アーティスト・イン・レジデンスの限界と、それ以上の可能性
「神山アーティスト・イン・レジデンス2025」(神山町)
豊かな山林に囲まれ、鮎喰川が流れる徳島県中央部の神山町。
9時すぎに車で高知市を出発し、辿り着いたのは昼前だった。ススキが揺れるのどかな光景のなか目を引いたのは、「アーティスト・イン・レジデンス」の赤いのぼりだ。
アーティスト・イン・レジデンスとは、文字通りアーティストが一定期間、ある土地に滞在して制作することを指す言葉である。現在のアートシーンではおなじみの用語だが、神山町で「神山アーティスト・イン・レジデンス(以下、KAIR)」がスタートしたのはいまから25年以上前の1999年。2000年に始まる新潟の「大地の芸術祭」にも先がけた、歴史ある事業なのだ。
KAIRでは公募によって国内外から作家を迎え、作家たちは約2ヶ月半にわたって町に滞在しながら制作を行う。特徴的なのはその運営形態だ。運営主体は地元住民のボランティア。いわば、神山町民による、神山町民のためのプログラムだといえる。
アーティストが町に滞在し、住民と関わり、何かしらの変化や交流が生まれること。そのプロセスにこそ、この事業は重きを置いている。
今回訪れた展示会場のひとつが、旧左右内(そうち)小学校である。廃校となった木造校舎では、今回の招聘作家のひとり、シャーリー・チョウの作品が展示されていた(*1)。

山間の小さな町の事業とは思えないほど、KAIRは外国人作家の比率が高い。チョウもまた、韓国にルーツを持つオーストラリア出身のアーティストだ。
校舎内には、この場所に残されていたものと、作家自身が持ち込んだものとが混在している。
かつての図書室の据付戸棚には、ここに置き去られていたのだろう蔵書やチョウが制作したオブジェクト、周辺で拾われたと思しき葉っぱなどの自然物が並ぶ。窓辺には天井から剥がれ落ちた塗膜が整然と配され、作品然とした佇まいを見せる。廊下では屋外から運ばれたらしい石灯籠に明かりが灯り、階段では和紙を用いた作品が風に揺らぐ。
廃棄品や、空間に取り残された事物がもつ文脈をずらして提示する手法自体は、決して新しいものではない。しかし、ここではそれらがチョウのインスタレーションの一部として場に溶け込み、どこか懐かしい気配を生み出していた。

撮影=生津勝隆 写真提供=KAIR2025
作品を眺めていると、監視スタッフの女性が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「まだ、作品の解説が用意できていなくて……」
ところがどの作品について尋ねても、彼女は制作の背景や経緯をよどみなく説明してくれた。具体的な言葉遣いには、実感がこもっている。
話を聞くうちに、制作の背後に、作家と地元住民との濃密なやり取りがあったことが自然と伝わってきた。ここで展示されているのは、完成した作品だけではない。作家がこの町で過ごした時間そのもの──レジデンス、生活である。
アーティストの逗留によって「新しい価値観や交流を生み出すこと」に力点を置く姿勢は、作品や作家を厳密に評価する批評の射程を狭めてしまう可能性と隣り合わせだ。だが同時に、その限界を自覚したうえでこそ開ける可能性もあるのではないだろうか。
とりわけ昨今は、国際情勢をめぐる不穏なニュースが報じられ、ナショナリズムが高まりを見せる。そのようななか、ささやかに、しかし連綿と続いてきたKAIRは、隣人たるアーティストの活動を通して自らの価値観を拡げることを躊躇わない人々が、地方の小さな町で確かに存在してきたことを示している。彼らの姿に希望を見るのは、きっと私だけではないだろう。
*1──「KAIR2025」に参加したアーティストは、金子未弥(日本)、イデ・レックマン(オランダ)、シャーリー・チョウ(オーストラリア)の3名。
戦後80年に見る、山下菊二が残したペン画
「コレクション展 戦後80年─画家と戦争」(徳島県立近代美術館)
神山町から車で30分あまり。目的地は、徳島市街から離れた「文化の森総合公園」のなかにある。ここにそびえる、博物館や図書館といった県立文化施設が同居する建物の一角を占めるのが、徳島県立近代美術館だ。
この美術館は、「人間」をテーマとする作品や現代版画、そして徳島ゆかりの美術を柱とした、近現代美術の優れたコレクションをもつ。今回取り上げるのは、「コレクション展 戦後80年─画家と戦争」で強烈な存在感を放っていた徳島出身の画家・山下菊二(1919〜1986)である。

