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第17回芸術評論募集【次席】渡邉武徳「自然のもどき──藤本壮介《大屋根リング》批判」

『美術手帖』創刊77周年を記念して開催された「第17回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、富井玲子、星野太の四氏による選考の結果、一席に寺町英明、次席に久保田荻須智広、渡邉武徳、佳作に石川嵩紘、大友渉、吉見太一が選出された。ここでは、次席に選ばれた渡邉武徳「自然のもどき──藤本壮介《大屋根リング》批判」をお届けする。※7月26日24時まですべての方に全文お読みいただけます。

2025年日本国際博覧会、藤本壮介による《大屋根リング》 ©IWAN BAAN

はじめに

 本論は、2025年日本国際博覧会の会場構想《大屋根リング》を手がかりに、藤本壮介の建築思想を、伊東豊雄および岡本太郎の試みとの連関のなかで批判的に検討するものである。とりわけ本論が焦点を当てるのは、藤本が一貫して肯定してきた「自然」や「未分化」といった概念が、現代社会における分断や疎外の感覚といかなる関係を結んでいるのか、という問いである。建築が包摂を語るとき、その空間はいかなる排除を内包しているのか。本論はこの逆説へと向けて出発する。

 師弟関係が作風を規定しやすい建築界において、藤本は伊東の弟子ではないが、その建築思想には顕著な近似が見られ、藤本自身も伊東からの影響を明言している(*1)。両者は、建築における近代を問題化し、情報環境を比喩的に重ねた「自然」を鍵概念として批評を展開する点で共鳴する一方、伊東が空間を開閉の操作によって構成するのに対し、藤本は閉じない建築を志向する点で乖離する。本論では、この差異を建築における「内/外」の反転という観点から検討する。以下では、その前提として、〈藤本と伊東の言う近代〉を共通の射程として簡潔に整理する。伊東、藤本両者が仮想敵とする近代は、〈機能による抽象〉という一言に集約される。

現代の建築家は、近代主義的な方法で建築をつくってきました。つまり、人間は自然の中で自然と関わりながらさまざまな振る舞いをしているのに、その振る舞いを「機能」という言葉で抽出、抽象して、その概念操作によって建築をつくるのが、当たり前のようになっています。(中略)周りの自然環境との関係をもてないという矛盾があるのです。このことは現代建築のかかえる本質的な問題だと感じています。(*2)

 伊東において前提とされているのは、人間が本来有している、その行為の計量化できない自然な多様性である。しかし近代建築は、その前提を切り詰め、人間の振る舞いを機能へと還元し、抽象化することで空間を構成してきたという。この考えは、2013年のプリツカー賞受賞スピーチにおいても、端的に表れている(*3)。そして伊東は、このような近代の建築的思考を、「ミースやコルビュジエの建築」に典型的に示されるものとして位置づけて、その建築の明快さの裏にある「排他性」(*4)が問題だと結論づける。そして、藤本においては、のちに詳述する森というトポスがその近代建築に対する応答となるのだが、それは「強制する機能ではなく許容する『場』」(*5)であり、「単純さと多様性が共存した、自然のもつ豊かさと同じ質のものといえる。抽象的な方法は消えて、空間体験が残る」(*6)ところであるという。さらには、その場所は、「機械としての建築に変わるもの」(*7)であると、つまりル・コルビュジエの考えに変わるものと言い切るのである(*8)。したがって、伊東が近代建築の排他性を批判しつつ人間本来の多様性へと立ち戻ろうとし、藤本がその応答を「森」というトポスにおいて徹底化し、近代建築の機械論的思考そのものを代替する空間概念として提示することで多様性を志向するとき、まさに〈機能による抽象〉が近代を集約する語として立ち現れてくるのである。そしてその〈機能による抽象〉の人工に対置されるのが、情報を影とする自然の姿なのだ。両者において情報環境と自然は、比喩的に重ね合わせられる。近代のあからさまな人工に対して、混沌とした自然を肯定的に志向する。両者が、建築が醸成する場において体現したいのは、ネットワーク環境に比されるような、多様なものが跋扈するリゾーム的自然、あるいは鵺的な空間であることを強調しておく。

