EXHIBITIONS
ヒルマ・アフ・クリント展
東京国立近代美術館で「ヒルマ・アフ・クリント展」が開催される。
20世紀初頭、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンといった同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として、近年再評価が高まるヒルマ・アフ・クリント。19世紀後半のスウェーデンに生まれたアフ・クリントは、王立芸術アカデミーで正統的な美術教育を受けた後、肖像画や風景画で評価を得て、画家としてのキャリアをスタートさせた。
いっぽうで神秘主義思想に傾倒したアフ・クリントは、交霊術の体験などを通して、アカデミックな絵画とはまったく異なる抽象表現を生み出していく。そして1906年から15年にかけて「神殿のための絵画」と呼ばれる全193点の抽象絵画を描き上げる。それらは自身が構想した神殿を飾るためのものだった。その後81歳で死去するまで制作を続けたが、作品はほとんど展示されることなく手元に残された。
アフ・クリントの残した1000点を超える作品群、自身の思想を克明に記したノートなどは、長らく限られた人々に知られるばかりで、80年代以降ようやくいくつかの展覧会で紹介が始まった。2013年にストックホルム近代美術館からスタートしたヨーロッパ巡回の回顧展でアフ・クリントの全貌が明らかになり、100万人以上の動員を記録。また18年にニューヨーク・グッゲンハイム美術館(アメリカ)で開催された回顧展においては、同館史上最大となる60万人以上の動員を記録した。
アジア初の展覧会となる本展では、アフ・クリントのキャリアにおける最良の達成と言える、高さ3メートル超・10点組の絵画「10の最大物」(1907)をはじめ、すべて初来日となる作品約140点が出品される。代表的作品群「神殿のための絵画」を中心に構成し、画家が残したスケッチやノートなどの資料、同時代の神秘主義思想・自然科学・社会思想・女性運動といった多様な制作の源の紹介をまじえ、ヒルマ・アフ・クリントの画業の全容を紹介する。
20世紀初頭、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンといった同時代のアーティストに先駆け、抽象絵画を創案した画家として、近年再評価が高まるヒルマ・アフ・クリント。19世紀後半のスウェーデンに生まれたアフ・クリントは、王立芸術アカデミーで正統的な美術教育を受けた後、肖像画や風景画で評価を得て、画家としてのキャリアをスタートさせた。
いっぽうで神秘主義思想に傾倒したアフ・クリントは、交霊術の体験などを通して、アカデミックな絵画とはまったく異なる抽象表現を生み出していく。そして1906年から15年にかけて「神殿のための絵画」と呼ばれる全193点の抽象絵画を描き上げる。それらは自身が構想した神殿を飾るためのものだった。その後81歳で死去するまで制作を続けたが、作品はほとんど展示されることなく手元に残された。
アフ・クリントの残した1000点を超える作品群、自身の思想を克明に記したノートなどは、長らく限られた人々に知られるばかりで、80年代以降ようやくいくつかの展覧会で紹介が始まった。2013年にストックホルム近代美術館からスタートしたヨーロッパ巡回の回顧展でアフ・クリントの全貌が明らかになり、100万人以上の動員を記録。また18年にニューヨーク・グッゲンハイム美術館(アメリカ)で開催された回顧展においては、同館史上最大となる60万人以上の動員を記録した。
アジア初の展覧会となる本展では、アフ・クリントのキャリアにおける最良の達成と言える、高さ3メートル超・10点組の絵画「10の最大物」(1907)をはじめ、すべて初来日となる作品約140点が出品される。代表的作品群「神殿のための絵画」を中心に構成し、画家が残したスケッチやノートなどの資料、同時代の神秘主義思想・自然科学・社会思想・女性運動といった多様な制作の源の紹介をまじえ、ヒルマ・アフ・クリントの画業の全容を紹介する。