上甲は書籍編集を始めてからまもなく、『古寺巡礼』『シカゴ、シカゴ』を手がけることになる。土門拳のライフワークだった『古寺巡礼』では、第2集以降の編集を上甲が引き継ぎ、以降、土門の担当としてその活動を支えた。会場では寺院に土門と同行する上甲の写真が、写真集や編集ファイルともに展示されている。

石元は、雑誌『美術手帖』編集時代の上甲がいち早く目をつけた写真家だ。シカゴに3年間滞在して撮影した作品を写真集にする企画を石元が上甲のもとに持ち込み、最終的に『シカゴ・シカゴ』の刊行が実現。その後の交流は生涯にわたり続いたという。

ほかにも上甲は、岡鹿之助(1898〜1978)や駒井哲郎(1920〜1976)らの作品集の編集に携わり、作家やその家族と公私に関わらず交流。やり取りした手紙などからはその親しい関係性がよくわかる。上甲は瀧口の妻・綾子氏からの信頼も厚く、瀧口の死後、綾子氏の墓石選びに同行するほどだったという。

また、本企画で注目したいのは、上甲の女性作家とのネットワークの厚さだろう。例えば実験工房の一員として活動した榎本和子(1930〜2019)と福島秀子(1927~1997)は親友であったことが知られているが、ここに上甲が加わり、ときには3人で旅行をするほどの間柄だったという。榎本は晩年の福島の闘病生活を献身的に支えたが、それにより自身も疲弊してしまう。上甲は福島の死後、榎本の今後の生活について憂慮し、支えるための手立てを考え続けた。榎本はアルブレヒト・デューラー(1471〜1528)の版画《メランコリア Ⅰ》に登場する多面体を研究し、多面体をモチーフとした独特のコンセプトを持つ作品を制作した。会場には、生前、榎本から上甲に贈られたという示唆に富んだ多面体が展示されており、3人のシスターフッドを伝えている。

上甲は紬織の価値を芸術の域まで高めた、日本を代表する染織家のひとりである志村ふくみ(1924〜)とも親しく、二人で旅行する仲だった。志志村は上甲の編集した作品集の装丁も手がけており、『岡鹿之助作品集』(1974)や『岡鹿之助画集』(1978)には、志村による美しい特製の布による装丁があしらわれている。岡と志村、双方との深い関係を築くことによって実現した、上甲らしい仕事のひとつといえるだろう。

ほかにも佐野ぬい(1932〜2023)や嶋田しづ(1923〜2021)といった、上甲が所蔵していた女性作家の作品も展示されている。両者ともに上甲と同じ女子美術大学(嶋田は女子美術専門学校時代に卒業)の卒業生であり、こうした学校を通じた女性作家とのネットワークも強かったことがわかる。




















