レンブラントの銅版画を知るための5つのキーワード

レンブラント・ファン・レイン(1606〜1669)の銅版画家としての足跡を辿る展覧会「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」が国立西洋美術館で開催される。会期は7月7日~9月23日。レンブラントは銅版画というメディアのどこに引かれたのか。どのように見ればより深く銅版画を知ることができるのか。銅版画を探求し自身の表現に取り入れてきたアーティスト・田沼利規に5つのキーワードを教えてもらった。※7月6日24時まですべての方に全文お読みいただけます

談=田沼利規 取材・構成=安原真広(編集部)

レンブラント・ファン・レイン《病人たちを癒すキリスト》ステートⅠ(1648頃)和紙にエッチング、ドライポイント、ビュラン 28.2cm×39.5cm アムステルダム国立美術館

KEYWORD 1:ステート
プロセスから見えてくる思考の魅力

 銅版画における「ステート(状態)」とは、一般的に「試し刷り」とも呼ばれる、制作の途中段階で刷られたバージョンのことです。版画芸術のおもしろさは、ステートを重ねることで完成に至るまでの過程が可視化できる点が挙げられます。重なっていったステートには、画家がその時々に何を考えていたかという思考の軌跡が色濃く現れているからです。版画家からすれば、秘密にしたい制作過程を覗き込まれることにもなるので、破棄してしまうケースもありますが、幸いなことにレンブラントの作品は同じ原版を用いたステートの異なる作品が数多く残っていて、私たちはその思考の軌跡の一端に触れることができます。

レンブラント・ファン・レイン《3本の十字架》ステートⅠ(1653)紙にドライポイント、ビュラン  38.7×45.5cm アムステルダム国立美術館(デ・ブライジン・ファン・デル・レーウ夫妻遺贈)
レンブラント・ファン・レイン《3本の十字架》ステートⅣ(1653)紙にドライポイント、ビュラン 38.5×44.9cm アムステルダム国立美術館 

 ステートの連続を追いかけることは、画面において「何が加筆され、何が引かれているのか」を検証することにほかなりません。例えば《3本の十字架》(1653)の2つのステートを見てみましょう。この作品を見ると、ステートⅠでは十字架上のキリストの表情は朧げで、身体の描写も全体の骨格が見てわかるくらいの描き方となっています。しかし、ステートⅣになると痩せこけた身体のディテールとともに苦悶の表情が描き込まれ、背景の暗さから頭上の神聖な光が強調されるようになっています。それはまるで、奇跡を起こし続けたキリストが、十字架上で迎える死によって一度人間へと戻され、また神としての存在へと昇っていく時間の連続のように読み解くこともできます。

《3本の十字架》ステートⅠの部分。キリストの表情ははっきりと描かれておらず象徴性が強調されている
《3本の十字架》ステートⅣの部分。キリストの顔が描きこまれており痩せこけた様子が見て取れる

 一般的な絵画がうわ書きを重ねていく一方向的なメディアであるのに対し、銅版画は銅版という素材を介して「足し引き」を繰り返すことができる「可逆的な対話」が可能なメディアです。いくつかのステートを見比べながら、最終的な完成図へと制作を進めることは、当時のほかのメディアでは不可能でした。失敗した部分を削り取り、同じ版の上でまた別のイメージを立ち上げる。レンブラントもまた、このステートの可逆的なプロセスそのものを楽しみ、自らのイメージを裏切り、ときには自身の想像を超えた作品に仕上がる版との駆け引きを繰り返しながら、独自の表現へと到達したと言えるでしょう。

KEYWORD 2:エッチングとドライポイント
掛け合わせがもたらす絵画的な版画

 レンブラントは、版画において主に「エッチング」と「ドライポイント」という2つの異なる技法を絶妙に使い分け、それらを同一の画面でハイブリッドに併用しました。

エッチングによる制作の過程、グランドを塗った銅版をニードルで引っ掻く 武蔵野美術大学通信教育課程 武蔵野美術大学造形ファイル(https://zokeifile.musabi.ac.jp)より

 「エッチング」は、銅版に塗ったグランド(防蝕剤)をニードルで剥がし、薬品で溝を溶かす間接的な技法です。絵を描く際に余計な力が要らないため、画家にとっては普段のスケッチや素描(ドローイング)、例えば竹ペンや葦ペンでさらさらと描くような、自由で軽やかな線の表情を得ることができます。

ドライポイントによる制作の過程、銅版にニードルで線を刻む 武蔵野美術大学通信教育課程 武蔵野美術大学造形ファイル(https://zokeifile.musabi.ac.jp)より

