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「アンドリュー・ワイエス展」(豊田市美術館)開幕レポート。「境界」の向こうでかすむ孤独と独立のアメリカ【6/6ページ】

第5章「境界あるいは窓」

 最後となる第5章「境界あるいは窓」は、ワイエスの作品に表れている「境界」に着目する。

 ワイエスの作品には頻繁に「窓」が登場する。本展を担当した高橋は、この「窓」を「境界」を指し示すモチーフと捉え、展示の構成を行なった。例えば《ゼラニウム》(1960)は、オルソン・ハウスの窓を外から見た様子を描いた作品だ。部屋のなかには人影と赤いゼラニウムが見え、その向こうにも窓、さらにその先には海が見えている。ゼラニウムはクリスティーナが好んだ花であり、室内の人物がクリスティーナであることを物語る。光を取り入れると同時に、こちら側とあちら側を隔絶する窓という「境界」が、この部屋がクリスティーナの個人的な世界であることを示唆している。

《ゼラニウム》(1960)紙にドライブッシュ、水彩 52.7×39.4cm。クリスティーナの姿を窓の外から覗き見るようなドラマ性が演出されている
《ヒトデ》(1986)紙に水彩 72.7×54.0cm。ワイエスのマネージャー的な役割を担った妻・ベッツィの後ろ姿から、画家と妻の関係性の推察を誘う

 《ヒトデ》(1986)も、窓越しに人物の後ろ姿を描いた1枚だ。本作で描かれているのは、ワイエスの妻・ベッツィであり、彼女は双眼鏡で海の方向を見ている。ヒトデが置かれた窓枠の向こう側から、外からの豊かな光が入ってきており、ベッツィはそのなかに立っている。鮮やかな海とともにあるベッツィの姿だが、それは窓という「境界」の向こう側にいる存在であることも印象づけられている。ベッツィの意識は、はるか青い海の向こうに注がれている。長年連れ添った画家の妻が、同時にひとりの個人であるという事実。そこにある「境界」が、この窓と光によって示されているようにも受け取れる。

《薄氷》(1969)パネルにテンペラ 110.2×121.9cm。ワイエスが自身の人生を述懐するように描いた作品

 ワイエスの作品における「境界」は、窓や扉、柵といった具体的な構造物以外にも見出だせる。《薄氷》(1969)は、氷の下に沈む枯葉を描いた作品で、ワイエスの作品のなかでは変わったモチーフと言える1枚だ。乾いた質感のテンペラによって、氷のなかの気泡や光の屈折が表現され、氷の重層的な表情をつくり出している。氷という「境界」の向こう側にある枯葉について、ワイエスは本作の購入者への手紙で「重ねた経験や出会った人々」であると説明した(会場の解説パネルより)という。絵画を見る者と、アンドリュー・ワイエスというひとりの画家との、交わらない、しかしだからこそ絵画として魅力的な距離がここに生まれている。

 「アメリカの国民的な画家」と言い習わされてきたワイエスだが、それはたんに「アメリカの郊外の普遍的な風景を描いたから」というだけではないことが本展を通して見えてくる。乾いた質感とコントラストの薄い色調や、対象の不在、「境界」の意識など、ワイエスの絵画には孤独や寂しさがつきまとうが、そこには世界中からアメリカに移り住んで来た人々が築いてきた、孤独をはらんだ連帯が見い出せはしないだろうか。アメリカという国のあり方が根本から揺さぶられるこの時代において、ワイエスの絵画が語りかけてくるものは多い。

編集部

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