*1──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、365頁。
*2──伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012、87頁。
*3──「人びとは均質なグリッドのユニットに閉じ込められ、人と人のつながりを失って孤独な生活を強いられています。自由で豊かな都市生活を夢見ていた人びとはいまや生き生きとした表情を失い、均質な個の集団と化してしまっているのです。近代主義の建築は自然との間に壁を築き、テクノロジーに頼っていかなる外部環境に対しても等質な人口環境をつくろうとしました。またそれは機能や性能ばかりを重視、地域に継承されていた独自の歴史や文化を受け入れませんでした」(伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、405頁)。
*4──伊東豊雄建築事務所編著『建築:非線型の出来事 smtからユーロへ』彰国社、2003、13頁。
*5──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、91頁。
*6──同上、45頁。
*7──同上、10頁。
*8──伊東・藤本の問題意識は、建築批評史の展開を裏付けとしている。抽象と機能は、1960年代以降の建築批評において、矢面に立たされてきた。むしろ近代建築を機能と抽象に抽象化することによって、いくつもの批評言語が生み出されてきたとすらいえる。いくつか例をあげると、後述の「建築家なしの建築」、アンリ・ルフェーブルの「空間の表象/表象の空間」の対比、多木浩二の「生きられた家」という概念、クリストファー・アレグサンダーの《ツリー/セミラチス》という構造分析などである。ここでは詳述しないが、アレグザンダーの次の言葉を引用することで、〈抽象による単純化(ツリー)─抽象によらない複雑性(セミラチス)〉すなわち〈人工─自然〉という二項対立が建築批評の根底に流れてきたことを暗示し、また、多木の言葉を参照することで、建築家が居住者によって生成される「生きられた」空間をそのまま設計に取り込むことの不可能性が、重要な論点として扱われてきたことを暗示するにとどめておく。「標題のツリー(tree)と言うのは葉をつけた樹のことではなく、抽象的な構造の名前である。私はそれをより複雑なセミラチス(semi-lattice)と呼ばれる構造と比較してみたい。都市はセミラチスであってツリーではない。」(クリストファー・アレグザンダー『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』稲葉武司+押野見邦英訳、鹿島出版会、2013、217頁)。
「建築家がつくりだす空間は現実に生きられた時間の結果ではないし、一方、生きられた家は現在の行きつく果てをあらかじめ読みとって構成されるわけではないからである。それらはおそらく空間のテキストのふたつの極、詩的言語とコード化された言語というふたつの極を示しているにちがいない。その対立と相関のあいだに、われわれの空間についての思考のすべて、空間言語の多様さの一切が生じ、関係しあっている」(五十嵐太郎+菊池尊也編『現代建築宣言文集〔1960-2020〕』彰国社、2022、150頁)。

 第一節:藤本壮介──原初・森・内と外

 藤本壮介は、1971年に北海道で生まれ、東京大学工学部建築学科卒業後、北海道と東京を行き来しながら思索を深め、2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立。藤本は自ら「原初的で初源的な価値」「身体と空間」「内部と外部」「自然と人工」「個と共同体の関係」等が建築のテーマであると説明している(*9)。本節では、そのなかでもとくに「原初」と「内部と外部」の二項に絞り込んで藤本の思想を記述しようと試みる。

  まず、藤本のいう「原初」とはなんだろうか。

建築が建築になる以前にさかのぼる。そして建築の始まる瞬間に⽴ち返る。さかのぼるといっても、ローマ、ギリシアという歴史をさかのぼるのではない。⼈のいる場所のかすかな始まりに思いを馳せ、あいまいな、ぼんやりした場の起伏のなかから、建築がにじみ出てくる瞬間を想像する。(中略)建築の、というよりも、⼈のいる場所としての、圧倒的に未分化な状態にさかのぼる。

 藤本は、その人がいる場所としての未分化な状態を洞窟と表現する(*10)。藤本がここで仮想敵とするのは、コルビュジエのドミノであり、ドミノを巣であるとし、洞窟と区別する。巣はつくるものが住みやすいようにつくる一方、洞窟は「もともとそこにある」「機能を強制するのではなく、誘発し、許容する場」(*11)であるといい、藤本は後者を評価する。それでは、洞窟のような場所(*12)における未分化であることとは、どういう意味だろうか。

