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「中村宏展 アナクロニズム(時代錯誤)のその先へ」(静岡県立美術館)開幕レポート。絵画にこそ宿る変革への予感【3/4ページ】

 第3章「セーラー服と蒸気機関車」では、第2章で紹介された中村の意識の変化が「セーラー服」と「蒸気機関車」という、のちに中村の作品のアイコンとなる記号を生み出したことに着目する。

 安保闘争に負けた若者たちもまた、「転向」して企業活動の一翼を担い、その後の日本経済の発展を支えていくこととなった。こうした時代背景のなかで、美術においても絵画や彫刻といった既存の芸術様式を否定する「反芸術」が勃興。それに伴う「反芸術論争」なども巻き起こったが、中村はあえて絵画という旧来のジャンルを思考の場として捉える「アナクロニズム性(時代錯誤性)」を標榜していく。

展示風景より、中村宏《観光帝国》(1964)

 「セーラー服」も「蒸気機関車」も、中村が模索した観念的な記号ではあるものの、いずれもモチーフとしては誰もが具体的なイメージを共有できる普遍性があり、また通俗的なフェティッシュさも兼ね備えている。だからこそ中村は、誰もが知るからこそ鑑賞者それぞれの記憶や視点にもとづいた多様な読みを引き出す記号として重用した。このように、絵画を通して鑑賞者の覚醒をうながすかのような中村の制作姿勢は、本展でこれまで見てきた政治運動と芸術とのせめぎあいによって生まれたものといえるだろう。

展示風景より、《円環列車・A一望遠鏡列車》(1968)

 いっぽうで、こうしたモチーフへの中村の強い拘泥は、それぞれの持つ記号的な意味を剥奪し、新たな異物として表現することも可能とした。《HUDSON-C622》や《似而非機械》(ともに1971)は、双方ともに乾燥した絵具の上に透明な油絵具を重ねることで独特の光沢を生むグラッシの技法が使われているが、これにより蒸気機関車は金属の重厚な質感が宿り、セーラー服はビニール素材のような光沢を得ている。モチーフに対する強烈なフェティシズムが強調されることで、蒸気機関車もセーラー服もたんなる記号を超えた存在となっており、対象への徹底的な拘泥によって、むしろ意味が剥奪されていく緊張感が宿る。

展示風景より、左から中村宏《似而非機械》《HUDSON-C622》(ともに1971)

 第4章「絵画と観賞者」は、中村が一貫して持っていた「鑑賞」に対する独特の姿勢について整理している。

 中村は作品と鑑賞者のあいだに発生している精神の運動性を、絵画という伝統的メディアのなかで体現しようとした。これも「アナクロニズム性(時代錯誤性)」の発露だが、とくに望遠鏡を覗き込むマネキンの前に絵画を設えた作品《女学生に関する芸術と国家の諸問題》(1967-1997)などに顕著だろう。

展示風景より、中村宏《女学生に関する芸術と国家の諸問題》(1967-1997)

 本作は、富士山の頂上付近と空中で燃える旅客機の一部を円形に拡大した絵画と、その絵画を望遠鏡で覗き込む女子学生のマネキンによって構成されている。鑑賞者が絵画の一部に着目するという鑑賞体験が体現されている作品だが、同時に本作の主題が英国海外航空の旅客機が富士山由来の乱気流に巻き込まれて空中分解した1966年の事故を主題としていることにも着目したい。この事故原因は、富士山を乗客に見せるために飛行機が低い高度で山肌へと接近したことが原因とも言われており、「富士山を見る」という行為と関連する可能性を持つこの事故の存在が、当時の鑑賞者の持つ情報を刺激する構造にもなっている。

 このように鑑賞そのものを絵画の構造に取り込む中村の実験は、晩年に至るまで続く。《4半面の反復(1)~(3)(5)(6)(8)~(12)》(2019)は、キャンバス上には全体の4分の1程度しか描かれていない絵画で、鑑賞者が欠落部を補いながら見ることが意図されている。また、ここに同一の構図の平面も複数並ぶが、それぞれが微妙な差異をもって描かれており、作品から受ける鑑賞者の心のゆらぎや、絵画が1点であることによる価値や権威への揺さぶりを発生させる。

展示風景より、中村宏《4半面の反復(1)~(3)(5)(6)(8)~(12)》(2019)