抗議と連帯が覆った「In Minor Keys」。第61回ヴェネチア・ビエンナーレ現地レポート【4/4ページ】

「In Minor Keys」が映し出した現在

 今回のビエンナーレでは、このように身体性やクラフト、スピリチュアリティを前面に押し出した展示が数多く見られた。とりわけテキスタイルや工芸的手法を用いた作品は各会場で目立ち、クオのキュラトリアル・プロジェクトが重視した「手仕事」や「身体知」の感覚が強く反映されていた。

センゼニ・マラセラの作品展示 Photo by Luca Zambelli Bais. Courtesy of La Biennale di Venezia

 いっぽうで、その傾向に対して批評的な視点を示す声もあった。シャルジャ・ビエンナーレ17のキュレーターのひとりであるアンジェラ・ハルトゥニャンは、「グローバル・サウスの作家を数多く紹介した点は重要だった」と評価しつつも、「そこには、“西洋以外の地域はテクノロジー的条件の外部に存在している”という前提が潜んでいたようにも感じた」と指摘する。

 さらに、「クラフトやスピリチュアリティ、祖先からの知識への回帰が、後期資本主義社会の矛盾に対する“解決策”として提示されていた。しかし実際には、それらは解決策ではなく、現代社会が抱える矛盾の“症状”でもある」と語った。

ラジニ・ペレラ&マリーゴールド・サントス《Efflorescence/The Way We Wake,》(2023)の展示風景 Photo by Marco Zorzanello. Courtesy of La Biennale di Venezia

 また、近年のヴェネチア・ビエンナーレの傾向について、香港の現代美術館・大館コンテンポラリーのアシスタント・キュレーター、ジル・エンジェル・チュンは、「この5年ほどのビエンナーレは、現代美術を縦方向に発展させるというよりも、横方向にその定義を拡張してきた」と分析する。「これまで十分に注目されてこなかった作家や、ファインアートとして扱われてこなかったメディアが再発見されている」と語った。

 その象徴のひとつが、パフォーマンスの存在感の拡大だ。今回、前述のオーストリア館や日本館をはじめ、多くのパビリオンや展覧会では、展示空間を“アクティベート”するためにパフォーマンスが積極的に導入されていた。チュンは、「もはやパフォーマンスがなければ成立しないように感じられる展示すらある」と語り、「TikTokのような短尺映像文化の影響もあり、人々の感覚的刺激への閾値が高まっている」と指摘した。

バスケス・ユイ・セリアの作品展示 Photo by Andrea Avezzù. Courtesy of La Biennale di Venezia

 実際、今年のヴェネチアでは、展示とパフォーマンス、制度批判と抗議行動、あるいは美術と政治の境界が、かつてないほど曖昧になっていたように見える。ハルトゥニャンは、「美術作品そのものが現実を直接変えるわけではない」としながらも、「作品は、現実そのものが拒絶している“鏡”を、私たちに差し出すことはできる」と語った。

 クオ不在のまま始まった今年のビエンナーレは、制度そのものの限界や矛盾を露呈しながらも、同時に、美術がなお世界と接続しうる場所であることを示していた。ハルトゥニャンの言葉通り、巨大な鏡のように現在の世界が抱える矛盾や不安、暴力、そして連帯の可能性を浮かび上がらせている。