空間を巡る体験の多層性
「あの空間・場所について」(SHUTL)

空間や場所、そしてそれらにまつわる記憶をめぐる2つの展覧会を取り上げたい。ひとつは、SHUTLで開催された「あの空間・場所について」展である。SHUTLは、建築家の黒川紀章が設計したカプセル型集合住宅「中銀カプセルタワービル」の一部を活用した空間であり、創造的な実践のための実験的な場として開かれている。こうした場所で、本展はインターネット上で広まった「リミナルスペース(Liminal Space)」という概念を主題に据え、微風ゾーン(Tsudio Studio)、アシアタ、COR!S、ミヤオウの4名が、写真、映像、インスタレーション、音楽といった多様な手法を通じて、それぞれの解釈を提示した。
「リミナル(liminal)」という言葉は、ラテン語の「limen(境界・敷居)」に由来し、本来は異なる状態のあいだに位置する過渡的な時間を指す。このような曖昧で不確かな瞬間には、自らの立ち位置や存在の輪郭が揺らぎ、どこに属しているのか判然としなくなることがある。やがてこの概念は拡張され、「リミナルスペース」という語として、ある場所から別の場所へ移行する際に通過する中間的な空間を意味するようになった(*1)。
この「リミナルスペース」がインターネット上で広く共有されるようになった背景には、「The Backrooms」(*2)の存在がある。これは海外の都市伝説にあたるクリーピーパスタ(Creepypasta、インターネット上でコピー&ペーストにより拡散された、真偽不明の現代怪談やホラー作品の総称)の一種であり、そこに登場する空間の呼称でもある。発端は、インターネット掲示板で匿名ユーザーがスレッドを立て、不穏な無人空間の画像投稿を呼びかけたことにある。投稿された画像には、どこにでもありそうでありながら、かつて見たことがあるような既視感を伴い、しかし人の気配がまったく感じられない空間が写し出されている。さらに、「リミナルスペース」の広がりには、ベイパーウェーブ(*3)の影響も見て取れる。
「微風ゾーン」は、音楽家・Tsudio Studioによるアンビエントプロジェクト。音楽や写真、映像を通して「風が生まれる直前の静かな余白の座標」を描き出している。自身の表現を狭義のリミナルスペースと区別するため、「#微風ゾーン」というハッシュタグを立ち上げ、SNS上で継続的に作品を発表している点も特徴的だ。この「微風ゾーン」という言葉は、かすかな風が通り抜けるような場、あるいは気づかれないほど静かに変化が進んでいく場所を指す。そこには「風化」や「無常」といった感覚が重ねられており、夢が終わったあとにそっと残る穏やかな余韻のようなものが示されている。展示では、大小様々なデジタルフォトフレームに、ショッピングモールや高架下を思わせる空間のイメージが映し出され、サウンドとともに提示されている。それぞれのイメージは独立した時間の流れを内包しており、鑑賞者は断片的でありながらも緩やかにつながる時間の層を体験することになる。

アシアタは、ベイパーウェーブの視覚的なイメージに影響を受け、写真作品の制作を始めた作家である。無人の空間を一括りに「リミナルスペース」と呼ぶ風潮に違和感を抱き、それとは異なる独自の概念として「EchoSpace」を提唱している。「EchoSpace」の構成要素は「バブル期のセンスが光る洗練された建築」「ガラス張りの明るい空間」「観葉植物」の3つとし、今回の展示作品にもこれらの要素が反映されている。ベイパーウェーブの概念では、バブル期の大量消費へのアイロニーも構成要素として重要であり、作品からはベイパーウェーブからの影響を感じとれる。また、「リミナルスペース」が指すような、恐怖や不安を示唆するような無人空間ではなく、光が入り、観葉植物が多く配置されたどこか温かみのある無人空間が「EchoSpace」であり、「リミナルスペース」との差異でもあるだろう。
COR!Sは、音楽、3DCGを表現として用い制作を行っている。今回展示された3DCGアニメーション作品の《用意された街》(2026)では、高度経済成長期からバブル期にかけて開発されたニュータウンをモチーフに、当時公共空間で流れていたFM音源のサウンドと組み合わせながら、架空の都市風景を描き出している。COR!Sは空間や建築、時代にもとづくデザインや情景のなかから、自身の関心から特定の時代の要素や質感を記号として取り出し、自身のノスタルジーのフィルターを通して作品として再構築を行う。そうして生まれたイメージは、鑑賞者にもどこか懐かしさを喚起し、見る側もまた、それぞれの記憶や感覚にもとづくノスタルジーのフィルターを通して作品を受け取っているのかもしれない。

