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2021.7.11

滋賀県立美術館ディレクター・保坂健二朗インタビュー。目指すのは「リビングルーム」としての美術館

約40年の歴史を持つ滋賀県立近代美術館(1984年開館)が今年6月、「滋賀県立美術館」として新たに開館を迎えた。この新しい美術館を率いるのが、新ディレクター(館長)として就任した保坂健二朗だ。開館を直前に控えたタイミングで、保坂に今後の展望を聞いた。

聞き手・文=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

保坂健二朗
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なぜ「ディレクター」なのか?

──まず名刺交換をして新鮮だったのが「ディレクター」という肩書です。日本の公立美術館でこの名称を使っているところはほぼないと思うのですが、なぜ「館長」ではなく「ディレクター」なのでしょうか?

 そもそも「館長」というのは職位ですよね。僕としては「誰の上にいる」とかそういうことをひけらかすようなものではなく、どういう役割でこの美術館にいるのかを明確に示したいと考えていたんです。「館長」は英語で言うと「Director(ディレクター)」であり、ディレクション(方向性)を決める人のことを意味します。僕はそうした職能、役割を明確にしたいと思い、就任する際に「ディレクターと名乗りたい」と県にリクエストしました。最初は「難しい」という反応でしたが、三日月知事の「よいと思う。やったらいいじゃないか」という強い後押しがあって決まった。だから正式な辞令にも館長(ディレクター)と書いてあります。日本の博物館法では、「博物館に、館長を置く。」(博物館法第一章、第四条)と明記してあることから、「館長」という肩書自体をなくすことはできませんが、県庁内では滋賀県立美術館の館長をディレクターと呼ぶ、ということが正式なものとして受け入れられています。

 ディレクターという名称を選んだもうひとつの大きな理由としては、専門職であることを明示したいという気持ちからですね。美術業界では僕のことをご存知の人がいるかもしれないけれど、滋賀県庁の職員や県民、あるいは関西の方々は僕のことを知らないでしょう。そうすると、滋賀県立美術館の館長に若い人が就任したとなっても「誰やねん」となってしまう。そこで、「この人はディレクターなんだ、ディレクションをする人なんだ」とストレートに伝われば、少なくとも美術あるいは美術館の専門家であることはわかってもらえるだろうと思ったんです。

 そしてさらに言えば、いまこうして質問を受けているように、館のアピール・ポイントになります(笑)。広報予算があまりない美術館なので、言葉の力でアピールしていくほかないんですね。だからキャッチフレーズを考えたり、色々試しているのです。

滋賀県立美術館の新たなロゴ
滋賀県立美術館エントランス

 ──画期的ですよね。専門職であることを明示したい、という考えはよくわかります。日本の公立美術館の館長は行政側から来る場合と、キュレーターを経て館長になる場合の2パターンがありますが、ともに「館長」であることには変わりはありません。

 学芸員が館長になる場合でも、いろんな意味であやふやなわけです。館長がキュレーションをやることもあるし、その場合、館長自らの企画が一番通りやすい状況になってしまっている館もある。それって結局館長の役割が明確ではないということなんですよね。

 だから僕としては──美術館運営の経験はありませんが──「運営に専念する」という意思表示でもあるんです。館長兼学芸員ではなく、ディレクションをするんだと。ただ、いろんな経緯から、年度末のアール・ブリュットの展覧会はキュレーションすることになりました。

滋賀県立美術館エントランス。生け込みはアーティスト・野田幸江、花器はNOTA&designによるもの

──これまでの日本の美術館の場合は、ウェブサイトを見ても誰が館長なのかわからなかったり、ステートメントがないケースが多い。新しい公立美術館の姿を示していきたいという意志を感じます。保坂さんはいま45歳ですが、美術館館長としてはかなり若い方ではないでしょうか。

 就任したときは44歳で、県立美術館としては最年少かと思いきや違ったんです。じつは滋賀県立近代美術館の初代館長は女性(上原恵美)で、しかも当時30代でした。

──それはすごい。いまだったら大きな話題になりますね。

 当時も「女性で初の公立美術館の館長」というかたちで取り上げられていたようですが、あまりにも早すぎたのか、その後が続かなかった。だから僕はいま、滋賀県立美術館は初代館長が女性だったんですよと積極的に話すようにしています。

──保坂さんは大学院を修了して以降、24歳から約20年にわたり東京国立近代美術館(以下、東近美)で研究員を務めてきましたよね。そんな方が、滋賀というまったく別の場所でディレクターになるという決断をされた背景には何があったのでしょうか?