家と森とは区別されなかったに違いない。⼈間にとって未分化な状態にあった「居場所」の時点までさかのぼってみたい。だとすれば、家であり同時に都市であり、そして同時に森であるような場所を作り出すことができないだろうか。(*13)

 まず、未分化な場所としての洞窟は、森的なる場所であり、それは家-都市-自然の未分化な場所だ(*14)。これは、建築が始まる前、歴史的スケールにとどまらない時間、「個と共同体が分かれる以前の、未分化の原始共同体」(*15)まで遡行することによる未分化である。さらに、藤本は「ものの始まり」をコルビュジエ《ロンシャンの礼拝堂》(1955)に見て、上述の未分化であることと重ね合わせる。

ものと空間が分かれる前、その圧倒的な未分化な状態が内包する無限定の可能性。(中略)ものによって空間ができるのか、空間によってものが生まれるのか、その境目は限りなく曖昧になる。その未分化から再び建築を構想する。(中略)ものと空間は別々のものではない。(*16)

 ものと空間が分かれる前というのは、ものと現象が分離する以前のことを指している。その空間における未分化な状態に、藤本は、家─都市─自然の──プレモダンどころかプリミティヴな──時間における未分化を比喩的に重ね合わせることで、ただ形式的にプレモダンに遡るのでなく、かといって表層的なポストモダンの記号の戯れに陥ることもなく、建築を思考することを可能にしているのだ。これら時空間における遡行を一括でまとめ上げる言葉が、森というメタファーである(*17)。そして、この森としての建築をバーナード・ルドフスキーのいう「建築家なしの建築」(*18)を実現する術であるかもしれないと説明する。

未来の森としての建築が示唆するのは、いかに自然のような複雑で多様なものを、直接的な模倣ではなく、人間がつくることができるのか、という問いである。かつて人間がつくり得なかったもの、建築家なしの建築、と言われていたものを、いよいよ人間がつくることができるかもしれない。単に自然に帰るのではなく、自然の多様性を再構築すること。だから未来は原初的である。(*19)

 藤本が「建築家なしの建築」を志向する理由は、それを近代建築への批評的介入として構想しているためである。というのも、藤本にとって近代とは、人間を抽象的な機能単位へと還元することで空間を目的別に分節し、そのことが結果として人々の関係性をも分断してきた時代であった。藤本が、未分化な人々のつながりを生み出す場所を建築の本質的役割として捉えてきたことを踏まえるならば(*20)、設計主体としての建築家の権限を相対化し、生成的な関係性を誘発する環境そのもの──森──を構築するという意味で、「建築家なしの建築」は藤本にとって近代的空間の分節構造を転覆するための有効な手段として構想されている。以下は、藤本がバンコクのスラム街を見て述べた感想である。

かなり隙間だらけでがさがさした作りになっている。意外と大きな集落だが、道は土がむき出しでくねくねとしており、その土間がそのまま家の中にも入り込んでいる。どこからが家でどこからが街なのか、はっきりとはしない。さらに熱帯性の気候ゆえにさまざまな樹木が繁茂して、時に屋根を突き破って、壁を破壊して成長している。〔中略〕集落全体はほこりをかぶったような雰囲気だが、その中の生活は、ゆったりとしながらも生き生きとしている。(*21)

 この記述から読み取れるのは、藤本にとって建築家なしの建築をつくることは、建築と生活が「生き生き」と共に立ち上がる状態を創出することにほかならないということだ。バンコクのスラムでは、建物に穴が開き樹木が突き抜け、無数の隙間によって内/外の区別が曖昧になり、「外側にいる感覚と内側にいる感覚の両方が混在する」(*22)身体感覚が生じている。ここに、建築家なしの建築ないしセミラティスと形容されるところの自然がある。こうした近代建築の形における内/外が分離する以前の未分化は、藤本において、森における時空間的に遡行した未分化と比喩的に重ね合わされている。つまり、時空間を遡行するその潜勢的な思考を、ものとしての建築物へ外化する生成手段として、内/外の未分化があるのだ。

