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地域レビュー(中国):筒井彩評「原千夏個展 ノスタルジア」(THE POOL)、「美と祈り:近現代日本美術に見るキリスト教」(岡山県立美術館)

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、筒井彩(ふくやま美術館学芸員)が、「祈りのかたち」をキーワードに、「原千夏個展 ノスタルジア」(THE POOL)と「美と祈り— 近現代日本美術に見るキリスト教」(岡山県立美術館)の2つの展覧会を取り上げる。

文=筒井彩

「美と祈り— 近現代日本美術に見るキリスト教」(岡山県立美術館)展示風景より、左から堂本印象《高山右近(下絵)大阪玉造教会壁画》《聖母マリア(下絵)大阪玉造教会壁画》《細川ガラシャ(下絵)大阪玉造教会壁画)》(すべて1962) 写真提供=岡山県立美術館

 冬の時期、中国地方は東西に連なる中国山地の影響により、天候が大きく分かれる。日本海側の山陰地方では、12月頃から新聞の見出しに「大雪」の字がおどり、車はスタッドレスに、電車は運休の知らせを目にすることが多くなる。いっぽう、筆者が居住する山陽地方は、「瀬戸内」の字面から連想される温暖なイメージほどではないが、気温が下がるなかでも常に陽は差し、平地で雪が積もることは稀である。

 目にする機会が少ないと、案外、人はすぐ自然の力を忘れてしまいそうになるが、そうした状況から山陰地方への取材は雪解けを待つこととし、今回は山陽地方の広島、岡山で開催された展覧会を取り上げる。期せずして、両者とも「祈りのかたち」をキーワードとしているが、それぞれどのような切り口で挑んでいるのか、たどっていきたい。

記憶を通してささげる祈り

原千夏個展「ノスタルジア」(THE POOL

 広島市の御幸橋付近にあるアートスペース、THE POOLで開催された原千夏の個展「ノスタルジア」は、会場である広島と自身の故郷である長崎を重ね合わせ、原個人の、そして鑑賞者それぞれの記憶に想いを馳せる企画となっている。

 原千夏は、潜伏キリシタンの調査を中心に、パフォーマンスや学術論文、写真、インスタレーションなどさまざまな表現手法を用いるアーティストだ(*1)。これまで潜伏キリシタンが崇敬したマリア観音像に関する調査を重ねてきたが、この展示では潜伏キリシタンをテーマとせず、広島の街と、原の記憶のなかの長崎のイメージとが交差するような写真作品7点と立体作品1点が展示されている。

原千夏 境界 2025 インクジェット・プリント 34.8×27.9cm
撮影地=国立長崎原爆死没者 追悼平和祈念館前(セントポール通り《平和のビジョン》像前)花壇

 アートスペースに入って左手に展示された真夏の入道雲を写した《天空の光》と瞬く街灯が収められる《星》は、いずれも広島で撮影した作品だ。右手には長崎でマリーゴールドの花畑を写した《境界》と《あの夏》のシリーズが展示されている。作品と向き合えば、入道雲はざらざらとした少しノイズの入った記憶を、きらめく街灯は目一杯に涙を溜めて眺めた街中の風景を思い出させてくれる。いずれも強い記憶や感情を連想させる写真となっており、撮影者が広島の街中で感じた印象を捉えると同時に、鑑賞者も個人の記憶を引っ張り出されるような感覚を味わえよう。いっぽう、向かい側に並ぶマリーゴールドは、非常に鮮明で、写真で切り取られた花々のあいだをつなぐように、白い壁面の余白にもマリーゴールドが浮かび上がってきそうだ。こちらの視線を気にせず、花咲き、散りゆく様子は、人間の営みを介さず存在する生命があることを思い出させてくれる。

左手前の《天空の光》は平和記念公園から爆心地の方角を撮影したもの。右にはマリーゴールドの花畑を写した《境界》と《あの夏》が並ぶ(すべて2025) 撮影=藤島亮

 広島と長崎を写した作品の中間には、手のひらに乗るほどの小さな大理石に祈る手元がプリントされたオブジェが置かれ、会場空間とも相まって、否が応でも「祈り」や「信仰」を連想させる。THE POOLは縦に長いスペースで、奥の3分の1は50センチほど地面が高くなっている。ギャラリーに入って真っ先に目に入るのは、その少し段が上がったところに置かれたこの小さな大理石のオブジェだ。展示台の上にあるその作品を見上げる動きは、思わず祭壇を見上げる動作を連想させ、感覚的に静謐な小さな礼拝堂内にいるような気持ちを味わえよう。

 しかし、この展示の作品をすべて見るためには、鑑賞者はこの壇上に上がらなければならない。神聖に見えたこの空間に土足で上がることで、不思議と聖的な印象は薄れ、作品との距離が一気に縮まる。この脱神格化が起こる前と後で、作品から受ける印象は変わってくるだろう。目に見えないものを想起させる神聖な空間から、当たり前に過ごしている目の前の日常を再認識させる作品へと、静かに、だが確実に変化している。

 広島と長崎をリサーチし、自身の記憶と重ね合わせた展示とはいえ、原爆や戦争に対する直接的な言及はない。しかし、いまの平和な情景の背後に、どのような記憶があるのだろうか。被爆から80年が経ったいま、記憶が少しずつ風化していくなかで、私たちは自らの記憶と対峙し、何を語り継いでいけるのだろうか。作家なりの答えがひとつ、ここに示されていた。