 もともと僕は日本の美術館の館長職は若返るべきだという持論を持っていて、30代でもいいくらいだと思っているんです。海外ではいくつもの事例があります。しかし日本の美術館はほとんどが国公立で、行政組織としては、ある程度のポジションまで昇っていかないと館長にはなれないという問題がある。そんななかで館長の打診をいただいたわけです。自分の持論に合致する話が来たのだからやるべきだろうと。

 それに僕は働き始めたのが早く、東近美に20年間在籍していたので、ある種の「区切り」がついた感じもありました。もしそのまま東近美に残っていた場合、次になるかもしれないポジションは管理職である課長なのですが、同じ管理職なのであれば館長のほうをやってみたいと思ったんです。

──滋賀との関わりはもともとあったのでしょうか?

 そうなんです。2011年から「美の滋賀」という嘉田由紀子知事(当時)直轄の懇話会に参加していました。僕がそこに入ったのは、滋賀県にとって重要なアール・ブリュットについて詳しいキュレーターという理由からだったのですが、それも珍しいことでしたね。当時、僕は30代半ばで他のメンバーと比べたらかなり若かった。専門家であれば若くても入れてしまおうという姿勢から、滋賀県は面白いなと感じたんです。そこから10年間、滋賀でなんらかの委員をずっとやってきたこともあって、今回の(館長の)打診があったのかなと思っています。

 県庁の人たちと話をしていても、みんな文化が好きなんですね。いま国の方針では文化と経済をどう結びつけるかという方向に大きくシフトしていますが、滋賀県はもう少し地に足のついたかたちで、美術館の人も県庁の人も、そして県議会の議員さんたちも、滋賀の文化の発信のことをちゃんと考えている。

「ウェルカムゾーン」(エントランスホール)。天井から吊るされた白いテキスタイルは武田梨沙の作品で「Soft Territory」展の出品作

なぜ館名から「近代」は消えたのか?

──滋賀県立美術館については当初、「新生美術館」構想がありましたよね。紆余曲折を経て新たに美術館を建てるという計画がなくなり今回のリニューアルとなった。リニューアルのポイントについてお聞かせください。

 まず当初は「神と仏の美」「近現代美術」「アール・ブリュット」という3本柱で新生美術館をつくるという話があり、設計者を選ぶプロポーザルではSANAAが1等になったものの、途中でその入札が不落になるなど、計画自体がなくなりました。しかしそもそも増改築する予定だったので、収蔵品はすでに館の外に出してしまっていたんですよね。だから少なくとも老朽化対策や展示室・消防設備のアップデートはしようとなったわけです。しかし、展示室が新しいということは一般の来館者にはなかなか気づいてもらえない。それに、インフラの更新だけでは数年間の休館には見合わないですよね。

 だから、僕らがいま「ウェルカムゾーン」と呼んでいるエントランス周りをきちんとバージョンアップしていこうと。ロビーにカフェを設置し、もともとレストランだったスペースをキッズスペースにコンヴァージョンする。そのプロポーザルでgrafがデザイン監修を担当し、UMA/design farmがグラフィックやサイン計画を担当することになり、新たな什器や照明の製作など、エントランス周りの機能整備ができたんです。

「ウェルカムゾーン」(エントランスホール)

──明るくてゆったりした空間になっていますよね。この建築と同じくらいインパクトがあるのが、館名から「近代」がなくなったことだと思います。これにはどういう意図があるのでしょうか?

 じつは東近美時代にも僕がワーキンググループのリーダーになるかたちで、館名を変更するか、「近代」を取るか否かという議論をしたことがあるんです。そこでは、美術館が新しく定めたヴィジョンに基づくVIを検討するとともに、いっそ館名変更も視野に入れた方がいいのではないかというブレスト的な議論をしました。最終的には館名もVIも変える必要はなく、むしろもっと積極性を持って活動をするべきという結論に達しましたが。