山下菊二。
近代日本美術に多少なりとも通じた人間であれば、この名を聞いてまず思い浮かべるのは、東京国立近代美術館が所蔵する《あけぼの村物語》(1953)だろう。山梨県で起きた地主と貧農の闘争を題材としたこの絵は、首を吊る老婆のショッキングな姿をはじめ、全体に配された薄気味悪い土着的なモチーフが、観た者の脳裏に鮮烈なナラティブを再生する。
アジア太平洋戦争で召集されて中国戦線に送られた山下は、戦地で日本軍の残虐行為を目撃した。そうした経験をきっかけに、戦後も一貫して社会正義に立脚して絵筆をとった。
徳島県立近代美術館は、山下の遺族からアトリエに残されていた資料類の一括寄贈を受け、この画家の膨大なコレクションを収蔵するに至っている(*2)。
「戦後80年─画家と戦争」展でとりわけ目を引いたのが、19世紀フランスの詩人、ロートレアモンによる詩集『マルドロールの歌』に着想を得た1947年のペン画シリーズだ。

本作の解釈を広げたのは、隣接する空間で行われた「現代版画 サルバドール・ダリ」の展示である。ここではスペインの画家・ダリによる版画集《マルドロールの歌》(1974)が公開されており、山下のそれと好対照をなしている。
詩が呼び起こす感覚や衝動を幻想的に視覚化したダリの《マルドロールの歌》は、軽妙洒脱な線を特徴とするのに対し、山下の作品では粘り気のある描線による、執拗な描写が生々しい。ロートレアモンの詩を触媒として、戦時の体験を筆致に重ねたことは、傍に置かれた山下の直筆原稿「〈マルドロールの歌〉解題」の言葉にも滲む。
「......忘れずにさげていた言葉をなぞるようにして、10枚ほど描いてみましたが、そこにも、まだ戦争を知らないわたしがいるようです」
山下菊二「〈マルドロールの歌〉解題」(制作年不詳)より

結びの悲痛さは、端正なダリの同名作との落差によっていっそうあらわとなる。
山下作品が出品された「戦後80年─画家と戦争」展は、「収蔵品展 2025年度Ⅰ 徳島のたからもの」のセクションのひとつであり、目立つ建て付けの展示ではない。だが、素朴な明るさが漂う企画展とのコントラストによる不意打ちに加えて、戦後80年という節目の年を踏まえ、コレクションを通して誠実に応答する姿勢には率直な敬意を覚えた。
*2──山下菊二の資料寄贈については、一般社団法人全国美術館会議ウェブサイトに掲載された、奥村一郎(和歌山県立近代美術館)「第7回地域美術研究部会会合報告」に記載がある(https://www.zenbi.jp/data_list.php?g=107&d=15、2025年12月16日アクセス)。
徳島での贋作の処遇について思うこと
最後に、せっかく徳島県立近代美術館に触れたのだから、筆者が勤める高知県立美術館との共通点──同じ贋作者による贋作を購入してしまった事件において、徳島が出した結論について思うことを付け加えておこう。
ちなみに筆者は、2025年9〜10月に開催した高知県立美術館で贋作をテーマにした小企画展「再考《少女と白鳥》贋作を持つ美術館で贋作について考える」を担当した(この展覧会の詳細は、ウェブ版「美術手帖」からも詳細なレポート記事が出ているので、そちらを参照されたい。また、高知県立美術館の当該展ウェブページでは、会期中に会場で配布した小冊子のPDFを掲載しているが、一連の出来事は拙稿「高知県立美術館から見たヴォルフガング・ベルトラッキ事件年表」に詳しい)。

