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「in BEPPU」から「3.11とアーティスト」展まで、5月のレビューをプレイバック

美術手帖では、批評家や学芸員らによる展覧会レビューを毎月掲載。そのなかから、5月に公開された全12本をお届けする。各レビューの詳細はリンクから全文をチェックしてほしい。

「3.11とアーティスト:10年目の想像」より、Don’t Follow the Windの展示室(左から)小泉明郎《笑う》(2017)、グランギニョル未来《グランギニョル未来2020》(2020)、宮永愛子《留め石》(2020)と《留め石》(2015)撮影=根本譲 写真提供=水戸芸術館現代美術センター

塚田優評「没後70年 吉田博展」(東京都美術館)

展示風景より

 明治から昭和にかけて風景画を中心に活躍した吉田博。その木版画に焦点を当て、200点近い作品やスケッチともにその技術や主題の変遷を紹介する大規模な個展が東京都美術館で開催された「没後70年 吉田博展」だ。本展を評論家の塚田優が論じる。

若山満大評「「写真の都」物語 ―名古屋写真運動史:1911-1972―」(名古屋市美術館)

山本悍右 題不詳(《伽藍の鳥籠》のバリエーション) 1940  名古屋市美術館蔵

 名古屋市美術館にて、2月~3月に開催された本展では、1920年代に日本のピクトリアリズムをけん引した〈愛友写真倶楽部〉や写真家・東松照明を生んだ都市、名古屋の写真表現の展開に焦点をあてた。同地名古屋に根ざす美術館で、その物語はどのようにつむがれたのか? 東京ステーションギャラリー学芸員の若山満大がレビューする。

清水穣評 カスパー・ミュラー「In and Out」展、臧坤坤「Double Screens」展

カスパー・ミュラー「In and Out」展の展示風景

 オブジェや平面、既製品を組み合わせ、ユーモアや皮肉を込めたインスタレーションを手がけるカスパー・ミュラーと、絵画、オブジェクト、そして画中にあるものに等価な関係を構築しようとする臧坤坤(ツァン・クンクン)。現代のポップ・アートをめぐる二元論と、同時期にチューリヒで開催された両者の個展に見られる二重性について、清水穣が論じる。

椹木野衣評 冨安由真展「漂泊する幻影」、青木美紅「1996120519691206」展

冨安由真展「漂泊する幻影」の展示風景 Photo by Masanobu Nishino

 KAAT神奈川芸術劇場の空間をインスタレーションへと変貌させた冨安由真の「漂泊する幻影」展と、「ヘルマウス」と呼ばれる悪魔から着想を得た新作を発表した青木美紅の「1996120519691206」展。ふたつの個展について、亡霊や幻影の気配を呼び込む装置として位置づけながら、椹木野衣が論じる。

荒井保洋評 「植松奎二 みえないものへ、触れる方法 - 直観」展(芦屋市立美術博物館)

見えない力―軸・経度・緯度 2021 角材、ワイヤー、万力、ステンレススチール、コップ、水 サイズ可変 撮影=高嶋清俊

 作品を発表し始めた1969年から現在まで、多様な形態の作品を通して、重力、引力といった見えない力の法則から世界の構造・存在・関係を一貫して探究してきた植松奎二。芦屋市立美術博物館での本個展では、1年をかけて同館の空間と構造を読み解き、ここでしか生み出せない作品を発表した。この世界を新たに認識する方法を探る本展について、滋賀県立美術館学芸員の荒井保洋が論じる。

檜山真有評 光岡幸一「もしもといつも」(BLOCK HOUSE)

展示風景 撮影=竹久直樹

 コロナ禍でのオリンピック開催とさらなる都市開発に揺れる東京。アーティストの光岡幸一は、原宿・BLOCK HOUSEでの個展で、暗渠化された渋谷の川を滝としてギャラリーに取り込み、会期中、その水の飛沫で写真作品やオブジェに変化を与えつづけた。その光景から浮かび上がる人間の営みや都市の機微とはいかなるものか? キュレーターの檜山真有が論じる。

高嶋慈評「梅田哲也 イン 別府」

鑑賞ルートを舞台とした映像作品《O滞》上映の様子 Photo by Yuko AMANO
Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

 国際的に活躍する1組のアーティストを招き、地域性を活かしたアートプロジェクトを実現する個展形式の芸術祭「in BEPPU」が2020年12月から3ヶ月間開催された。5回目となる本年の招聘作家は梅田哲也。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、集客型の大型芸術祭が中止するなか、本展はポストコロナにおける新たな芸術祭モデルとなり得たか、また、地域芸術祭としての批評性はいかなるものだったのか。高嶋慈がレビューする。

長谷川新評「Sweep-Space-Surface」展(BankART)

BankART Stationでの展示風景

 多摩美術大学美術学部情報デザイン学科メディア芸術コースの卒業制作展として、BankART(横浜)にて「Sweep-Space-Surface」展が開催された。作品展示以外にも多くのプログラムが組まれた本展のあり方について、インディペンデントキュレーターの長谷川新がレビューする。

ダニエル・アビー評「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展(東京都現代美術館)

「BORDERLESS: 未知をデザインする」パートより、映画 『落下の王国』 (ターセム・シン監督、2006)衣装デザイン展示風景
Photo by Kenji Morita

 東京都現代美術館で開催され、話題を呼んだアートディレクター・デザイナーの石岡瑛子(1938~2012)の個展。本展について、写真研究者のダニエル・アビーが「形(form)」をキーワードに論じる。

清水知子評 約束の凝集 vol.2 永田康祐「イート」展(gallery αM)

永田康祐《Purée》(2020)より

 長谷川新をゲストキュレーターに迎えた、gallery αMでの2020~21年度プロジェクト「約束の凝集」。その第2回として、永田康祐の個展「イート」が開催された。食べるという行為や、それに応じて組織される主体について、そして「口」についてを考察した本展を、文化理論家の清水知子がレビューする。

中島水緒評 「東アジアを駆け抜けた身体―スポーツの近代―」展(国立歴史民俗博物館)

「東アジアを駆け抜けた身体─スポーツの近代─」展のポスター

 日本植民地期の台湾人アスリート、張星賢(ちょう・せいけん)の競技人生に焦点を当て、日本と東アジアの近代史を見つめ直す「東アジアを駆け抜けた身体―スポーツの近代―」展が国立歴史民俗博物館にて開催された。スポーツの歴史のなかから浮かび上がるアスリートのサインとは何か。美術批評の中島水緒がレビューする。

清水建人評「3.11とアーティスト:10年目の想像」展(水戸芸術館)

小森はるか+瀬尾夏美の展示風景 撮影=根本譲 写真提供=水戸芸術館現代美術センター

 東日本大震災の翌年、水戸芸術館で「3.11とアーティスト:進行形の記録」展が開催された。そして今年、再び同テーマで企画された本展では、震災と、当時/現在の我々をつなぎ直すような作品群がみられた。この10年、震災に向き合う作家や作品表現にどんな変化が起きたのだろう。せんだいメディアテークで学芸員を務める清水建人が前展と比較しつつ、レビューする。

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