 東近美の歴史について話をすると、あそこはもともと「国立近代美術館」で、その後1963年に京都分館ができ、それが1967年に分館から独立した美術館に昇格する際に、東京と京都の差別化を図るために「東京」「京都」をそれぞれの頭に付けたという経緯があります。日本は美術館にしても博物館にしても国立館の館名の頭にその地域名を持ってきますが、ちょっと分かりにくいですよね。これは冗談みたいな本当の話なんですが、僕が昔、熊本の山奥の居酒屋で名刺を見せたら「とうきょう“くにたち”きんだいびじゅつかん」と読まれたことがあるんですね(笑)。それくらい知らない人には伝わらない。

 話を戻しますが、「近代」について言うと、多くの人にきちんと理解されていないように感じるんです。本来「近代」とは時代概念であるとともに、価値概念でもある。つまり、中世・近世・近代・現代のような区分が前者だとすると、「モダンであること」は後者です。ニューヨーク近代美術館(MoMA)のように、モダンであることを追求する美術館であれば「近代美術館」であっても現代美術を扱っていいわけです。

 しかしながら、美術の同業者や文化行政の人たちからも「なんで東近美が現代美術をやるんですか?」と言われるくらい、日本における「近代」というのは時代概念に引っ張られてしまっている。そういう誤解を招くのであれば、いっそ「近代」は取ったほうがいいんじゃないかと思ったんですが、東近美のワーキンググループでは(当然ながら)話はまとまらなかった。東近美は「日本の近代の美術を見せる」という重要な役割があるのだからと自分を納得させたんです。しかしながら、滋賀県美の場合は日本の近代美術の歴史を見せる、という大きな役割を担うだけのコレクションも資金もない。それに時代区分でいうと、滋賀県美は江戸期の絵画など近世美術のコレクションがそれなりに豊富で、展覧会も数多くやってきた歴史があります。また近代の美術よりは現代の美術のほうをより多く持っています。

 さらに、2016年から滋賀県美はアール・ブリュットの収蔵を始めているのですが、アール・ブリュットはジャン・デュビュッフェが1945年に近代(前衛主義)に対する反省から生み出した概念であり、その概念に合致している作品を収集している美術館が「近代」と冠し続けるのは自己矛盾となってしまうわけです。

リニューアルのこけら落としとなったコレクション展「ひらけ!温故知新 ─重要文化財・桑実寺縁起絵巻を手がかりに─」展示風景

──なるほど大きく2つの理由があったと。

 まだほかにもあって、東近美時代にヒアリングしたのですが、「近代美術館」というだけで若い人たちが「自分たちには関係ない美術館」と認識してしまう。そういう人たちに近代という時代につくられた美術を知ることの重要性をわかってもらうことも大事ですが、それならばまずは美術館そのものに親しみを持ってもらうことが必要です。館名から「近代」を取ることでそうなるのであれば検討に値するだろうと。

──「親しみ」という点から言うと、「滋賀県立近代美術館」は1984年の開館時のコンセプトに「県民の応接間」ということを掲げていたんですよね?

 それは上原初代館長が考案したいくつかあるコンセプトのひとつですね。80年代は少し背筋を伸ばして文化に触れましょう、そういう場所を自治体が用意しましょうという考え方があった。でもいまは2021年です。コンセプトもアップデートしたほうがいいということで、「リビングルームのような美術館」を提案しました。

 じつはこれには元ネタがあって、隈(研吾)さんが V&A ダンディー(イギリス)を設計したときに「Living Room for the City」という言葉を掲げていたんですね。V&A ダンディーには僕も3回ほど行きましたが、とてもいい美術館で実際に市民のリビングルームのように使われているんです。

 美術館が豪奢なロビーを持つことが否定された時代もありましたが、隈さんは新しい美術館にすり鉢状のロビーをつくり、そこにショップやカフェを据えることで、美術館を街のためのリビングルームとして打ち出した。当館は新しい建物ではないですが、そこにgrafがデザインしたいろんな什器を入れることでまさにその「リビングルームみたいな空間」をつくることができたんです。

「ウェルカムゾーン」(エントランスホール)
「ウェルカムゾーン」(エントランスホール)

「何気なく来てくれるような美術館をつくることで初めてコミュニティと美術館は接続する」

──2019年に行われた国際博物館会議(ICOM)の京都大会では、美術館をいかにコミュニティと接続するかという議論が行われていました。リビングルームというキーワードはコミュニティとの関係を考えるうえでも有効なように聞こえます。

