現れ、漂い、消えていくイメージ
──今回の展覧会タイトル「Condensation(結露)」は、「現れる/消える」という状態だけではなく、イメージが立ち現れるプロセスそのものを示しているようにも感じました。この言葉は、今回の展示全体をどのように貫いているのでしょうか。
リュック・タイマンス これは、不安定なイメージについての言葉です。イメージは最初から存在しているものではなく、「イメージになりつつある過程」のなかで初めてイメージとして成立する。その状態を指しています。
このタイトルの着想は、会場の庭へと続く窓際に展示されている2点の作品《Mural Skull(壁の頭蓋骨)》と《Mural Kitten(壁の子猫)》(いずれも2026)から生まれました。強制収容所の病院棟に描かれていた壁画が、懐中電灯で照らし出されるYouTube映像の一場面を見たとき、「結露」というイメージが浮かんだのです。

窓ガラスに結露が生じると、人は息を吹きかけたり、指でなぞったりしながら、その向こうにある像を見ようとします。そして曇りを拭うことで、像は少しずつ輪郭を現していく。そのプロセスが、今回扱っているイメージとよく似ていると思いました。
また、「Condensation」という言葉そのものにも惹かれました。この展覧会を直接説明するのではなく、むしろ遠回しに示唆する言葉だからです。ここにあるイメージは、現れたり消えたりしながら、ある種の固定性を持ついっぽうで、決して完全には固定されず、どこか漂うような性質を帯びています。
──タイマンスさんは一貫して、写真や映像、テレビ、印刷物など、既存のイメージを起点に絵画を制作してきました。近年、デジタルスクリーンやSNSを通して流通するイメージが急速に増えていますが、そうした変化は今回の作品にも影響しているのでしょうか。
タイマンス 大きく変わりました。とりわけ光の扱い方です。デジタルスクリーンが発する光は、イメージそのものを変えてしまいました。私はそうした視覚体験を取り込みながら、それを絵画の言語へと翻訳し直しています。
今回の展示でも、それぞれ異なる歴史や出来事に由来するイメージを用いています。しかし重要なのは、それらを説明することではなく、互いにどのような関係を結ぶのかということです。
そこには異なる歴史があり、ときには異なる暴力の記憶があります。しかし私は、それらを単純な比較や批判として提示したいわけではありません。それぞれは本来別の出来事でありながら、私たちはいま、それらが奇妙なかたちで交錯する時代を生きています。その状況を、できるだけ説明的にならず、繊細な方法で示したいと思いました。
──展示空間を歩いていると、6点の作品は個別の作品というより、ひとつのイメージの流れのようにも感じられます。リヒター・ラウムという場所は、その構成にどのような影響を与えたのでしょうか。
タイマンス 最初からこの空間を強く意識していました。当初は、同じサイズの作品を壁一面にモザイク状に並べることも考えていました。しかし実際に空間を見たとき、それぞれを独立した作品として展示し、互いに対話させるほうが面白いと感じたのです。
この場所には礼拝堂のような静けさがあります。入り口から奥まで視線が抜ける構造も含め、その空間体験が重要でした。ここは「リヒター・ラウム」という特別な場所です。作品はゲルハルト・リヒターの彫刻や庭園、この建築空間、そして光そのものとも対話するように構成されています。作品同士もまた、この空間のなかで初めて関係を結びます。私にとって今回の展示は、個々の作品を見せるというより、ひとつの場をつくることだったのです。





























