「GⅢ-Vol.162 しまうちみか 茫茫 / Mika Shimauchi BOU BOU」(熊本市現代美術館)
熊本を拠点に活動するしまうちみか(1987〜)は近年、来訪神の文化をリサーチしながら、自らの生活環境に根ざした作品を発表している。来訪神といえば秋田の「なまはげ」が有名だが、しまうちの居住地である宮崎を含む南九州地域にもその文化がある。3度目の個展となる今回は、来訪神を扱った絵画・インスタレーション作品で構成され、なぜこのテーマを扱うのかという作家の意図が明快に示されていた。

会場前半を占める絵画は、鮮やかな色使いのアクリル絵具をそのまま叩きつけたような荒々しいタッチで描かれている。母親となり、「ガルガル」と子を戒めるようになった自身を来訪神「トシドン」(*1)に重ねた《トシドンとわたし》(2024)。外資系チェーンのロゴマークやUFOに囲まれた「ソラヨイ」(*2)とジャンボタニシのハイブリッド生命体が佇む《Come and Go》(2024)、Tシャツを着た頼りない姿の来訪神たちが闇のなかを闊歩する《We are on fire/わたしたちは最高》(2023)など、ポップで歪なイメージを通して表されるのは、伝統や因習と外来文化が入り混じる地方都市での生活である。
画面には、ところどころドンゴロス(麻布)が貼り付けられている。筆者はふと、1950〜60年代にかけて活動を展開した前衛美術グループ「九州派」を思い出した。ドンゴロスは、九州派のメンバーがアスファルトとともにしばしば用いていた素材だからだ。九州派にとって、それは表現の拠り所──つまり、「日常」や「労働」を象徴するものであった。

しまうちにとっての麻布や日用品は、何を意味するのだろうか。周囲には、卵パックやモップなどの寄せ集めでつくられたオブジェが散りばめられている。粗野な質感と鮮やかな色でかたちづくられた、天狗やテレビ番組のキャラクターらしき生き物の造形は、ポップでありながらどこかドライなテンションを保っている。「ジャンクでポップな可愛いもの」をつくろうとしただけでは到達しえないドライさだ。来訪神は、現代の生活環境を思わせる素材でブリコラージュされることで、地域固有の文化、外来文化、そして物質文明を二重に引き受ける超越的な存在として、そこに表されていた。

コの字型の展示室の奥へ進むと、インスタレーション作品《My alter》(2025)がある。素焼きのオブジェや郷土玩具、母体を模した立体などが並び、一見すると雑貨店のディスプレイのような展示のなかに、筆者にも見覚えのある玩具があった。フィッシャープライス社の「ゆらりんタワー」だ。本来は土台がU字型になった輪投げなのだが、そのパーツが三方の上に、土台を外されて鏡餅のように据えられていた。ここには、作家が子育てと並行して制作する状況と、対峙しているテーマが反映されている。
しまうちは彫刻を専門に学んできたが、2016年の熊本地震を経験して以降、「自立」というテーマに関心を持ち、あえて安定を崩すような構造の作品を数多く発表している。インタビューで作家は、地震や原発事故の報道などを通して「非合理的なもの、 また合理化が推し進められる際に隠されがちなもの」をテーマとしてきたと語っている。非合理の連続である育児に関するモチーフ、なかでも「ゆらりんタワー」という揺らぐ土台を持った玩具が登場することは、必然と言えるだろう。