 これに対して「ドライポイント」は、薬品を使わずに直接尖ったニードルで銅版を力強く引っ掻く技法です。引っ掻いた際に線の脇にできる「マクレ(バリ)」にインクが溜まることで、エッチングの均一な線とはまったく異なる、独特の「にじみ」を伴った柔らかく深い黒が生み出されます。

 レンブラントがこの2つを併用した意図は、画面にドラマチックな抑揚や、明暗のコントラストを与えるためでした。腐食によるエッチングの線だけでは、どうしても画面が平坦になりがちです。そこでレンブラントは、エッチングで大まかな画面の骨組みを描いたのち、影になる部分やボリュームを出したい部分に補助的な役割を超えてドライポイントの強いにじみを重ねていきました。

レンブラント・ファン・レイン《病人たちを癒すキリスト》ステートⅠ(1648頃)和紙にエッチング、ドライポイント、ビュラン 28.2×39.5cm アムステルダム国立美術館

 《病人たちを癒すキリスト》のステートⅠ(1648頃)、「100グルデン版画」(高価なためそう呼ばれた)において、その効果は顕著です。エッチングの柔らかな線で背景や群衆を処理しつつ、周囲の人物の衣服の襟元、画面の隅などには等間隔に、あるいは同心円状にドライポイントの豊かなにじみが配置され、画面全体に独自の音楽的なリズムと重厚な空気感を与えています。

《病人たちを癒すキリスト》ステートⅠの部分 中央のキリストの光がつくりだす影となる部分にリズミカルにドライポイントによるにじみが配されている
《病人たちを癒すキリスト》ステートⅠの部分。人物の衣服の影や画面隅の光が当たらない箇所の表現にドライポイントのにじみが用いられている

 この2つの技法を使う際は、画家の身体性も大きく異なります。素描感覚で動かせるエッチングの軽快な身体性に対し、ドライポイントはニードルを傾ける角度や力加減によってにじみの出方が変わるため、職人的な修練と、版に直接キズを刻み込んでいく肉体的な手応えを伴います。レンブラントはこの異なる身体性を自らのなかに同居させ、版画をたんなる複製の手段ではなく、絵画に匹敵する新たな表現として構築していったのでしょう。

KEYWORD 3:紙
和紙との出会いが拡張した表現の領域

 レンブラントがほかの版画家と一線を画す点のひとつに、版を刷り上げる支持体(紙)に対する執拗なまでのこだわりと実験精神が挙げられます。初期の彼は、当時ヨーロッパで一般的だったスイス産やドイツ産の白い洋紙(ホワイトペーパー)を使用していましたが、1640年代半ば、日本から輸出された「和紙」を手に入れたことで、彼の版画芸術は劇的な転換期を迎えます。技法においてドライポイントの多用が始まる時期と、和紙を使い始め近代的な実験を繰り返す時期は重なっています。

 数ある和紙のなかでも、レンブラントがとくに好んだのが「雁皮紙(がんぴし)」でした。一般的な楮(こうぞ)を原料とした和紙は繊維が長く、繊細な描線の版を刷ると繊維の粗さが残って細い線を潰してしまいます。しかし、繊維が短く、表面に独特の美しい光沢を持つ雁皮紙は、インクの吸着(油分の吸収)が抜群に優れていて、どのような描線も忠実に刷り取ることができます。洋紙では白と黒のコントラストが強く出すぎて画面がパサついてしまうのに対し、雁皮紙はドライポイントの極めて繊細な線の表情や、グラデーション豊かなにじみの広がりをしっとりと受け止め、画面全体の中間調を豊かに拡張してくれます。

レンブラント・ファン・レイン《書斎の学者(またはファウスト)》ステートⅠ(1652頃)和紙にエッチング、ドライポイント、ビュラン 20.8cm×16.1cm アムステルダム国立美術館

 支持体の違いは、版画家にとってたんなる背景の選択ではなく、作品のトーンそのものを決定づける重要な意味を持ちます。レンブラントは雁皮紙のほか、植物繊維とはまったく異なる滑らかな質感を持つパーチメント(羊皮紙、動物の皮をなめしたもの)、さらには絹に刷ることも試みていました。それに加え、紙自体にあらかじめ薄く着色をしてから刷ることもあり、本来はモノクロームであるはずの銅版画に様々なニュアンスを醸し出しています。

 素材そのものが持つ質感や色味に刺激され、自身のイメージをより高い次元へと引き上げていく。和紙をはじめとする多様な支持体の導入は、レンブラントにとって銅版画の可能性を押し広げる挑戦の一環だったのでしょう。

