青木淳評「中山英之展 , and then」
気鋭の建築家中山英之の個展がギャラリー・間で開催中だ。本展は模型やスケッチ、テキストで解説するという従来の建築展のスタイルではなく、竣工後の建物を住み手の目線でとらえた映像で紹介するというもの。展示を通して見えてくる中山の制作と思考のプロセスを、建築家の青木淳がときほぐす。
荒木夏実評「パレードへようこそ」展
1969年生まれのアキラ・ザ・ハスラーと、1991年生まれのチョン・ユギョン。世代も作品の表現方法も異なる彼らが、「連帯」の旗印のもとに2人展を開催した。ゲイであるアキラ、在日コリアン3世であるチョンは、それぞれマイノリティ・グループに属する。東京藝術大学准教授でキュレーターの荒木夏実が、両作家へのインタビューをふまえ、本展をレビューする。
椹木野衣評「萬画家・石ノ森章太郎展 ボクは、ダ・ビンチになりたかった」「小谷元彦 個展『Tulpa –Here is me』」「やなぎみわ展 神話機械」
今春、東京と群馬で同時期に開催された石ノ森章太郎、小谷元彦、やなぎみわの展覧会。これらの3つの展覧会を人間、機械というキーワードを通して椹木野衣が読み解く。
清水穣評「抽象世界」展
1980年から40年にわたる抽象芸術の動向にフォーカスした、国立国際美術館で開催中の「抽象世界」展。1920〜70年代生まれの作家13名の作品が並ぶ本展を、レイヤーという観点から清水穣が批評する。
星野太評「石田尚志展 弧上の光」
線を描きながら撮影する「ドローイング・アニメーション」で知られる石田尚志の個展が、青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)で開催された。作家にとって新たな展開となる彫刻作品など新作も発表された本展を、星野太がレビューする。
大岩雄典評「平川祐樹 Rêve d’artiste La Magie à travers les âges」展
失われたフィルム映画のタイトルをモチーフとしたシリーズを手がける平川祐樹。本展ではフランス映画を対象としたシリーズ第5作目を発表。真っ黒なスクリーンに次々と現れるのは64本の映画の原題であり、展示室にはそれを読み上げる声だけが響く。この作品に潜む言葉の虚構性の問題を中心に、アーティストの大岩雄典が考察する。
佐原しおり評「清水多嘉示資料展―石膏原型の全てと戦後資料(第Ⅲ期)」
戦後の具象彫刻を牽引するいっぽうで、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の創設にも関わり、以降40年間にわたり同学で教鞭を執り続けた清水多嘉示(しみず・たかし)。武蔵野美術大学美術館では、そんな清水の功績をたどる「資料展」として、清水資料の全容を可能な限り展示することが試みられた。資料調査のワーク・イン・プログレスを「展覧会」というフレームで提示した本展を、埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。
中村佑子評「塩田千春展:魂がふるえる」
糸を用いた大規模なインスタレーション作品などで、世界的に高い評価を得ている塩田千春。25年にわたる活動を網羅的に見せる過去最大規模の個展が森美術館で開催中だ。一昨年にがんが再発し、死と寄り添いながら治療と制作を進めてきたという作家は、いま、身体や魂の存在とどのように向き合い、かたちにするのか。映像作家の中村佑子がその軌跡を論じる。
仲山ひふみ評 「クリスチャン・ボルタンスキー─Lifetime」展
現代フランスを代表するアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーの大規模個展が、国立国際美術館(大阪)から巡回し、国立新美術館(東京)にて開催されている。歴史や記憶、人間の存在の痕跡をテーマとしてきた作家の「演出」の手法とはいかなるものなのか、新進批評家として注目される仲山ひふみが論じる。
服部浩之評「ウソから出た、まこと―地域を超えていま生まれ出るアート」展
地域の人々の参加や協働を軸とした表現の課題と可能性とは? 地域に根ざした実験的な活動を続けてきた3組の作家、北澤潤、Nadegata Instant Party、藤浩志による新作を取り上げ、その実践に迫った本展をインディペンデント・キュレーターの服部浩之がレビューする。
長谷川新評 ケティ・ラ・ロッカ「Appendice per una supplica」展
1960〜70年代のイタリアで活動した女性アーティスト、ケティ・ラ・ロッカ。ヴェネチア・ビエンナーレ開催中のイタリアでは、トリノにて近年国際的に再評価される彼女の個展が開催された。ヴェネチア・ビエンナーレで発表された代表作を中心とした本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。