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地域レビュー(東京):齋木優城評「六本木クロッシング2025展」、「マルチプル_セルフ・ポートレイト」【2/2ページ】

ユアサエボシの展示、マルチプル_セルフ・ポートレイト」より(東京都現代美術館

 続いて紹介したいのは、2025年に開館30周年を迎えた東京都現代美術館のコレクション展「マルチプル_セルフ・ポートレイト」である。このコレクション展においては、森村泰昌ユアサエボシ松井えり菜の3名は同館収蔵作品のほか、借用作品を交えた特別構成の展示が展開されていた。さらに、同コレクション展は「セルフ・ポートレイト」、すなわち自画像あるいは自写像という切り口から、ミヤギフトシ横山裕一、開発好明、豊嶋康子、郭徳俊、アンディ・ウォーホルらといった作家の収蔵作品が紹介されていた。なかでも、とくに松井えり菜の近年の作品群には、妊娠・出産と子育ての経験が自己認識に変化を与える様子が自画像を通じてユーモラスに表現されており見応えがあった。

 同コレクション展のなかでも異色の展示構成となっていたのが、ユアサエボシ(1983〜)の作品群である。ユアサは、大正生まれの架空の三流画家「ユアサヱボシ(1924〜1987)」に擬態して作品を発表している(*7)。会場内には「架空の三流画家 ユアサヱボシの略歴」と題された年表が堂々と掲示してあり、非常に詳細なヱボシのプロフィールが明かされていた。架空の年表によれば、ヱボシは1924年に千葉県東葛飾郡に生まれ、16歳で福沢一郎絵画研究所の門を叩き、エルンストの作品を見て画家を志す。その後、山下菊二と出会い、戦時下で画材が入手できないなか、雑誌の挿絵を利用したコラージュをつくり始める。ヘルニアのため徴兵検査には不合格となり、進駐軍の米兵との関わりからアメリカに興味を持ち戦後は渡米。その後はシェル美術賞の佳作入選などを経るも、1985年にアトリエ兼自宅が全焼し、そのときのやけどがもとで1987年にその63歳の生涯を閉じる……。なんの前提もなしに読めば、まるで本当にそんな画家が実在していたかのような錯覚に襲われるほど、ヱボシの人生に関して詳細な設定が共有されている。「ありえたかもしれない過去」をするユアサの活動は、徹底してスペキュラティブな実践であるといえよう。

「開館30周年記念 MOTコレクション マルチプル_セルフ・ポートレイト」展(東京都現代美術館、2025)の展示風景より、左はユアサエボシ《軍装姿の自画像》(2022、高松市美術館蔵) Photo by Masaru Yanagiba 写真提供:東京都現代美術館

 例えば、《軍装姿の自画像》(2022、高松市美術館蔵)は、書き割りのジャングルを背景に、測量ポールを持ち、ビニールマスクをつけたヱボシが軍服姿でポーズをとった作品である。架空の年表からわかるように、ヱボシは徴兵されず戦地には赴かなかったという設定のため、この作品には二重の嘘が含まれているといえる。会場に設置されたキャプションによれば、ヱボシが手にするポールは彼が一時期従事していた道路工事関係の仕事を示唆するものであり、ビニールマスクはテレピン油のアレルギーのため、福沢一郎研究所で身に着けていたものだという。ヱボシにとってみれば、近しい存在だった山下菊二が徴兵され戦場を体験する様子(*8)などを実感していたわけで、その心境は複雑だったのかもしれない。ビニールマスクの下の表情は無機質で、徴兵検査に不合格だったことへのコンプレックスや罪悪感が滲んでいるようにも、戦地へ赴くことへの恐れと緊張が見てとれるようでもある。