作品や作家をめぐる「価値」は、どこで、誰によって、どのようにかたちづくられてきたのだろうか。収蔵していた作品が贋作だったことが発覚してから、筆者はつねにこの問題について考えてきた。
2024年に高知と徳島で発覚した贋作事件は、国内外で報じられてきた。ただし、筆者が確認できた範囲では、高知と徳島の「その後」の対応の差異にまで踏み込んで記述したものは多くない(*3)。
高知では先述の展覧会を開催したものの、当該作品の今後はいまだ確定しておらず、県と購入先画廊との折衝が続いている状況である。それに対して徳島では、2025年5〜6月に美術館の無料スペースで当該作を公開した後、購入先画廊が購入費用の返金に応じたことを受けて、作品を返却したという(*4)。
徳島のケースは、贋作に対する対応方法の一例として、今後参照されるものになるだろうし、高知の状況にも影響を与える可能性がある。
いっぽうで、筆者が個人的に首肯しがたいのは、徳島側が作品の公開時に出した説明の内容である(*5)。
それによると、「美術作品は作家が築き上げた芸術性と歴史に照らして位置づけられ、その価値が後世に共有されていくというルール」のもとで人は作品を鑑賞してきた。そのうえで、贋作が人を感動させる可能性自体は否定しないが、贋作に自律した文化財的・歴史的価値はないため、その活用からは距離を置き「真作を見せる本来の美術館活動に精励する」とされる。
この説明は、行政のリスク管理の観点から見ると、確かに模範的である。
いっぽうで、美術史的な観点から整理すると、とりわけ「ルール」のくだりには、なお検討を要する論点が含まれている。それは、作者が一意に特定できることを前提に、作者性を作品価値の中核に据える近代西洋の価値判断に基づいているからだ。しかし、こうしたオリジナルの神話に重きを置く西洋由来の価値判断は、世界美術史のなかで相対化されうる。自明と考えられていた価値が容易に転倒しうることこそを、古今東西の歴史は物語っている。
かつて美術史家のトマス・ホーヴィングは「贋作の歴史は人類と同じほど古い」と述べたが、贋作の存在を美術史の記述や価値形成のプロセスから完全に切り離すことは容易ではない。修復家で京都大学准教授の田口かおりが指摘するように、「美術史は〈正当な〉来歴を持つ作品だけで構成される、無垢で清廉潔白な物語ではありえない」のだ(*6)。
もちろん、以上の見解は徳島の判断を非難するものではない。
公立美術館が、収蔵品の真正性を重視し、真作を提示することを基本方針とするのは、制度運営の側面からも妥当性がある。当然ながら、筆者も公立美術館が公金を用いて贋作を購入したことを是認するわけではない。贋作者の行為や発言には強い怒りを覚えるし、指摘が入るまで事態に気づけなかった美術館の体制にも問題があったと、一職員として猛省する立場にある。
そのいっぽうで、「贋作には価値がない」という一点に収斂する説明には違和感を覚えるのだ。むろん、返金と返却という選択が可能だった徳島と、いまだ判断を保留せざるを得ない高知とで、置かれた条件は異なる。だからこそ、これはなおさら慎重に検討されるべき論点でもある。
贋作者の自己弁護に相当する「絵そのものに価値があり名前は関係ない」という詭弁は聞くに値しないとしても、高知が「再考《少女と白鳥》」展で示したように、作品資料には、美的価値以外にも、歴史的価値や資料的価値といった複数の側面から見た価値と意義があることは否定し難いだろう。実際に、「再考《少女と白鳥》」展では、贋作の価値評価については、専門家のあいだでも意見が分かれることを紹介している(*7)。
意図せず贋作を持ってしまった私たちは、誤りを認め、状況を記録しながら、誰より真摯に贋作という美術史の「汚点」と向き合わなければならない。さらにいうと、贋作をどのように見て、どのように扱うかという問いは、美術に関する普遍的な問題提起を含んでいる。私たちが作品に何を期待し、何の価値を信じてきたのかが問われるからだ。
*3──例外的に、次の記事が高知と徳島が贋作事件に対して示した異なる対応と結論について取り上げている:Ephrat Livni, “Aftershocks of an Art Crime Reverberate in Japan,” The New York Times, November 28, 2025.
*4──「贋作事案における購入先との合意について 2025/11/19」徳島県立近代美術館ウェブサイト(https://art.bunmori.tokushima.jp/pr/hodo/doc/pr25_goui.pdf、2025年12月16日アクセス)
*5──「よくあるお問い合わせについて」徳島県立近代美術館ウェブサイト (https://art.bunmori.tokushima.jp/fake/image/commentary2.pdf、2025年12月16日アクセス)
*6──田口かおり「再考《少女と白鳥》」『特別展示・調査報告 再考《少女と白鳥》贋作を持つ美術館で贋作について考える(展覧会小冊子)』高知県立美術館、2025年、12頁。なお、本稿は高知県立美術館ウェブサイトにてPDF公開されている(https://moak.jp/event/exhibitions/_1.html、2025年12月16日アクセス)。
*7──『特別展示・調査報告 再考《少女と白鳥》贋作を持つ美術館で贋作について考える(展覧会小冊子)』では、展覧会で掲示したパネルに掲載した、美術史家、警察、科学者といった10名の専門家から寄せられた贋作に対する見解の全文を掲載している。
参考文献
トマス・ホーヴィング『にせもの美術史』雨沢泰訳、朝日新聞社、1999年
『山下菊二展』山下菊二展実行委員会、1996年
『特別展 美術の国徳島Ⅱ 谷口薫美、山下菊二兄弟 故郷のイメージを描く』徳島県立近代美術館、2009年



























