• HOME
  • MAGAZINE
  • REVIEW
  • 地域レビュー(北陸甲信越):尺戸智佳子評「タムラサトル 開放…

地域レビュー(北陸甲信越):尺戸智佳子評「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」、「めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」(富山市ガラス美術館)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では尺戸智佳子(黒部市立美術館学芸員)が、美術家・タムラサトルが旧発電所で電気についての想像力を喚起させた「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」(下山芸術の森発電所美術館)と、近現代日本のガラス表現の歴史を辿る「開館10周年記念:めぐりあう今を映す―日本の現代ガラス 1975-2025」(富山市ガラス美術館)の2展を取り上げる。

文=尺戸智佳子(黒部市立美術館学芸員)

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」展示風景、タムラサトル《白熱灯のための接点 #24》(2017) 撮影=柳原良平

旧発電所の館内で電気とは何かを考える

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」(下山芸術の森発電所美術館)

 本展では、2007年から発表されてきた「接点」シリーズの新作《60の白熱灯のための接点》(2025)が、過去最大級のスケールで展示された。もともとは水力発電所であった空間で、9メートルもの高さから60個の電球が吊り下がり、流れ落ちる水のような流動性を感じさせる。それらの電球は、空間中央に設置された大きな鉄板と、そこに接している振り子とつながっていて、その振り子が揺らされると、火花を飛ばしながらこの巨大なスイッチのONとOFFが切り替わる。電球がダイナミックに点滅して空間全体の光が大きく揺さぶられる。床に敷き詰められた亜鉛メッキ鋼板に鈍く映し出される美しい光は稲妻のようで、点滅の度たびに、床面の彼方にその光を放出しているようだった。

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」展示風景 撮影=柳原良平

 その奥で豪快な金属音をたて点滅を繰り返すのは、横一列に電球が配置された《50の白熱灯のための接点 #11》(2025)だ。壁づけの大きな半円の鉄板2枚が隙間を開けて向き合う円形状の内面を、金属の棒がジジジと小さな火花を見せながら回転する。様々な電球の点滅とともに、金属同士が擦れる音、ぶつかる音、チチチ、パチパチという電流がスパークする音や光が、激しく時には静かに展示空間に放たれていた。

 「接点」シリーズは、この大掛かりなスイッチ、つまり作家のいう「開放的な接点」をつくり出すことで、普段は安全面の観点から閉鎖的に管理される電流を一時解放する。そのことによって引き出されるのは、生活のために消費される灯りやイルミネーションのような私たちが普段接しているそれとは異なる、根源的な電気そのものの動きやあり様である。そして、それが紛れもなく「現象」であることの可視化とその実体験である。解き放たれた電気との対峙は、憧れや畏怖を伴い、美しく厳かな空間体験となった。

「タムラサトル 開放的な接点 発電所にて電気を浪費する」展示風景、タムラサトル《50の白熱灯のための接点 #11》(2025) 撮影=柳原良平

 そのうえで、排水口や配電盤等、所々に配された小さな作品は、かつて水力発電所であった空間の特性をそっと照らし出していた。水力を利用して発電し、制御し送電したこの場所において、閉じられていたものが開かれること(そして、電気を多分に消費すること)で見出されるものは、美しさと脅威、自然と技術のあわいではないだろうか。

 そもそも、このようにダイナミックに電気を扱う作品は、細かなメンテナンスや緻密な配慮が不可欠だ。この空間の均衡が、様々な危険性やアンコントロールを回避しながらようやく成り立っていることは、多様な自然現象を人工的に利用する技術や社会のありようを照射することにもなり得うるだろう。

  最後に、電気の点滅は、何なによりも多くの電力を消費すると作家が教えてくれた。展覧会企画時においては、事業費だけではなく、電気代を気にしなければならない作品がある、ということも憶えておきたいと思った。

編集部