「民藝SHOCK!!―没後60年 静嘉堂の河井寬次郎」(静嘉堂@丸の内)開幕レポート。昭和初期作品が一挙公開

東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館で、「民藝SHOCK!!―没後60年 静嘉堂の河井寬次郎」が開幕した。会期は11月8日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

第3章「創造の源泉」の展示風景

 東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館で、「民藝SHOCK!!―没後60年 静嘉堂の河井寬次郎」が開幕した。会期は11月8日まで。担当は同館学芸員の山田正樹。

 大正・昭和期を代表する陶芸家・河井寬次郎(1890~1966)。1925年に柳宗悦や濱田庄司らとともに「民藝(民衆的工藝)」の語を生み出し、「用の美」を意識したやきものを数多く生み出した。本展は、寛次郎の没後60年、そして「民藝」の誕生から約100年という節目に開催されるものだ。

 同館が所蔵する51点の寛次郎作品は、すべて1924〜37年頃に制作されたもの。寛次郎が民藝運動の中心として精力的に活動し、「用の美」を意識した暮らしに溶け込む作風を展開した「中期」の作陶にあたる。本展ではこの貴重なコレクションの全貌を初めて一堂に公開するとともに、同館所蔵の日本各地の民窯、朝鮮王朝時代の「李朝」陶磁、中国の古陶磁などをあわせて展示。寛次郎がインスピレーションを得た創作の源泉に迫る。

第1章「『彗星』出現ー寛次郎の大正時代」

 会場は全4章構成となっている。第1章では、大正時代に「彗星」のごとく登場した寛次郎の初期作品と、寛次郎に影響を与えた中国古陶磁が並ぶ。中国や朝鮮の古陶磁が美術品として広く認識され始めた時代、寛次郎もまたその美に強い刺激を受けた。

河井寛次郎《繡花青瓷蟹爪文花缾》(1922頃) 個人蔵

 例えば、南宋官窯を代表する《青磁鼎形香炉(せいじていがたこうろ)》に見られる青磁釉の厚みや「貫入(ひび割れ)」。これに強く呼応したのが寛次郎の《繡花青瓷蟹爪文花缾(しゅうかせいじかいそうもんかへい)》だ。不規則な弧状のひび割れを指す「蟹爪文」という表現からも、寛次郎が宋代官窯を強く意識していたことがうかがえる。

河井寛次郎《草花壺》(1925頃) 個人蔵

 また、宋代の陶器に触れた寛次郎は、それらが名もなき職人によってつくられた点にも感銘を受けたという。「作者の名前などは宋時代のものには何もない。これがわたしには大きな悦びでした」(「鐘谿窯談話」『高島屋美術部五十年史』、1960)と言葉を残した通り、作品に印銘を捺さず、箱書も蓋裏のみにとどめ、シンプルな作品名を採用するスタイルへとつながっていく。

第2章「民藝の衝撃ー『李朝』のやきもの、英国のスリップウェアと『下手物』」

 第2章では、寛次郎の作風に決定的な変化をもたらした「民藝」との出会いを紐解く。大きな転機となったのが、1924年に寛次郎の友人であった濱田庄司(1894~1978)が英国から持ち帰った「スリップウェア」との出会いだ。英国の庶民が日用雑器として使っていたこの陶器は、産業革命に伴い衰退していたが、バーナード・リーチ(1887~1979)や濱田らがその美を再発見した。さらに寛次郎は、柳宗悦(1889〜1961)が紹介した朝鮮王朝時代の白磁などの造形美や、日本各地の「下手物(雑器)」の力強さにも大きな衝撃を受ける。古陶磁や日用雑器を通じて互いの美的直観を認め合った寛次郎、柳、濱田の3人は、1925年に「民藝(民衆的工藝)」という言葉を生み出すに至る。

《スリップウェア皿》(イギリス、18〜19世紀) 日本民藝館
河井寬次郎《渦巻鉢》(1927頃)
河井寛次郎《海鼠八方鉢》(1927〜28頃)

 会場に展示されている《渦巻鉢》(1927頃)には、白い泥絵具を手早く流して文様を描く「流し描」の技法が用いられている。丹波(兵庫県丹波篠山市)や上野(福岡県福智町)などの民窯で見られるこの技法をはじめ、各地の雑器が持つ技法や造形美を自らの作風へと取り入れていったプロセスの具体例を展示作品から見ることができる。

編集部