喜にオマージュした絵画も公開。
また会期中、予約制にてparcel(まるかビル2階)で太郎千恵藏による特別展示を見ることができる(予約はcontact@parceltokyo.jpまで)。
*── https://www.artforum.com/events/taro-chiezo-212229
太郎千恵藏は、1991年にニューヨーク・ソーホーのギャラリーでデニス・オッペンハイムらと「見えない身体」展で芸術家としてデビュー。翌年「ポスト・ヒューマン」展においてマイク・ケリー、キッペンバーガーらとヨーロッパの5美術館を巡回した。奈良美智、村上隆らと並ぶ1990年代のネオポップの作家だ。
今年の2月から、東京国立近代美術館で新収蔵された《戦争(ピンクは血の色)》(1996)を含む代表作3点が「所蔵作品展 MOMATコレクション」(〜6月15日)の第12室「美術家たちのダークツーリズム」という特別展示に出品。太郎の《戦争(ピンクは血の色)》は同館無期限貸与の藤田嗣治《アッツ島玉砕》や《血戦ガダルカナル》などの戦争画の文脈上にあり、ポストモダンを複製技術の時代としてとらえた戦争画であるという。
1996年の『ARTFORUM』誌上(*)で、美術評論家のジャスティン・スプリングは《戦争(ピンクは血の色)》が発表されたニューヨークのサンドラ・ゲーリングギャラリーでの太郎の個展を次のように解説している。
「テレビ、ビデオ、コンピューター、インターネットなど、パッケージ化されたテクノロジーをめぐる即時的な興奮を視覚的に表現したところに、太郎千恵藏の卓越した才能がある。今回展示された4点の大作は、ネット上の様々なサイトで見つけた日本のマンガのキャラクターが描かれている。キャンバスに油彩でコラージュされたこれらの作品で、太郎千恵藏は、コンピューターやテレビが生み出すイメージと無頓着で楽観的な消費文化を絵画的に表現した。ジャパニメーションとAbExの技法、そして蛍光色の絵具を使った鮮やかなパレットという、ありそうでなかった組みあわせは、コンピューターで生成されたイメージが氾濫する世界における絵画そのものの地位に対する辛辣なコメントと見ることもできる。無表情なコメディとはまったく別の、この作品は、ロリポップ、ネオン、プラスチックの世界に身を置くおいしそうなほど人工的な色彩感覚が際立っている。ペインティングも形式主義的に印象深いが、レーザーディスクを敷き詰めた小さな遊び場を這い回る機械化された彫刻(A Robot to Fall in Love /or not,1994)は圧巻だ」。
本展では、太郎の1990年代と新作の絵画を中心に展示。太郎の新作絵画は、日本の近代美術史における戦前の前衛芸術と漫画の関係をテーマにしている。靉光の《眼のある風景》とおなじように《忍術:唯物論としての》(2025)などの太郎が描く「一つ眼」の顔は、視線の複数性や眼差しの問題ではなく、見ている人を「物」(イマージュの総体としての)にしてしまうような強さをもつ。この「一つ眼」のモチーフは、90年代から度々描かれている。そのほかにも戦前の前衛芸術運動MaVoの雑誌の表紙を描いた地に猫と犬をモンタージュした高見沢路直へのオマージュの絵画や、戦前の前衛画家・岡本唐喜にオマージュした絵画も公開。
また会期中、予約制にてparcel(まるかビル2階)で太郎千恵藏による特別展示を見ることができる(予約はcontact@parceltokyo.jpまで)。
*── https://www.artforum.com/events/taro-chiezo-212229