 まとめると、まず、時間における家─都市─自然の分離以前すなわち建築以前への遡行(これが以下二つの思考のトポスになる。つまり森は多様な人々の居場所であると同時に思考する場所でもある。さらにこれが基底であるために、以下二つを含めて藤本は森としばしば言う)があり、それを基底に、空間におけるものと現象の分離以前への遡行、形態における内/外の分離以前(*23)への遡行の三つが、観念と物の次元を隔てて比喩的に並び絡み合っているのが、藤本の建築思想なのである。

 それでは、藤本が森──内/外の未分化──という、設計における形式的な方法ないし思想的な概念を、いったいどこから学んだのだろうか。もっとも妥当性の高い参照先として挙げられるのは伊東豊雄である。そこで次に、伊東豊雄における内/外の反転とその建築思想を検討することで、藤本壮介との連続性と差異を明らかにしていくことにする。

*9──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、6頁。
*10──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、195頁。
*11──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、24頁。
*12──「居場所とは、人が居るための場所である。しかしそれは人が居るためにしつらえられた場所ではない。ある場所を、人が発見することであり、そのきっかけに満ちた場所である。それは例えば「巣」ではなく、「洞窟」であると言ってよい。巣はそこに住むものに合わせてつくられるが、洞窟はただそこにあり、その起伏の中に、居場所が見出される」(藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、74頁)。
*13──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、108頁。
*14──藤本は、北海道の自然と東京の入り組んだ都市をメタフォリカルに重ね合わせる(伊東豊雄、藤本壮介、平田晃久、佐藤淳『建築のちから──02 20XXの建築原理へ』INAX出版、2009、69頁)。実際、東京をバーナード・ルドフスキーの言う「建築家なしの建築」だと思ったと述べており、例えばそれは《情緒障害児短期治療施設》(2007)などの、要素がバラバラであるのに不思議と一つであるといった設計に帰着すると述べる(隈研吾『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ』INAX出版、2007、23頁)。この考え方は、《リング》にまで連続的である。

*15──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、367頁。
*16──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、119頁。
*17──「森は僕にとって重要なメタファーとなる」(藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、365頁)。
*18──「建築家なしの建築」とは、建築家がつくる住居に対して「無学の工匠」による場所特有のヴァナキュラーな「庶民の住居」「無名の建築」を世界中の各地域から収集し展示した、1962年にニューヨーク近代美術館にて行われた展覧会および書籍である。企画者のルドフスキーは、「専門家の芸術になってしまう以前の建築からは学ぶべきことがたくさんある」とし、「今日の私たちのように自然を“征服”しようとするのではなく、気候の気まぐれや地形のけわしさをよろこんで受け入れる」と自然と人間の関係を強調する(バーナード・ルドフスキー『建築家なしの建築』渡辺武信訳、鹿島出版会、1984、22頁)。
*19──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、11頁。
*20──「建築家とは、人と人、人と自然の関係を紡ぐ『場』をつくる仕事でもあり、それは私にとっては自然と人工が溶け合う『未来の森』のような場所だと言えるかもしれません。様々な価値がばらばらであることの良さと寂しさが行き交うこの時代に、そこに豊かな『つながり』をつくり出せないかと模索しています。」(藤本壮介『藤本壮介の原初・未来・森』美術出版社、2025、12頁)。
*21──伊東豊雄、藤本壮介、平田晃久、佐藤淳『建築のちから──02 20XXの建築原理へ』INAX出版、2009、69-70頁。
*22──同上、72頁。
*23──形態における藤本の方法論で、内/外の未分化とパラレルであるのが、部分と部分(森においては、木々である)があたかも無秩序に集まることでつくり出される一つの秩序ある場所(=森)という考えである。ここには、複雑系理論の影響が見られる。そこでは、藤本が自然に見ている混沌が、情報環境におけるネットワークと比喩的に重ね合わせられている。紙幅の関係上、ここでは深く取り上げないが、以下に引用を提示する。「当時僕は、部分と部分が関係し合うことで生まれる緩やかな秩序、というものにとても大きな興味をもっていた。大学を卒業してすぐに読んだプリゴジンの著書や複雑系の理論に触発されて、これこそが近代を超える新しい秩序の在り方だと熱狂していたのだ。巨大な軸線やグリッドの幾何学ではなく、部分と部分がネットワーク的に関係し合うことで生まれる局所的で緩やかな秩序」(藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、30頁)。

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