映画『A Window of Memories』公開、監督・清原惟インタビュー。記憶の窓を開けて、見知らぬ誰かと響きあう

清原惟が監督を務める映画『A Window of Memories』が、8月7日より全国の劇場で公開される。2023年に愛知芸術文化センターの企画で制作された本作は、監督自身のふたりの祖母への「聞き書き」と、ふたりの俳優による朗読、そして日常の風景を静かに重ね合わせた、多層的なドキュメンタリーだ。身近な人々や場所の記憶に光を当て、パーソナルな語りを観客それぞれの記憶と響きあう物語へと昇華させた本作の制作背景、そして自主配給という選択に込められた思いについて、清原に話を聞いた。※8月8日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

聞き手・構成=三澤麦(編集部) ポートレート撮影=手塚なつめ

清原惟、井の頭恩賜公園(東京・吉祥寺)にて

 映画監督・映像作家の清原惟は、武蔵野美術大学映像学科を卒業後、東京藝術大学大学院映像研究科で黒沢清、諏訪敦彦らに師事。修了制作として手がけた初の長篇映画『わたしたちの家』(2017)は、ぴあフィルムフェスティバル2017でグランプリを受賞し、ベルリン国際映画祭フォーラム部門にも出品された。続く長篇2作目となる、東京郊外の多摩ニュータウンを舞台とした『すべての夜を思いだす』(2022)も国内外の映画祭で上映。人や土地の記憶を交差させながら物語を編み出していく独自の手法と、その繊細な群像劇で高い評価を得ている。

 長編3作目となる『A Window of Memories』は、清原にとって初となるドキュメンタリー的手法を取り入れた作品だ。本インタビューでは、同作が完成するまでの清原の足跡と、その思考の軌跡に迫る。

映画づくりの原点

──まずは、清原さんが映画づくりを始めたきっかけからお聞かせください。

清原惟 高校生の頃、アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』(1972)に出会って、映画を観ることが好きになりました。それまではハリウッドなどのエンターテインメント映画しか知らなかったのですが、自分にしっくりくる映画を見つけた感覚があったんです。いわゆる「アート映画」に触れるなかで、おこがましくも「自分でも撮れるんじゃないか」という気持ちが生まれ、高校の友人と遊びで映画をつくったのが最初の制作体験でした。

 当時はとくに好きでもなかった、なんてことのない校舎の玄関を撮影したシーンがあったのですが、画面に映ったその場所がすごく美しく見えて。見慣れた日常が映画になることで別の世界として立ち現れる感覚がとても面白く、「もっと映画をつくりたい」という気持ちがさらに強くなっていきました。

──清原さんの作品は、登場人物や場所の記憶を掘り起こすような作風に特徴があると思います。それは高校時代の制作体験が原点になっているのですね。

清原 そうですね。大学に入ってからも身近な友人に出演してもらい、「この人がもともと持っているキャラクターが素敵だから映画にしたい」と思ったりとか。身の回りのものを映し、残したいという気持ちはずっとありましたし、映すことで自分自身も新しい発見をしたいという思いもあるのだと思います。

──その「身の回りのものを映し、残したい」という制作の方向性において影響を受けた作家や作品はありますか。

清原 たくさんあります。いまの質問を受けて思い出したのは、ドイツの小説家W・G・ゼーバルト(1944〜2001、*1)です。ゼーバルトの小説はフィクションですが、実在する街の記憶を自らの足で追体験していったり、幼少期の記憶やルーツから作品を立ち上げたりしています。あらかじめ存在する世界と地続きに作品が生まれてくる、という在り方に惹かれますし、自分自身もリサーチをもとに映画制作をするようになり、非常に共感しています。

*1──ウィンフリート・ゲオルク・ゼーバルト。写真や図版を配した、小説と随筆のあわいを行く独特の散文で知られる。『目眩まし』(1990)、『移民たち 四つの長い物語』(1992)、『土星の環 イギリス行脚』(1995)をドイツの出版社Eichborn Verlagより発表し、ベルリン文学賞、J・ブライトバッハ賞などを受賞。『アウステルリッツ』(2001)で全米批評家協会賞等を受賞し、ノーベル文学賞の有力候補と目されていたが、同年、交通事故により急逝した。

編集部