東日本大震災から10年の節目を迎える今年の3月。震災当時、臨時の避難所にもなった茨城・水戸市の水戸芸術館現代美術ギャラリーで、この節目に合わせた展覧会「3.11とアーティスト:10年目の想像」が開幕した。会期は2月20日〜5月9日。
本展の前段となる展覧会が、水戸芸術館で2012年に開催された「3.11とアーティスト:進行形の記録」だ。震災から間もないこともあり、この展覧会では展示を「作品」に限定せず、震災を受けて行われたアーティストによる様々な活動を時間軸に沿って紹介したものとなった。
やがて震災から年月を経るなかで、震災に向き合ったアーティストたちは、それぞれの作品制作へと移行していった。本展は震災から10年という節目に、アーティストたちが震災から受け取ったものをいかに作品としてアウトプットしたかをリサーチ。7組の作家やグループによる作品を「想像力の喚起」をテーマに展示する。
会場に足を踏み入れた来場者がまず目にするのが、小森はるか+瀬尾夏美による《あわいゆくころ再歩(さいほ)》(2011-2021)だ。震災当時、学生だった小森と瀬尾は、津波によって大きな被害を受けた沿岸部を市民ボランティアとして訪れ、その際に「私は辛くて見られないけど、この現状を見ておいてください」と被災者から声をかけられる。ふたりはそれから幾度も陸前高田市に通い、一時は暮らしながら、街の風景を被災した人々の言葉とともに記録し、描写してきた。《あわいゆくころ再歩(さいほ)》(2011-2021)では、小森の映像と瀬尾のテキストによって、それらの記録が再構築されている。
小森はるか+瀬尾夏美は、ほかにも《二重のまち》(2015-2021)や、《二重のまち/交代地のうたを編む》(2019〜)といった作品を本展に出品している。前者は、嵩上げ工事によって被害にあった街のうえに新たな街がつくられた陸前高田に注目し、上の街と下の街が震災から20年後の未来となる2031年にどういった関係を持てるのか、絵画と言葉で語った作品だ。上の街で生活が営まれ新たな子供たちが産まれ育ついっぽうで、かつて存在した下の街の記憶ともつながることができる物語を志向した。
後者の《二重のまち/交代地のうたを編む》(2019〜)は、4名の旅人を復興工事の進んだ2018年の陸前高田に招き、街の人々に話を聞いたうえで、土地の記憶を旅人それぞれが自らの言葉で語り直すことを試みた映像作品。新たな視点の語りを被災地に召喚することで、これまでとは異なる、広がりを持つ記憶を未来へと語り継ぐことを目指す。
高嶺格の「ジャパン・シンドローム」は、取材をもとに制作された映像作品のシリーズだ。11年9月に関西編が、12年6月に山口編、同年8月に水戸編が制作された。原発事故直後、多くの人が食品の安全性に気を配るなか、対象地域のスーパーマーケットを始めとした小売店を訪れ、店員との会話を記録。当時の会話や状況を、現地を訪れた人々が演技で再現したものだ。
本展では2012年に水戸芸術館で開催された個展「高嶺格のクールジャパン」のために制作された「ジャパン・シンドローム水戸編」を、3つのモニターで上映。10年前の記録を再現の映像を通じて蘇らせることで、たんなる会話や行動だけでなく、当時の人々の心理までもを観客に想起させる。
藤井光は新作の映像作品《あかい線に分けられたクラス》(2021)を展示。そのアプローチは震災から出立して、より現在の世界における普遍的な差別問題を取り扱っている。
震災に関する作品を様々な視点でつくってきた藤井だが、なかなか向き合うことができなかったのが、福島に対する差別の問題だったという。2011年当時、福島からの避難民に対する差別が発生していたが、藤井はこれらの問題について、センシティブであり二次被害の可能性もあることから、作品として扱うことが難しかったと振り返る。