*1──これまでの活動については、以下が詳しい。https://note.com/chinatsuhara/n/n2b825870c74d(最終閲覧日:2026年1月31日)

美を通してみる祈り

「美と祈り— 近現代日本美術に見るキリスト教」(岡山県立美術館

 岡山駅から路面電車に乗って10分、複数の美術館が集まる岡山カルチャーゾーンに到着する。緩やかな坂を登り切ると、1988年に開館した岡山県立美術館が見えてくる。今回取り上げる展覧会「美と祈り:近現代日本美術に見るキリスト教」は、ビザンチン美術が専門の岡山県立美術館学芸員による独自企画となっている。

 近代日本美術は、多くを西洋美術の受容に負っているとされるが、そうした点からキリスト教精神に意識的にも、無意識的にも向き合ってきたはずだ。こうした考えを出発点とし、信仰と美術の関わり方や、日本におけるキリスト教美術の考察をうながす展覧会となっている。

 展覧会の冒頭には、「伝来と沈黙―日本のキリスト教美術のはじまりと禁教下の祈り」と題して、東京国立博物館の「聖母子像」や「踏絵」、「マリア観音」が並び、キリスト教の伝来と禁教の歴史を示している。まさに、現代の私たちが「潜伏キリシタン」と聞いて一番に連想するイメージだろう。

 第1章「聖書と美―近現代日本美術における旧約と新約の造形化」では、青木繁の《旧約聖書物語挿絵》(1906)や岸田劉生の「天地創造」(1914)など、聖書の内容を表した連作がそれぞれ並ぶ。キリスト教主題を通した内面的探求に加え、西洋的な表現の踏襲、そしてそこからの脱却に挑む作家たちの試行錯誤が見て取れよう。

正面は青木繁による連作《旧約聖書物語挿絵》(1906) 写真提供=岡山県立美術館

 第2章「歴史と応答―美術形のキリシタン時代へのまなざし」では、明治末以降、キリスト教の禁止が解かれ、禁教政策や殉教が主題となっていく様子が作中で明らかになっている。様々な表情の人々に見守られつつ、「踏絵」の緊迫した瞬間を描いた尾竹国観の《絵踏》(1908)などには、篤い信仰心への憧れがうかがえよう。たんなる歴史的な出来事として描くのではなく、作家たちの想像力によって、より理想的な信仰の姿が描き出されている。

 続く第3章は、「祈りとかたち―美に宿る精神」と題して、個人の信仰が構図・色彩にどのように表れているかを探ったという。特定の宗教にとどまらない人知を超えたものへの信仰を感じさせる宮芳平《落日の嘆美》(1916)があるいっぽう、インスピレーション源が西洋美術にあることを思わせる小磯良平《斉唱》(1941)も並ぶなど、その手法は様々だ。「主題の有無ではなくかたちに宿る精神性を基準とする『広義のキリスト教美術』の可能性を検証」(*2)とあるが、この章だけでもひとつの展覧会が開催できそうなほど深くて広いテーマだろう。今回、作品を通して明示されたさらなる可能性の展開に期待したい。

第3章の展示風景。正面右が宮芳平の《落日の嘆美》(1916) 写真提供=岡山県立美術館

 第4章は「イコンと絵画―日本の正教美術」と題し、正教徒の画家による作品から、イコン制作の伝統と近代絵画の接点を探求している。とりわけ目を引くのは山下りんによるイコン作品の模写だ。繊細な筆致で描き出される端正な聖母子像は、目元口元にふっくらとした曲線が加えられ、心なしか柔らかな表情を見せている。ロシア留学を経て修得したイコンの描画方法は、以降、日本におけるイコン制作の一大基盤となっていくが、それも納得な腕前を示している。

 終章「土地とまなざし―岡山ゆかりのキリスト教美術」では、鹿子木孟郎や竹久夢二、定方塊石らキリスト教とつながりのある作家が取り上げられている。この章では、近代の岡山ですでにキリスト教信仰に根付いていた共同体の運営がなされていたことを鑑み、作家たちがキリスト教精神を作品に内包しうるという考えのもと、「宗教美術」の枠に収まらない作品を並べている。

 この展覧会を通じて、日本の近現代美術におけるキリスト教美術の多様性が明らかになったが、これまで作家個人の信仰と結びつけられることが多かったなかで、新たな切り口を提示したと言えるだろう。それぞれの作品のイメージソースがどのようなものであったか、そしてそもそもカトリックやプロテスタント等様々な宗派を生み出した西欧の信仰とは異なる日本の「キリスト教」がどのようなものであったかなど、会場のみではなかなか理解が及びきらない部分もあるいっぽうで、実作品を通して「信仰」のあり方を体感できる貴重な機会であることは間違いない。全国各地で仏像展は開催されるものの、ルネサンス展や歴史的な作家の個展ではなく、「キリスト教美術」自体を切り口とした展覧会を公立美術館で開催することは初めての試みではないだろうか。日本における「宗教美術」のあり方を、さらには美術を通した「信仰」の存在を、より深く考える機会をもたらしてくれる展覧会であった。

*2──『美と祈り— 近現代日本美術にみるキリスト教』岡山県立美術館、2026年、90頁。

編集部