ユアサエボシ《GHQ PORTRAITS》(2017)の展示風景 撮影:筆者

 さらに、《GHQ PORTRAITS》(美術館内のキャプション上では実際の制作年である2017年の作品と記載されているが、ヱボシの架空年表上では1945年頃の作品であることが拝察される)では、糊口をしのぐべく進駐軍の米兵相手に描いたという設定の似顔絵が18点展示されていた。これらの似顔絵はすべて瓦に描かれ、一部は経年劣化によって変色したり、欠けている部分もある。これらは「2016年にワシントン州にあるダニエル・ボリアン(54)の自宅屋根裏で偶然発見された作者不明の似顔絵」であるという設定も付随しており、似顔絵の脇にはそのことを報じる新聞記事、それぞれの似顔絵のモデルとなった兵士の名前の一覧表までが掲示されていた。当然、これらすべての情報は虚構である。しかし、ユアサはインタビューのなかで、合成繊維に似顔絵を描いた「きぬこすり絵」という土産物が、戦後アメリカ兵を相手に流通していたことも実際にあると述べており、虚構と現実が巧妙にリンクする状況がつくり出されている(*9)。考えてみれば、先のセクションで言及したひがれおの「琉球人形」も、沖縄に進駐した米兵向けの土産物として流行していたものなのだ。ユアサとひがれおの作品は偶然にも重なり合い、たんなる旅の記念品ではなく、ある種のコロニアリズムや権力関係を象徴する品としてのスーベニールの存在が示唆されている。

「開館30周年記念 MOTコレクション マルチプル_セルフ・ポートレイト」展(東京都現代美術館、2025)の展示風景より、ユアサエボシの作品群 Photo by Masaru Yanagiba 写真提供:東京都現代美術館

 ユアサの一連の作品を「ありえたかもしれない過去」として鑑賞するうちに、筆者の頭のなかにはひとつの懸念が湧いてきた。これは「過去」なのだろうか? 私たちは実際に、戦禍の時代を生きている。展示室を出てニュースを開けば、新たな地域への攻撃が始まっており、数えきれない命が奪われている。この展示室のなかで、鑑賞者は疑うことなく「戦前生まれの架空画家」という設定に第二次世界大戦を思い浮かべ、過去の戦争と現代を生きる私たちの姿を重ねている。しかし、ヱボシが歩んだ虚構の人生は「ありえたかもしれない過去」から「すぐそこにあるかもしれない未来」へとその位相を反転させているのではないか。ユアサが編み出した虚構の歴史は、2026年現在の政治的緊張のなか、もはや予言的なシミュレーションのようにも見えてくる。世界のあらゆる土地での戦禍がリアルタイムに報道され、刻一刻と変化する戦況をスマートフォンひとつで追える現在、作品と対峙する私たちの心境は揺さぶられ続けている。「みんなが戦地に行っている」ことをインスタグラムのストーリーズで知る未来があるのだとしたら、私もヱボシのように一抹の罪悪感を抱くのかもしれない。自分自身に問いながら帰る道すがら、東京の空には戦闘機も凧も、まだ見えない。

*7──本稿においては、1983年生まれの作家自身を「ユアサエボシ」あるいは「ユアサ」、1924年に生まれたとされる架空の三流画家を「ユアサヱボシ」あるいは「ヱボシ」と表記することで区別する。実際に、東京都現代美術館の展示においても略歴に記された架空画家の名前は「ユアサヱボシ」であり、存命作家であるユアサとは異なる人物として記述されていた。なお、美術館内でのキャプションはあくまで「ユアサヱボシ研究家」によって書かれた、ということになっている。
*8──塚本麻莉(2026)によれば、山下はアジア太平洋戦争の際に中国戦線に送られ、戦地で日本軍の残虐行為を目撃した。このような経験は山下の画業に大きな影響を与え、後に社会的な作品を描くことへとつながっている。塚本麻莉(2026)「地域レビュー(四国):塚本麻莉評「神山アーティスト・イン・レジデンス2025」、「コレクション展 戦後80年─画家と戦争」(徳島県立近代美術館)」美術手帖、 https://bijutsutecho.com/magazine/review/31971 [Accessed 6 Apr. 2026]
*9──安原真広(2019)「現代美術を揺さぶる妄想の力。ユアサエボシインタビュー」 ウェブ版「美術手帖」、https://bijutsutecho.com/magazine/interview/20892 [Accessed 5 Apr. 2026] 

編集部