しかし、新型コロナウイルスのパンデミック以降、感染者や医療従事者に対する差別が噴出。あらためてこうした差別に向き合うために、藤井はアメリカの教師、ジェーン・エリオットがキング牧師暗殺直後に行ったワークショップ「青い目・茶色い目」を、3.11の事例に置き換えてアレンジ。水戸の教育関係者の協力のもと、震災当時はまだ生まれていなかった小学生たちとともに、突然人間がゾーンによって分けられてしまうという差別の過酷さについて考えた映像作品を制作した。10年前の震災における事例を通じ、いまも世界中に存在する差別の問題を照射した作品だ。
加茂昂と佐竹真紀子は絵画作品を展示しているが、本展を企画した水戸芸術館現代美術センター・主任学芸員の竹久侑によれば、こうした絵画作品が制作されるには、震災からの時間の経過と蓄積が必要だったという。
加茂は福島・双葉郡の原発事故による帰還困難区域をモチーフに絵画を制作。区域への立ち入り禁止を知らせる看板やゲートを現場でスケッチし、絵具を塗り重ねた油絵によって表現した。
現地でスケッチをするなかで、風や鳥の声といった自然音を肌で感じた加茂は、原発事故の原因も、立ち入り禁止の境界線を決めたのも、その影響を受けているのもすべて人間であるのだと感じたそうだ。ゲートや看板を人間そのものであるようにとらえ、それらを描くことで、自分も含めた人間という存在に向き合った。
佐竹は、津波により多くの建物が流された仙台市の荒浜をモチーフに、アクリルペイントと彫りによる平面作品を制作。元住民に聞いた震災前の景色や思い出を、震災後の風景と断絶させず1枚の平面のなかでひとつなぎとした。
オランダ在住のアーティスト・ニシコは、2011年から続いている「地震を直すプロジェクト」に関連した作品を出品。この「地震を直すプロジェクト」は、津波のあとに誰にも拾われずに浜辺に落ちていた壊れたものを拾い集め、修繕することから始まったプロジェクトだ。
このプロジェクトは拾得物を修繕するのみならず、様々なかたちで展開してきた。太平洋の反対にあるアメリカ大陸西海岸に流れ着いたものの調査や、修繕したものをいかに管理するかなど、修繕という行為を通じて様々な問題を提起。今回展示される新作はプロジェクトの第7段階のものとなり、「メッセージ」と題された。
ニシコは修繕した津波の被災物をオランダに持ち帰り、オブジェクトを預かる人を募集。「里親」となったオランダの人々のエピソードを音声やテキスト、写真で紹介し、震災の経験が遠い地でいかに受容され、どのような思いを喚起したのかを作品としてとどめた。
Chim↑Pomの発案により、2015年より福島第一原発付近の帰還困難区域で開催され続けている展覧会「Don`t Follow the Wind」。本展では12組のアーティストによる作品が展示されているこの「見に行くことができない展覧会」を、ビジターセンターのような立場で紹介している。
グランギニョル未来、宮永愛子、小泉明郎らによる作品は、直接的に「Don`t Follow the Wind」の概要を説明するものではないが、帰還困難区域に対する想像力をアートによって喚起させている。会場に設置された4つの指向性スピーカーからは、帰還困難区域の元住民たちの声が聞こえてくる。互いに混ざり合って非常に聞き取りにくいこの声とともに作品を見ながら、当事者との距離を考えてみたい。
展覧会の最後には、アーツカウンシル東京との連携事業として、東日本大震災にまつわるできごとをつづった手記を募集し公開する「10年目の手記」や、展覧会を鑑賞して思ったことや感じたことをギャラリートーカーと電話ごしに対話する「対話の電話」、来場者が自らの感想を貼ることができる「つぶやきの壁」が準備されている。アーティストのみならず、この場所では来場者自らも語り手としての役割を果たすことになるだろう。
10年を経てもなお、その被害の影響が色濃く残る東日本大震災。アーティストの作品を通して震災から10年で生まれた様々な視座に触れるとともに、来場者自らも震災にまつわるエピソードを伝えていくことについて考えさせられる展覧会だ。