ミヤオウは、3DCGモデリングツールを用いて空間の制作を行っている作家である。可視的な場そのものに加え、その先に広がる見えない領域への想像、さらにはそのなかに身を置く自身の内面に立ち上がる感情や思考を、制作を通して丁寧に掘り下げている。作品に現れる空間は、現実の物理法則にもとづいて構築されることが多く、現実と夢のようなイメージとを緩やかに接続する役割を担っている。今回の展示でも、3DCGによる映像作品に現れるイメージと現実の展示空間とを往還するような体験が生み出されている。映像に登場する空間が、展示空間の壁の向こうに実際に存在する空間なのだ。「距離」というテーマに焦点を当て、現実と仮想、いまと過去、場所や人間、自然との相互の距離を同時的に知覚し、そしてそれらの関係性を改めて問い直すための視点を提示している。
本展において提示されるのは、たんなる「無人の空間」のイメージではなく、空間と記憶、そしてそれらを知覚する主体との関係性そのものである。リミナルスペースという共通の出発点を持ちながらも、各作家はそこにとどまることなく、それぞれの関心や感覚を通して独自の解釈を展開している。それらはいずれも、空間を巡る体験がいかに多層的で主観的なものであるかを浮かび上がらせる。鑑賞者はそれぞれの作品を通して、自身の記憶や感覚を呼び起こされながら、空間との関係を改めて見つめ直すことになるだろう。
*1──ALT236『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』佐野ゆか訳、2016年、フィルムアート社。
*2──「The Backrooms JP」 http://japan-backrooms-wiki.wikidot.com/start(参照2026年3月16日)
*3──ベイパーウェーブとは、1980〜90年代の最先端技術を駆使した家電製品のCMやショッピングモールで販促BGMとして流れていたミューザックなど商業的な場で使用されていた音楽をサンプリングの素材として用いたり、同時期に流通していたゲームやコンピュータなどのイメージを楽曲のアートワークに用いたりした新しい音楽ジャンルのひとつである。
日常に潜むささやかで個人的な物語
森本啓太個展「what we told ourselves」(KOTARO NUKAGA)

もうひとつの展示は、KOTARO NUKAGA(天王洲)で開催された森本啓太による個展「what we told ourselves」である。暗い街中で発光する、街灯やネオンサイン、自動販売機といった人工光を強い明暗法で描き出し、光と影の対比を通して現代都市のありふれた風景に潜む一瞬の物語を静かに浮かび上がらせる。
森本の作品は、光の表現を軸に一貫して探究されており、そのこだわりはすべての作品に色濃く反映されている。彼の制作姿勢は、光を主要なテーマとした古典絵画の時代に立ち返るものである。16歳でカナダに留学し、古典的な絵画技法を学んだ森本は、ニューヨークのメトロポリタン美術館でレンブラントの作品にふれ、その経験が表現に大きな影響を与えた。レンブラントはバロック美術を代表する画家で、明暗法を駆使し「光の魔術師」と称されることは周知の通りである。こうした経験と学びが、森本の作品における光への深いこだわりをかたちづくっている(*4)。
《Night Shift》(2025)では、コインパーキングの横に置かれた自動販売機が印象的に描かれている。この風景は、日常のなかで誰もがどこかで目にしたことがあるような既視感を喚起し、鑑賞者に親しみやすい感覚をもたらす。森本の作品には自動販売機が頻繁に登場するが、彼が描くそれらはたんなる設備ではなく、現代都市の日常風景のなかでふと目に留まる存在として機能している。静かにたたずむ自動販売機を通して、普段見過ごしてしまう日常の断片に目を向けさせるとともに、光と影の微細な表現を通じて、その場の空気や時間の流れまでも感じさせる。このように、日常のありふれた風景に潜む瞬間的な物語や情緒を、森本は静かに浮かび上がらせているのである。

森本の作品では、光の主な光源として街灯や店舗の看板などの人工光がしばしば取り上げられる。そのため、作品の時間設定は夜や明け方、夕方といった、光の変化が印象的に表れる前後の時間帯が描かれることが多い。いっぽうで、「Echoes of Colour」シリーズでは、夜明けや夕暮れの地平線の自然光が取り入れられ、人工光に照らされた人物や高台から望む街の風景と対比的に並置されている。この構図によって、自然光と人工光の微妙な調和や対立を通して、都市空間の多層的な時間感覚や情緒が繊細に表現されている。

先に挙げた《Night Shift》のように人の気配がない空間が描かれることもあるが、森本の作品に登場する人物も印象的だ。《Stories we told ourselves》(2026)では「鈴なり横丁」と書かれた繁華街のネオンの光に照らされた複数の人物が様々な方向に視線を向けている。森本の作品は、街中で撮影した風景と、知人を被写体にした写真から切り出した人物を組み合わせたコラージュで構成されている。登場する場所も人物も特定されず匿名であるため、鑑賞者はそのなかに自らの想像力を働かせ、作品の登場する人物の視線の先の物語を想像する。

今回の個展では、初のインスタレーション作品も展示された。《Encounter》(2026)は、これまで平面作品で描かれてきた人物を立体化した造形と、自動販売機のモチーフを組み合わせた新作である。絵画で表現されてきた都市の空間が、鑑賞者自身が体感できる立体的な場として拡張され、光や空気感、時間の流れまでをも体験させる構成になっている。

どこかで見たことがある風景や、どこかですれ違ったことがあるかもしれない人物が光に照らされることで、日常の延長に潜むささやかで個人的な物語が浮かび上がる。鑑賞者はその光景のなかで、自分自身が作品の登場人物となるような体験をする。こうして作品と向き合うことで、私たちは自らの日常に隠れた特別な瞬間を静かに思い起こすのである。
*4──荒井保洋「そして、物語の幕が上がる。」森本啓太『KEITA MORIMOTO Illuminated Solitude』、2024年、美術出版社、3-6頁。





