 そうですね。当館は街ではなくて(東近美と同じように)公園の中にあるがゆえに、コミュニティと直接関わるというのはなかなか難しいですが、東近美がある北の丸公園とは違い、週末になると親子連れがたくさん来る環境ではあります。だからこそ、この公園に来ている人たちにどうやって美術館に入ってもらうかを真剣に考えなくてはいけない。そのために美術館と公園の一体感を高めながら、心理的・物理的なバリアをなくしていくことが重要になります。

 公園の来園者が自然と美術館に来るようにしたいんですね。「美術を見に行く」というよりは、「美術館に行く」ようにしたい。極端な話をすれば、展覧会が期待通りのものでなくても、美術館建築がよかったり、カフェがきちんとしていたりすれば、気持ちは相殺されるじゃないですか。美術館に行く体験というのは展覧会だけじゃなく、いろんなこととセットなのだから、展覧会以外の部分も、明確な理念のもとにちゃんと整えておく必要があるんですね。そこを日本の美術館は真剣に取り組んでこなかったのではないでしょうか。

「ウェルカムゾーン」にあるショップ&カフェ
ゆったりくつろげる「ソファのある部屋」

──それは同意です。日本の多くの美術館は企画展ベースで、「催し物会場」のようになっていますよね。これはメディアが共催に入るブロックバスター展の問題とも関連しますが、美術館そのものに行くというよりは、展覧会を見に行くだけの場所になっている。

 何気なく来てくれるような美術館をつくることで初めてコミュニティと美術館は接続するんだと思います。

──そういう意味において、ウェルカムゾーンは持ち込みを含む飲食が可能というのも頷けます。

 美術館の中は公共空間であるべきだと考えた場合、美術館の中ではお金を払わないと飲食ができないというのはちょっと違うなと思ったんですね。当館はエントランスロビーと展示棟がわかれているのでロビーを飲食可のゾーンとすることができる。そこで、ロビーを飲食可として、普通はしないことですが持ち込みもOKとしました。このようにしてロビーの公共空間化を図るのは、海外を含めてあまりないことだと思います。

館内通路からは中庭である「コールダーの庭」が見える

──まさにリビングルームのようにくつろいでほしいと。

 そうです。リビングルームに絵が飾ってあるように、くつろぐついでに(作品や展覧会を)見ようという感じで美術館を気軽に使ってほしいんです。そこでいま検討しているのが所蔵品展の曜日単位での無料化です。これは結構ハードルが高いのですが、企業から寄付金を頂戴することで実現したい。MoMAがやっている「ユニクロ・フリー・フライデー・ナイト」(編集部注:ユニクロがスポンサーとなって金曜夜間の入館料を無料にする取り組み)のように、プログラムに企業の冠を付けることで入館料を曜日単位ではありますが無料にできるのではないかと考えています。すでに国内にも事例があるので、それらを参考にしつつ県の財政課と話をし、制度設計まで終わっています。

リニューアルのこけら落としとなった「Soft Territory かかわりのあわい」展示風景より

 もともと当館の所蔵品展は小中学生は無料ですが、彼らを連れてくるであろう親の分は料金が発生します。子供が入りたくても親が「やめておこう」と判断してしまうこともあるでしょう。そうやって失われるのは子供の鑑賞機会です。でも親も含めて無料となれば入館してくれる可能性はぐっと上がるし、そうすれば親子で美術館を体験できる。企業にしてもブランドイメージがアップするし、美術館としてはそういう人たちが今後リピーターになってくれれば嬉しい。みんながハッピーになれるはずなんです。

 もうひとつ無料化したい理由としては、子供の貧困があります。子供の貧困率が社会問題になっているいま、経済的に厳しい家庭では美術館に行くという行為はおそらく真っ先に切り捨てられる。もともと日本で美術は「無駄なもの」「贅沢なもの」と思われていますから。でも美術館に携わっている者からすればそれは逆で、美術館で美術を体験することは一般的なものであってほしいんです。辛いときにも、いや辛いときにこそ見てほしい。あるいは、ワークショップに参加してほしい。経済的に大変な人たちにどうやってその体験を提供できるのかを考えると、無償化をトライしたほうがいい。だけど本当に無料にする(つまり収入を放棄する)ことは運営上できないので、企業や財団などからの寄付を頂戴することで実現したいと。まだどこからの支援になるかは確定していませんが、僕の想いとしてはそういうことです。

ウェルカムゾーン(エントランスホール)

──公立美術館は市民のものであって、コレクション展は無料にすべきだと私も思います。

 条例で県立の施設の料金が一律で決められてしまっているんです。その結果滋賀県立美術館の場合、いわゆる常設は一般が540円となっていて、これは面積と料金の比率で考えた場合、国内でも高いほうになります。この不利な状況をなんらかの方法で変えるべく、時代や立地にあわせた制度設計をしたり、それに向けての提案をするのもディレクターの大事な仕事なのかなと思います。

滋賀でしかできないことを

──プログラムはどういう方針で設計されるのでしょうか?

