アール・ブリュットとマーケット
ここで注目したいのは、abcdコレクションの受贈に際し、ポンピドゥーを構成する機関のひとつである国立近代美術館のベルナール・ブリステンヌ館長が「今日、アール・ブリュット作品の一部が到達している価格のことを考えると、このようなコレクションを少しずつ形成していくことなど、考えられません」とコメントしている点だ。
実際、アール・ブリュットを代表するアドルフ・ヴェルフリの作品は、現在オークションで10万ドル(約1600万円)を超える落札額となっている。2023年10月のParis+ par Art Baselでは、Andrew Edlin Galleryのブースでジュディス・スコット(1943〜2005)の作品が記憶のかぎり1000万円以上の価格で販売されていた。25年4月にはニューヨークのGladstone Galleryでチェコ出身のアンナ・ゼマンコヴァ(1908〜86)の個展が開催され、James Cohan Galleryの「Works Available」の欄には澤田真一の名前が長く掲載されている。

アール・ブリュット専門のフェアもある。1993年にスタートした「アウトサイダー・アート・フェア」がそれで、ニューヨークで毎年開催されている。2012年にAndrew Edlin Galleryのサテライト企業であるWide Open Artsによって買収されて以来、運営やセレクトの質が向上し、アール・ブリュットの周知に大きく寄与することとなった。

アール・ブリュットは美術史という評価基準および美術館という制度の外部にある。しかし、かつて交換や贈与というかたちでつくり手から個人の手に渡った作品の一部は、やがて市場へ流出していった。需要と供給の関係から市場での価格は上がり、いまでは、アール・ブリュットの価値に気づきコレクションを形成したいと考えたとしても、ポンピドゥーですら購入というかたちではできないほどになってしまった。
そのとき、美術館はどうすべきか。収蔵を諦めるのか。ポンピドゥーのような「リーディング・ミュージアム」であれば、主要なコレクションの獲得に動くということもできるだろうし、コレクター側もポンピドゥーであればと、寄贈という選択肢をとってくれる可能性はある。しかし、そうではない美術館はどうか。購入も受贈も叶わないとなると、必要であるはずの作品を欠いたまま「これらこそがアートなのです」と見せなければならなくなる。美術館(とくに、museum of fine artsではなく、museum of artを名乗る館)は、建築やデザインなども含めつつ可能なかぎりの総合性を目指すべきであるにもかかわらず、だ(このあたりの感覚について、日本の美術館はファイン・アーツでもなければアートでもなく「BIJUTSU」という概念に縛られていて、あまり意識できていないように思えるのは私だけだろうか)。
もちろん、総合性を目指すといっても、完璧に網羅することは不可能である。だからこそ美術館は収集方針を表明してきた。しかしそのやり方では、方針に選ばれなかったものがなんであるかは見えづらい。そして、その方針の下での収集において、なにが漏れてしまっていったのかもなかなか認識しづらい。



















