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山岳描写に見るロマン派の残滓。塚田優評「没後70年 吉田博展」

明治から昭和にかけて風景画を中心に活躍した吉田博。その木版画に焦点を当て、200点近い作品やスケッチともにその技術や主題の変遷を紹介する大規模な個展が東京都美術館で開催された「没後70年 吉田博展」だ。本展を評論家の塚田優が論じる。

文=塚田優

「没後70年 吉田博展」展示風景

高山の美を描く

 浮世絵の産業的衰退を、洗練された表現としてバージョンアップすること。吉田博の功績を端的にまとめるとしたら、このようになるだろう。「没後70年 吉田博展」をきっかけに、そんな吉田の画業について考えてみたい。

 大正末期から昭和前期にかけて集中的に制作された吉田の木版画は風景画が多く、そのスタイルは江戸時代に隆盛した浮世絵の延長線上にある。江戸時代の浮世絵は、絵師の考案した図像を彫師と摺師によって複製可能な版画として販売する大衆的な娯楽産業だった。こうした分業制によって高められていた技術(*1)に吉田は着目し、自ら職人たちを雇い、共同作業に取り組んだ。

「没後70年 吉田博展」展示風景より

 そのことが分かりやすい例として、ここでは《劔山の朝》(1926)をあげてみよう。浮世絵において輪郭線は墨色、もしくは濃色の1色で現されることがほとんどであるが、同作では山の稜線にあたる光の変化に対応するように輪郭線の色が変化している。また、画面下部にあるテントのしわの太さが左右で異なることも、均一な描線がひとつの特徴でもある浮世絵と差別化できる点である。そして画面の下半分をなす青系統の色彩の諧調は、澄んだ山の空気感を伝えている。このように吉田の版画作品は、江戸時代の彫師と摺師の技術を慣例にとらわれないかたちで取り入れ、時には自ら彫りや摺りに参加しながら、従来の浮世絵表現の幅を広げることを目指したものなのである。また、このようなコラボレーションは、もともとは吉田が海外で浮世絵が売買されているところに遭遇したことが直接的なきっかけとなっているのだが、大正時代に普及した写真製版によって、仕事が奪われつつあった職人たちと利害が一致していたであろうことも同時代的な背景として指摘しておきたい。

吉田博 劔山の朝 1926

 こうした技術的な挑戦は、吉田の版画において大きな役割を果たしているのだが、風景、とりわけ山に対するロマン派的な感性が、ドメスティックな技術体系に立脚したその作品群に影響を与えているように筆者には感じられた。生前の吉田は登山を好み、またそこでの写生をもとに制作にも取り組んでいるのだが、西洋の伝統において、登山とロマン派は切っても切れない関係にある。M.H.ニコルソンは『暗い山と栄光の山』(小黒和子訳、国書刊行会、1994)において、17世紀まで危険な障害物としてしかとらえられていなかった山が、18世紀に入るとロマン派の詩人たちによってその壮麗さが歌いあげられるようになったことを指摘している。一歩踏み外せば転落し、命を落としかねないような状況下において出来る限りの安全を確保し、そこに広がる風景に美学的契機を見出すことは、エドマンド・バーグのいうところの「崇高(サブライム)」と呼ばれる感性としても知られている。

 吉田は西洋の自然観を全面的に肯定しているわけではなく、ホイッスラーなど西洋絵画に対しても「自然を尻に敷いている」と批判を行っているが、友人から「高い山を見ると其テッペンを登り切らないと腹の虫が収まらない」性格とも評されており、その姿勢には、自然と人間を対置するロマン派的な志向を看取することができるだろう。それは確実に作品にも流れ込んでおり、吉田の描く山岳風景には《御来光》(1928)のように、雄大な自然と対比的に人間が小さく描かれる作品が複数存在している。

吉田博 御来光 1928

 だがその一方で、吉田は神仙思想にも憧れを抱いていたり、その思想について的確に要約することは難しいが、山岳風景以外の風景画にも目を向けることで、彼の美学的側面はより浮かび上がってくるだろう。大正末期から昭和初期の東京をはじめとした日本各地の世俗的な風景を描いた版画群において、吉田は洋装の人物をほぼ登場させず、すでに都市部には立っていた電柱もあえて描いていない(*2)。ディテールの描写には真に迫る観察がなされていることもあるが、少なくとも国内を描いた作品からは、西洋的なモチーフを避けているような印象がある。

吉田博 まるやま公園 1933

 これについて展覧会のカタログでは、海外の市場を意識していたのではないかという記述があった。吉田は渡航先で外国人を相手に自ら作品を売り込んだ経験もあり、そのプロデューサー的な才覚が認められるのは事実である。しかし、こうした伝統的な風景を好む傾向は、先に述べたようなロマン派的な感性が影響を与えているのではないだろうか。山岳を主題とする作品において、大気を感じさせる複雑な色調や、光の影響を描線にも反映させようとするこだわりは、吉田を写実的、客観的な作家として一般に評価させている。だがこの理想化された日本を描いた作品群を踏まえるならば、その写実的傾向を短絡して受け取ってはならないだろう。吉田が浮世絵的な版画表現における写実性や客観性を向上させたことはもちろんではあるが、それはあくまでも手段でしかなく、雄大な自然と世俗的な街角という一見両極端な主題に共通して観察できるのは、画面内のモチーフを取捨選択することによって、自らの思い描くヴィジョンを実現しようとする作家の意志にほかならない。

*1──例えば浮世絵において、彫師による人物等の細かな髪の表現や、摺師のグラデーションの巧みさにその技量の高さは看取される。
*2──東京都美術館での吉田の展覧会と同時期に練馬区立美術館で開催されていた「電線絵画展 小林清親から山口晃まで」(2021年2月21日〜4月18日)では、川瀬巴水と吉田博のほぼ同一の場所から描いた隅田川の版画において、前者では描かれている電柱が後者では描かれていないことが指摘されていた。

 〈参考文献〉
『没後70年 吉田博展』吉田司監、吉田司・藍畑啓二編、毎日新聞社、2019

編集部

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