 収集方針としては、日本美術院を中心にした近代日本画、郷土滋賀県ゆかりの美術、戦後のアメリカと日本を中心とした現代美術、そしてアール・ブリュットとなっていて、実際それに沿っていると言えるのですが、展覧会のほうは、いろんな時代やジャンルをやりすぎていた時期があり、特色があるとは言えませんでした。いっぽう、休館前までの入場者数を調べると4割が県外で、この比率はわりと高いほうです。そこから言えるのは、滋賀県でなければ見られないものを展示する必要性があるということです。これまで来館していなかった県内の方々を増やすためには、むしろ、共感、興味をもってもらえるような滋賀県にまつわる展覧会をもっとちゃんとやったほうがいい。ですから初年度は滋賀関連の展覧会ばかりですね。

リニューアルのこけら落としとなった「Soft Territory かかわりのあわい」展示風景より

 また当館の開館のきっかけになった小倉遊亀をはじめ、志村ふくみさん、川内倫子さんなど滋賀出身の女性作家は多いので、それはきちんとアピールしたほうがいいだろうと考えています。

 ちなみに橋爪さんは滋賀ってどういうイメージがありますか?

──率直に言って「琵琶湖」や「近江牛」くらいのイメージしかないかもしれません……。

 ですよね。それはどちらも一次産業に関わりを持ちますが、じつは二次産業が盛んな県なんです。県内総生産の約47.5パーセントを二次産業が占めており、この比率は全国で1位なのですが、こういう事実はあまり知られていない。そういう部分をアピールするのも県立美術館の役割だと思うんです。しかも滋賀にはエントランスを佐藤可士和がデザインした日清食品の工場や、古谷誠章 + NASCAが設計したルピシアの工場もあるんですね。MoMAはかつてベアリングなどを展示した伝説的な展覧会を行い、機械や工業に対する人々の意識を変えましたが、例えばそういうことをやればいいと。そうすることで滋賀の産業のイメージアップ、ブランディングに美術館が寄与できます。

 ただ、こういういろんなことをやろうとすると、展覧会のスケジュールとの兼ね合いがうまくいかないという問題が起きます。通常、国公立美術館での展覧会は数年単位で先々の予定が決まっているものですが、企業系の展示となると「すぐにでも」という話になる。幸い当館には、展示室ほどのスペックはないものの、いろんなことに使える「ラボ」を設けましたから、ここを企業や大学との連携のためにも使っていこうと考えています。そこで滋賀のブランディングを、ファイン・アートとは別の角度から担えればと。

ラボの様子

──そうすることで県内や県庁内での美術館のプレゼンスを高めていくと。

 困ったときに「美術館に相談してみよう」となってくれればいいですね。今回のリニューアルでは県民であれば1日1200円ほどで使える8平米くらいの小さな「ポップアップ・ギャラリー」もつくっていて、そこでは作家が自分の作品を売ることもできるんですよ。

ウェルカムゾーンに設けられたポップアップ・ギャラリー(左)

──ウェルカムゾーンの飲食可能もそうですが、今回のリニューアルはこれまでの美術館の常識を覆すような試みが多く行われていますね。「開かれた美術館」という言い方がありますが、それを想起させます。

 じつは監視員さんにも展示室内でのおしゃべりは大声でなければ止めなくていいと伝えてあるんです。赤ちゃんが泣いていても出ていってくださいと言うのではなく、むしろ他のお客さんの理解を求めていく。この美術館は赤ちゃんや親子連れがウェルカムだから、そういう気持ちで会場監視をしてくださいと。

 結果的に建物は新築にできなかったけれど、意味として「開かれたもの」にできるんですよね。使い方や考え方を変えることで、建物の意味や雰囲気も大きく変わってくるし、それによって来場者が親しみを持ってくれればいいですね。

広大なキッズスペース