フェルメールの再評価について
──フェルメールの死後、その評価はどのように変化していったのでしょうか。
青野 1675年に43歳で亡くなった際、戦争による不況の影響もあり、フェルメール家は多額の借金を抱え、未亡人は破産申告をしました。死後、18世紀に書かれたオランダの画家たちの伝記『ネーデルラントの画家たちの大劇場』(アーノルド・ホウブラーケン著)にフェルメールの名前が掲載されなかったことや、21点ほどの作品が特定のパトロンの元にまとまっていて他人の目に触れにくかったこと、作品数自体が少なかったことなどから、次第に人々から知られない存在になっていきました。 とはいえ、18世紀の間もオランダ国内では知る人ぞ知る画家ではあったようです。
──そんなフェルメールですが、いまや世界中で知られる画家となりました。人々から一度忘れられてしまった時代から、何がきっかけでここまで評価されるようになったのでしょうか。
青野 19世紀半ば以降、フランスの美術批評家であり画商でもあったトレ・ビュルガー(1807〜69)が、フェルメール作品を「忘れられた画家の再発見」というかたちで大々的にアピールしたことで、一気に知られるようになりました。
当時のフランスでは日常的な情景を描く絵画への関心が高まっていた時期でもあり、フェルメール作品の紹介が非常に受けたのです。わたしたちが抱いている「謎の多い天才画家」というイメージは、この19世紀にトレ=ビュルガーが商業的にアピールした過程でかたちづくられた部分も大きいと言えます。
いま、フェルメールをどう見るか
──近年の調査や研究によって、新たにわかってきたことがあれば教えてください。
青野 2023年の大規模展覧会「Vermeer」(アムステルダム国立美術館)やその前後に発表された最新の調査・研究によって、複数の新事実が明かされています。
そのひとつが、フェルメールの制作を支えたパトロンの実像です。これまで長らく夫婦、とくに夫のピーテル・クラース・ファン・ライフェンがパトロンと思われていましたが、近年の史料調査により、じつは妻であるマリア・デ・クナイトという女性がメインのコレクターであった可能性が極めて高く提示されました。

彼女は昔からフェルメールの近所に住んでおり、自身の遺言でフェルメールに個人的なお金を遺そうとするなど、画家としてのフェルメールを高く評価していました。作中に登場する印象的な黄色い洋服や女性を中心としたテーマは、彼女自身が気に入って注文していた可能性もあります。
さらに、科学調査によって描くプロセスの試行錯誤が見えてきたり、《フルートを持つ女》(1665〜75頃)という作品の帰属をめぐって周囲にいた人物や工房の存在が議論されたりと、フェルメール研究は新たな局面を迎えています。
──最後に、最新の研究を踏まえて、これからフェルメールの作品を楽しむためのヒントがあれば教えてください。
青野 フェルメールは、史料が多くは残っていない画家ですが、だからこそ近年の調査によって新たな事実が見えてくる面白さがあります。フェルメールは同時代の仲間やパトロンと交流し、人間関係を広く築きながら制作していました。これからフェルメールの作品にふれる際には、ただ「謎の画家」として見るだけでなく、その実像や背景に想いを馳せていただけると、また違った面白さが見えてくるのではないかと思います。



















