地域芸術祭/上演芸術のオルタナティブの提示と、ジレンマ
ウィズコロナ/ポストコロナの状況下において、地域芸術祭と劇場型上演芸術は、「オンライン」という代替手段に頼らずに、どのようなオルタナティブを描けるか? この問いは、危機的状況への対処的応答にとどまらず、観光客の大量集客によって消費と地域活性化をはかる芸術祭モデルと、観客の一時的な共同体の形成によって線的な物語受容という体験の均質性を保証する「劇場での上演形態」、両者に対する根本的な問い直しの契機を含んでいる。「梅田哲也 イン 別府」《O滞(ぜろたい)》は、両者に対する問いを批評的に提起しつつ、その「限界」「ジレンマ」を露呈させる両義的な意義をはらんでいた。
2016年より大分県別府市で開催されている「in BEPPU」は、一組のアーティストによる個展形式の芸術祭である。梅田による《O滞》は、市内各所に点在する鑑賞ポイントを、鑑賞者が地図を手に回遊し、受信機から流れる音声とともに周囲の(音の)風景を鑑賞する、体験型作品である。鑑賞ルートの規定はなく、どのポイントを選択して(あるいは選択しないで)、どのような順序で回るかは、各自の興味や移動手段、体力や滞在日数に委ねられている。
また、鑑賞ポイントにとくに目印はなく、時に広域な鑑賞エリア内を歩き回って受信ポイントを探さねばならない。ひとつの鑑賞ポイントには複数の受信ポイントが設けられているため、「聴き逃し」のリスクがつねに潜在する。さらに、鑑賞の順序や時間帯、その日の天候もそれぞれ異なることから、鑑賞体験は個別的な質を帯びる。
山と海に挟まれ、吹き上げる白い蒸気と硫黄の匂いに包まれ、工場のような太い配管が這い回る別府の町は、どこか幻想的な雰囲気が漂う。受信機から流れる音声は、別府の特異な地勢や「水」にまつわる歴史を断片的に語るものが多い。例えば、もうもうと蒸気が立ちのぼる活火山の伽藍岳火口では、2つの断層がぶつかる地点であることが語られ、ガスや地熱が噴出する明礬池の周囲を歩くと、「ポコポコ」という水中の音が抽出されて聴こえてくる。住宅街の中にひっそりと佇む現役の井戸や、かつての波打ち際であり、水害を鎮める地蔵尊に続く通りでは、水や波音とともに、断片的で詩的なナラティブや歌声が聴こえる。
とくにハイライトと言えるのが、戦前に「九州一の大遊園地」として人気を博した「鶴見園」跡地だ。唯一、遺構として残る廃墟のようなスイミングプールを歩くと、水音が響いてかつての光景へと誘い、鬱蒼と茂る林の中を進むと、昔の繁栄を偲ばせる賑やかな宴席の歌曲が切れ切れに響き、大劇場をはじめとする娯楽施設の案内を述べる口上や「西の宝塚」と呼ばれた女優歌劇についての解説が当時の声音を模して語られる。ノイズのような雨音、楽器のチューニングを行う吹奏楽部の生徒たちの声がそこに交錯し、時空の迷宮を彷徨っているような感覚に包まれる。
「受信機から流れる音声を聴くという体験によって、現実の風景のうえに別のナラティブやサウンドスケープを上書きし、日常/非日常の揺らぎや想起を促す」という本作は、「聴覚体験によるAR作品」とも言える。その系譜として、梅田が2015年から継続的に発表している、大阪市内中心部の河川や水路を船で下るパフォーマンス・ツアーがある。観客は梅田とともに船に乗り、ラジオから流れる音声や梅田の実況、船内などで行われるパフォーマンスを鑑賞するというものだ。その受容体験は、その日の天候や時間帯、偶然すれ違う船、対岸の日常風景といった偶発的要素や、同時多発的な出来事のどこに注意を向けるかという意志的な選択によって左右される。そこには、経験の同質性を前提として共同体の成立基盤を歴史的に形成してきた舞台芸術に対する批評性が胚胎していた。