本展後半では、リサーチに基づき制作されたオリジナルの来訪神「ひゃーたれ」をめぐる作品が展開されている。「ひゃーたれ」に扮した人物が地域の子供たちのもとを訪れ、「悪い子はいねえか」と問いかけつつも、「弟の世話をよくしてるな」などと、日々の生活を肯定する。映像のなかの子供たちは戸惑いながらも、その未知の存在を受け入れていく。地域住民と関わりのなかで実現したこのプロジェクトは、しまうちのビジョンがいかに明確であるかを裏付けていた。
壁面には、これまでしまうちがどのようなリサーチをしてきたのかを示す「壁新聞」があり、観客は作家の思考を追体験することができる。国内外の来訪神や民間伝承の相関関係がグラフィカルに示され、インドネシアのランダや鬼子母神と、南九州の来訪神との造形的類似などを手探りで見出していくプロセスが記されていた。そこに添えられた作家のコメントが印象的であった。「わたしは海外どころか県外にも進学しなかった。わたしはここから宇宙を見る、絶対にみつけてやる」。
「茫茫(ぼうぼう)」というタイトルは、雑草がいまある環境で変化を受け入れながらしぶとく生きるような、作家自身の態度表明と言えるだろう。チェーン店で外食をし、Netflixで海外アニメを子供と観る。そういった雑食的な文化環境を軽んじず、土着と外来が混ざり合う生活の実感を力に変える姿勢が、見る者に勇気を与える展示だった。
*1──鹿児島県下甑島の来訪神。
*2──鹿児島県の南九州市知覧町で行われる十五夜の行事。
「触れる、手繰る手つき」(佐賀大学美術館)
「触れる、手繰る手つき」は、榎本浩子、木下由貴、佐賀錦振興協議会、ブブ・ド・ラ・マドレーヌ、メガーナ・ビシニア、三輪途道×ミルミルつながるプロジェクトといった地元作家および国内外の作家を、「触れる」という行為をキーワードに紹介する展覧会である。
「美術品を見る」に対して「美術品を触る」ことは、あまり認められていない行為である。一般的に、美術館で展示される作品の近くには「お手を触れないでください」というサインが掲げられることが多い。技法や材質により、それが美術品の安全のために必要だからだ。しかしながら、「触る」ということ自体は国籍や年齢を問わず普遍的な欲求でもある。筆者も、美術館で働くなかで日に何度も「お手触れ」の報告を耳にする。そうした対象となる作品には、人気度とも異なるかたちで「触れたい」という思いを喚起する何かが宿っているようにも感じられる。コロナ禍以降、触れることや密な接触がタブー視されてきた状況のなかで、じつは筆者も「触れる」というテーマで展覧会を行いたいと考えたことがあったが、うまく実現に結びつかなかった。しかし、視覚障害のある人など、誰にでも美術館は開かれているのだということを考えると、今後「触れられる展示」はますます求められていくだろう。美術館が「見る」だけでなく、様々な体験の可能性を秘めた施設となるならば、新たな美術ファンも生まれるかもしれない。
本展が焦点を当てるのは、インターネット等を通した二次情報ではなく、「触れる」ことを通じて他者の記憶や歴史に触れ、自分のもとへ手繰り寄せるという経験である。同館担当学芸員の五十嵐純はこれまでも視覚以外の感覚に開かれた展示を手がけてきており、今回のテーマ設定からもその意欲がうかがえた。

会場左手に展開するのは、ブブ・ド・ラ・マドレーヌによる新作《人魚の領土-舟と内臓》(2025)である。親友の死を経験した後に発表した「人魚の領土」シリーズを、本展のために再構成したインスタレーションだ。会場には三艘の小舟が浮かび、窓の外へと漕ぎ出そうとしている。舟の内部には布でできた柔らかな内臓が積まれ、人魚の鱗、すなわち身体の記憶を象徴する旗が、空間に祝祭的な雰囲気をもたらしていた。
生者と死者の境界を超えることを「船出」と捉え、肉体からの解放としてことほぐいっぽうで、触れるという行為は時にケアに、時に暴力になりうるということが示唆される。本作において、布の内臓は触れたくなるようなフォルムをしていることによって鑑賞者を引き込み、会期中にはこのオブジェに実際に触れるイベントも開催され、好評を博していた。

壁面には新作《玄界灘についてのスケッチ_001》(2025)が展示されている。地と図が明示されておらず、海を、生と死や性別などの境界が融解する自由な領域として表すこの作品は、しばしば争いの火種となる「領海」という概念を転覆するものでもある。ひとつの対象が相反する意味を帯びるという主題は、メーガナ・ビシニアの作品にも通じる要素があった。

脱活乾漆技法で仏像制作や身近な生き物などを手がけてきた三輪途道は、30代後半で目の難病を患い、徐々に視力を失っていった。50代半ばで失明し、現在は手の感覚と記憶を用いて粘土と漆による彫刻作品を制作している。
本展に展示されているのは、触図を思わせるレリーフ状の作品群と、煎餅やしじみを模った彫刻だ。食べ物を模った作品はごく低い展示台の上に置かれ、鑑賞者が実際に撫でたり触れたりすることができる。《砂糖醤油せんべい皿》(2022)は直径約40センチ、《しじみの家族 PAPA》(2020)は約25センチと、実物よりもかなり大きいスケールで存在している。
熱を受けて膨らんだ生地の凹凸や、しじみが海底で呼吸するかのような溝の感触を通して、鑑賞者は作者の皮膚感覚と同期するような体験を得ることができる。こうした触覚への意識を会場全体へと拡張することで、近い距離で展示されている佐賀錦振興協議会の工芸品鑑賞体験もまた、織り手やテクスチャーなどに意識を向ける意義深いものとなった。

榎本浩子の作品群は、3つの壁面で囲われた空間のなか、展示台の上に、植物や猫たちとの日々のやりとりを描いた絵や小さなメモ、採取した種などが並ぶインスタレーションである。背景が透ける薄い紙(グラシン紙かワックスペーパーのような素材)の上には、太めの筆で綴られた絵日記(「草花日記」「猫のこと」)が壁面に張り出されている。
近所の野良猫の容態、植物の種の成長、日々出会うそれらの揺らぎを記録していく断片はささやかだが、確かな手触りをもって鑑賞者に伝わってくる。弱さや傷つきやすさ、その修復をテーマに活動してきた榎本の姿勢が、見る者の心に深く染みわたる。
会場全体を通して貫かれていたのは、自分自身の生活の実感こそが結局のところすべてだという立場だった。「触れる」という行為を媒介に、他者の身体や記憶へと接続する回路が確かにそこにはあった。






























