名古屋・栄の新ランドマーク「HAERA」に現れた奇妙な空間。西野達が仕かけたユーモアと親近感に満ちた非日常の体験とは【3/4ページ】

なぜ公共空間か? 日本社会の窮屈さと、前例を積み重ねることの意義

 もともと西野が公共空間を舞台に作品を発表しはじめたのは、ミュンスター美術アカデミーを卒業して同地で活動をはじめた頃のこと。そのきっかけは、美術館で、観客が古いキリスト教美術と現代美術を同じような目線で見ているのに疑問を抱いたことだったという。

 「アーティストも美術の歴史もどんどん変化していくので、昔ならアートと思われていなかったような作品が美術史の最先端になることも普通にある。でも、美術館に展示されているすべての作品ははじめからアート然として飾られている。アートかアートじゃないか決めるのは観客自身なのにね。であるなら、最初からアートのお墨付きがもらえない屋外で、美術館やギャラリーに滅多に行かないようなごく普通の人々を相手に俺の作品を見せることの方が面白い。それと同時にアートは、あるいはアートを感じる感性はすべての人々に必要だと考える俺にとって、屋外で作品発表する方が手っ取り早いと思ったんだ」。

 以来、ケルンにあるモニュメントの周囲に自腹で部屋を建造したデビュー作《obdach 宿あり》(1997)を皮切りに、先述のハチ公のプロジェクトなど、様々な都市の屋外で発表をしてきた。

 ただ、国内外での数々の経験を踏まえ、西野は「世界のなかで、こういった公共を舞台にしたプロジェクトを一番やりにくいのが日本」だと言って憚らない。

 「例えば堅物だと言われるドイツ人の場合、公務員でさえも、公共空間での挑戦的なアイデアを面白がるんだよね。だって、屋外に見たことのないものをつくるんだから、誰でもワクワクするはずじゃない? いっぽうで日本では、すぐに『危険だ』『迷惑だ』という話になる。許可を出す人たちが、自分自身の人生を楽しもうとしていないんじゃないかな」。

 ドイツにおいて西野のような挑戦が受け入れられる背景には、半世紀続くミュンスター彫刻プロジェクトや、70年以上続くドクメンタといった歴史ある芸術祭の積み重ねなどにより、「市民とアートの距離感が近いこともあるはず」と指摘する。日常のなかに、当たり前に非日常があることが受け入れられる社会。その前例を更新していくという点にも、HAERAのようなプロジェクトの意義はある。

編集部