KEYWORD 4:反転
銅版と向き合う鏡像のリアリティ

 銅版画というメディアは、版に描いたイメージが刷る段階で左右反転することを前提としています。そのため、注文制作や極めて精緻な表現を求められる場合、一般的な版画家は下絵をトレーシングペーパーや念写紙を使って裏返し、チョーク(白墨)やベンガラなどを擦り込んで慎重に版へと写し取る作業を行います。

 レンブラントも公的な作品ではこうしたプロセスを踏んだと考えられますが、彼の多くのスケッチ的な版画においては、この反転のプロセスをあえて無視し、版の上に直接ライブ感を持ってドローイングしていた形跡があります。トレースという作業は、それを重ねれば重ねるほど線自体の生命感を徐々に奪ってしまいます。レンブラントは画面の反転によって文字やサイン、衣服の合わせがひっくり返ることよりも、その場で生まれる線の生命を優先していたように思えます。加えて、線とともに彼が重視したのは、図像の正確さよりも、画面のどちら側から光が差し込み、どこに光と影が生まれるのか、という刷り上がったときの視覚効果でした。

レンブラント・ファン・レイン《ぼさぼさ頭の自画像》ステートⅤ(1631) 紙にエッチング、ビュラン 6.4×6.0cm アムステルダム国立美術館
レンブラント・ファン・レイン《帽子を被り笑う自画像》ステートⅠ(1630) 紙にエッチング 5.2×4.5cm アムステルダム国立美術館

 また、銅版画による自画像は鏡像をベースにしたものが反転して正像になる、珍しいメディアです。何も描かれていない新品の銅版はピカピカに磨き上げられており、まるで鏡そのもののように画家の顔を映し出します。レンブラントはその鏡のような銅版に映る自分自身の顔と、ダイレクトに視線を合わせ、ときに変な顔をつくりながら、心のおもむくままにニードルを動かしていったのではないでしょうか。この反転のおもしろさと、鏡像の特性が生むリアリティも、レンブラントが銅版画というメディアに深くのめり込んだ理由のひとつと推察できます。

KEYWORD 5:明暗
線の重なりと拭き残しが紡ぐ、一瞬の暗黒と光輝

 レンブラントの絵画を特徴づけるキアロスクーロ(明暗法)は、版画において、油彩とはまた異なる独自の進化を遂げました。油絵具のように面として色を塗り重ねられない銅版画の世界において、彼は粒子のグラデーションではなく、線の重なり(ハッチング)とインクの拭き加減などによって、闇と光を表現しました。

 絵画であれば、描きながら徐々に全体の明暗をコントロールできますが、銅版画は刷ってみるまでそれがわかりません。製版を終え、インクを詰め、拭き取り、プレス機を通して紙をめくったときに初めて、レリーフ状につくられた光と影の要素が、ひとつの多層的な像として瞬間的に目の前に立ち現れます。それはある種、写真の現像にも似たスリリングな快感であり、多くの版画家は刷るまで結果がわからないギャンブルのような手応えに強く惹きつけられていると思います。

レンブラント・ファン・レイン《羊飼いへのお告げ》(1634)紙にエッチング、ドライポイント、ビュラン 26.3×22cm アムステルダム国立美術館

 「光の画家」として知られるレンブラントですが、彼がこだわったのは黒のなかに無限の階調(トーン)を仕込んだ点です。薬品によって深く穿たれたエッチングの黒、そこにさらにドライポイントを重ねることで生まれる濃密な黒、そして版からインクを完全に拭き取らずにあえて薄く残すことで生まれる中間の黒など、性質の異なる黒をレイヤーのように重ね合わせることで、彼の銅版画は奥深く立体的なボリュームを湛えた絵画空間となり、私たちの目をそのなかに誘い込むのです。

 画面のどこを腐食の黒で沈め、どこにドライポイントの強い影を落とし、そしてどこを支持体(紙)の素地の色のまま「光」として残すか。この明暗へのアプローチは、たんに洗練された画面をつくるためではなく、レンブラントがモチーフとした人間の営みや、肖像のなかに表れる精神性を画面に定着させるために必要な表現手段だったと言えるでしょう。銅版画の限られた要素のなかに、レンブラントの芸術の真髄を見ることができるのはこのためではないでしょうか。

田沼利規《地-衣-体》(2018)和紙にドライポイント 80×65cm

参考文献
K.G.ボーン『レンブラントエッチング全集』(監修・編集:嘉門安雄、翻訳:加藤しをり、三麗社、1981)
貴田庄『レンブラントと和紙』(八坂書房、2005)
武蔵野美術大学通信教育課程 武蔵野美術大学造形ファイル(https://zokeifile.musabi.ac.jp)

※「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展は本稿掲載の作品がすべて展示されるものではありません

編集部