本作は、この一連のクルーズ・パフォーマンスを別府市内へと広域的に拡張・展開したものであると同時に、ルートの規定がない回遊型によって、(船での川下りの不可避的な限界でもあった)「リニアな受容構造」の解体を企てる。「線的展開を持つナラティブの均質な受容」への批評的解体に加え、「密」を避ける分散・回遊式の作品設計は、コロナ禍によってその脆弱性が露わとなった既存の制度に対するオルタナティブな批評性を多重的にはらんでいる。
そのいっぽうで、「ウィズコロナ/ポストコロナにおける地域芸術祭のオルタナティブ」を本当に示せているか?という疑問やジレンマが残った。用意された鑑賞ポイントは、上述の活火山火口、ガスや地熱の湧く池に加え、地下から蒸気が噴き出す共同温泉、別府市街を一望できる山の手にある仕出し屋、同じく市街地や別府湾の眺望が楽しめるロープウェイ、人工のビーチ、フェリーが往来する別府国際観光港など、「温泉地別府の名所めぐり」の消費的側面が強い。「観光資源の魅力のアピール」に加えて、一日では回り切れない鑑賞設計には、「地域外からやって来る観客に、温泉に泊まりながら鑑賞してほしい」という消費や地域経済の活性化への期待が見え隠れする。
ここで比較対象として想起されるのが、同様にラジオから流れる音声と地図を手に、東京の新橋を歩きながらセルフツアー形式で体験する、高山明/Port B『光のない。─エピローグ?』である(2012年にフェスティバル/トーキョー12でPort B『光のないⅡ』として初演、2021年にシアターコモンズ'21にてリクリエーション再演が行われた)。「フクシマ」の報道写真が印刷されたポストカードを手に、福島の高校生たちが朗読するエルフリーデ・イェリネクのテキストを聴きながら鑑賞ポイントを回る体験によって、「東京」のなかに埋め込まれた不可視の福島が浮かび上がり、あるいは両者の距離感や断絶が露わとなる。こうした高山明/Port Bの作品が持つ批評性の射程や深度に比べると、本作の焦点は拡散的で曖昧に感じられた。
だが、市内のレトロな映画館で上映された映像作品には、地域経済の活性化の原理とは異なるベクトルの萌芽が埋め込まれていた。この映像作品は、森山未來の演じる旅人が各鑑賞地点を巡る幻想的な映像に、実際に受信機から流れる音声が重ねられる総集編的なものだ。そこで一瞬、挿入されるモノクロフィルムに映るのは、敗戦後の別府市内を行進する米軍兵士たちの姿である。
引用された映像は、米軍の広報用テレビ番組シリーズ「The Big Picture」の「Japan: Our Far East Partner」のエピソードの冒頭部分であり(*1)、1953年10月6日、朝鮮半島から別府の駐屯基地に帰還した米兵と、歓迎式典で出迎える市民の様子が記録されている(*2)。また、別府には明治後期から昭和戦前期にかけて、陸軍・海軍の病院、南満州鉄道・華北交通・満州電電の保養所などが建設され、温泉保養地・観光地としての発展と近代日本の帝国主義は密接に関係している(*3)。そして上述のように、敗戦後には米軍キャンプが設置された。
梅田の映像作品内では十分に消化されないままだったが、「戦争・占領と観光」という忘却された負の歴史の側から光を当て、より多層的に近現代史を掘り下げる契機がそこに宿っていたのではないか。
*1──アメリカ国立公文書館(National Archives and Records Administration)のウェブサイトで公開されている。https://archive.org/details/gov.archives.arc.2569524
*2──下川正晴『占領と引揚げの肖像・BEPPU 1945~1956』、弦書房、2020年、80-81頁。
*3──同書、51-52頁。