だけどいちずに
渋谷は谷底の街で、そこを目がけて下るようにいくつもの川が流れていたものの、治水によってどんどん地表に下水というかたちで埋め込まれていった。暗渠である。
暗渠を滝へ。光岡幸一の個展「もしもといつも」は、展示会場の下を暗渠している渋谷の下水を汲み取り、天井に備え付けられたチリトリのようなものの中に貯め、ある一定量を超えたら水の重さに耐えられなくなったチリトリが地面のほうへ傾き、そのとき下水が床に勢いよく打ち付けられるというものだ。泥水の飛沫が乾いて辺りに泥が散っているし、水は再び下水のほうへと流れてゆく。会場の壁面には、残滓をメディウムとし、引っ掻くように観葉植物などが描かれたペインティング、泥の動きをそのまま残した生々しいターポリン、渋谷・桜丘町方面の再開発を写したものの上にさらに泥を重ねた写真など、循環装置からはじかれた残留物である泥を用いた作品が取り囲む。
私たちにとって「もしも」と「いつも」はどのように異なるのだろう。例えば、私たちはもしもの場合というとき、なんらかの事故や災害を想定する。動かすことのできない偶然と必然に立ち会い、そこで不便や被害を被る。もしも、と思う気持ちがいつものことであったら「いつも」と「もしも」は逆転する。それは今日電気が止まって、明日はガスが止まるかもしれないとか、壁面にクラックの入った家に住みながら地震に怯えたりとか、夜道で襲撃されるとか、私たちは案外多くの「もしも」を背負って生きている。もしも、暗渠を滝に変えることができたら、いつもの台風なんかも怖くないね。私は、もしものときのために備えてモバイルバッテリーを常備しているし、絆創膏も化粧品も持ち歩いている。いつも「もしも」に備えている。
しかしながら、私がもしものときのために備えているものは、削ぎ落としていけば生命の維持には必要のないものでもある。それが実際に役に立つかどうかはさておき、泥水を循環させて、泥をつくり出せる作品のほうが「もしも」には備えることができる。泥は器にもなり、家にもなり、私たちの生命を維持する住環境と食を支える素材として有用だ。とはいえ、私は光岡の作品が実際の暮らしに役に立つということや、行き過ぎたハイテクな社会に警鐘を鳴らし、過去のサバイバルライフこそ私たちが現在見習うべきものである、ということを言いたいわけでもない。かといって、彼は「都市」を内側から開き、都市の脆弱さやずる賢さを私たちに提示する「都市」をテーマとした作品を展開しているわけでもなく、もちろん「都市をハック」しているわけではない。
都市に跨る私たち人間の、生きるための一つひとつの選択。それは部屋に緑が欲しいとパキラを買うことから、転職、誰を愛するかまでたくさんある。こういった人生すべてをかけて自分をつくりあげる選択と、例えば大地震が起きたときに、どのように逃げたらいいのか、何を蓄えたらいいのか、自宅が火災にならないようにする方法など短い間で連続的に迫られる選択にすべて正解しないと生き延びることができない選択の大きく分けて2種類があり、この2種類が一気に現れることもありうる。例えば、別れ話の最中にどのようにすれば相手の心が戻るかを考えたり、クビを言い伝えられているにもかかわらず、心は次に自分がやりたいことを考えていたりしているときである。
光岡が展開する試みは、この2種類の選択が一気に現れる日常と日常の間にある隙間、非日常でも日常でもない時間を上手に立ち上げる。そのような時間をつくるためにできないことをできるようになりたい。理念的には可能だけれど非現実的であることを現実にするのはますますいろいろな意味において難しくなっているからこそ、私たちはそれをしていくときに働く想像力の駆動に意味や楽しさを見出す。意味を求めることがナンセンスになるほど、出会うはずのなかった、なり得るもののなかったものがあるものへ変質させられている。
「想像力」というあまりにも使い古されて陳腐にさえ聞こえるこの言葉を、私はいまこそ使い、彼の営みを評価し、共感したい。位置エネルギーとモーターを使い、暗渠を垂直に循環する開渠に変えることは、流れる水そのものが新たな生命を与えたようにも映る。表現者は生きることとつくることがイコールで結びつくが、いまやつくることは何かを購入すること以上の技術を要するある意味で特権的なことで、先進国で生きる大方の人間にとって、生きることとイコールで結ばれるのは消費することだ。このような状況のなかで、作品がただただ自律したものではなく、生き生きと生きようとするものをつくることに希望を見ている。