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「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」(上野の森美術館)開幕レポート。ゴッホはなぜ「夜」を描いたのか【2/3ページ】

オランダからパリへ

 オランダ時代の作品群では、暗い色調のなかに光を見出そうとする試みが印象的だ。《白い帽子をかぶった女の頭部》(1884-85)では、農婦の白い帽子が暗い背景のなかで静かに浮かび上がる。ゴッホは当時、「闇のなかに存在する光にこそ美がある」と考えていた。

第2章「オランダ時代」の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《夕暮れのポプラ並木》(1884)
第2章「オランダ時代」の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《白い帽子をかぶった女の頭部》(1884-85)

 しかし1886年、弟テオの勧めによってパリへ移ったことで、ゴッホの絵画は劇的な転換を迎える。会場ではピエール=オーギュスト・ルノワール、クロード・モネカミーユ・ピサロら印象派の作品が並置され、ゴッホが同時代の画家たちから受けた刺激が具体的に示されている。

第3章「パリの画家とファン・ゴッホ」の展示風景より、左からクロード・モネ《フールチェ・ファン・デ・スタット嬢の肖像》(1871)、《モネのアトリエ舟》(1874)

 斎藤は、この時期のゴッホの重要な特徴として、「補色」を強く意識していた点を挙げる。色相環で向かい合う色──黄色と青、赤と緑など──を隣り合わせに配置し、それぞれの色彩効果を最大限に引き出そうとしたのだ。第4章で展示された花の静物画、《バラとシャクヤク》(1886)、《野の花とバラのある静物》(1886-87)、《青い花瓶の花》(1887)などは、その色彩実験の成果として位置づけられる。ゴッホは1886年の夏だけで約30点もの花の静物画を描いたという。

第4章「パリ時代」の展示風景より、右から《野の花とバラのある静物》(1886-87)、《バラとシャクヤク》(1886)

 また、パリ時代には25点もの自画像が制作された。本来は人物画を描きたかったゴッホだが、モデル代を払う余裕がなく、自分自身を描くしかなかった。今回展示される《自画像》(1887)には、短い筆触や明るい色彩など、印象派や新印象派の技法を吸収していく過程が鮮明に表れている。

第4章「パリ時代」の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》(1887)

編集部