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クロード・モネ

Claude Monet

クロード・モネ 睡蓮 1906 シカゴ美術館蔵 Mr. and Mrs. Martin A. Ryerson Collection

 クロード・モネは1840年フランス・パリ生まれの印象派画家。5歳のとき、一家で大西洋に面したセーヌ河口近くのル・アーヴルに移り住む。51年、公立中学校に入学。勉強は不得手であったが、画家のフランソワ=シャルル・オシャールから素描を学び、カリカチュア(似顔絵)を額縁屋で売り出す。このとき、風景画家のウジェーヌ・ブーダンに出会い、教えを受けて、初めて油彩作品《ルエルの眺め》(1858)を制作。ル・アーヴル市の展覧会に出品した。

 59年、サロン出展を目指してパリに滞在。自由画塾のアカデミー・シュイスに入るが、61年、兵役でアルジェリアに赴く。62年に病気にかかったためいちど除隊し、ル・アーヴルで療養。オランダの画家、ヨハン・ヨンキントに画業を続けることを勧められ、兵役免除を受けてパリに戻る。次いで入門したシャルル・グレールのアトリエで、オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらと出会い、ともに戸外制作をして自然の光の描写を探究。フォンテーヌブローの森で風景画の練習を重ねるうち、絵具を混ぜずに原色をすばやくキャンバスに並置させることで、鮮明な光を表現できる「筆触分割」の手法にたどり着く。

 65年、サロンに初入選。続けて出品するが、当時は宗教画や神話画といったアカデミックな画題がよしとされており、落選を繰り返す。そこで自由な発表の場を求めてアトリエの仲間たちとグループ展を計画し、普仏戦争が終結した74年に第1回を開催。そこに展示されたモネの《印象、日の出》(1873)が「印象派」というくくりの由来となった。第2回では、モネが日本趣味を主題とした数少ない作品のひとつ《ラ・ジャポネーズ》(1875)が展示された。

 「印象派」展で発表した作品は、多くが当時生活拠点としていたセーヌ河畔のアルジャントゥイで生み出された。のどかな田園風景画や妻と子供たちをモデルとした人物画には、家族への温かなまなざしと幸福感が表れている。いっぽう、近代化が進むパリへの興味は《ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅》(1877)などから見て取れる。77年、パトロンのエルネスト・オシュデが破産。79年には妻のカミーユが亡くなる。

 83年、ジヴェルニーに転居。フランスの海辺の景勝地を巡る。90年代より、天候の移ろいを伝える連作の手法を確立。連作「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「セーヌ河の朝」を手がける。99年から制作を始めた代表的な連作「睡蓮」は生涯を費やして数多く描き上げ、晩年にはオランジュリー美術館を飾る「大装飾画」を完成させた。1926年没。