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反芸術論争

Debate on Anti-Art

 1964年に『美術手帖』(4-7月号)で行われた、宮川淳と東野芳明による「反芸術」をめぐる論争。発端は、東野の司会で開催された公開討論会「〝反芸術〟是か非か」に対し、宮川が同誌4月号に評論「反芸術 その日常性への下降」において東野の言葉を引用し、「反芸術」にある問題を提起したことによる。

 宮川は、東野による反芸術は「戦後の抽象絵画が内的な表現の極限まで押しつめられた果てにあらわれたもので、日常的な物体や記号や卑俗なイメージを通して『事実』の世界の骨格を回復しようとした動きであると見られる」という見解が、抽象か具象かという二元論に陥っていると指摘。宮川は「反芸術」には様式的な具体性が必要であり、それは「日常性への下降」、すなわち「マチエールとジェストとのディアレクティクにまで還元されることによって、表現過程が自立し、その自己目的化にこそ作家の唯一のアンガージュマンが賭けられるべき」ものだと主張した。そして、その「日常性への下降」が「不在の芸術はいかにして存在可能かという不可能な問い」へと達するのだと結論付ける。

 東野はこれに対し、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズに「抽象表現主義への単なる反動として生まれたものでなく、弁証法的発展を認めなければならない」とすでに弁証法(ディアレクティク)を見ていたことを宮川が黙殺していると指摘しつつ、そもそも当の「表現過程の自立」自体を「反芸術」は突き崩し、変質させているのだと反駁した。そして「不在の芸術」とは、「可能性」と「表現」の二律背反の根源にあり、そうした「反芸術」の体現として当時、制作を放棄して沈黙していたマルセル・デュシャンに、それらの緊張関係が続く「永遠の可能性の状態」を見たのである。

 続いて、宮川はここでの弁証法的発展とは、「なにが、いかに描かれているか」という「表現的」な問題ではなく、「表現論的」な問題、すなわち「表現行為とそれを支える表現概念との認識論的な構造」に向けられたものであることを強調し、論点は「あくまで歴史的に限定された様式概念としての反芸術」であり「デュシャンとの関係において反芸術が・・・・語られるべきであって(……)デュシャンの中に・・・反芸術を永遠化してしまうべきではない」と問題の所在を明らかにした。本来手段であった「表現過程」の「自立」とは「永遠」のものではなく「近代の表現概念」の矛盾であり、「沈黙」ではなく「非・表現」、すなわち「永遠の可能性」ではなく「不可能性の可能性」にこそ、現代の表現があるとしたのである。

 応答の最後となった同誌7月号において、東野はデュシャンのメモの読解に当てられた断想に織り混ぜながら、宮川による「個人」への特殊化であり、「非歴史的」であるという反論に対し、「芸術(あるいは反芸術)に関する概念が、まず個々の作家への具体的な思考のつみ重ねの末の普遍化から生まれ、また、その普遍的な概念の限界を、個々の作家の「特殊な」面がつきくずしてゆくのが、芸術上の概念の発展の弁証法である」と呈し、論争は幕を閉じた。

文=中尾拓哉

参考文献
宮川淳「反芸術 その日常性への下降」(『美術手帖』美術出版社、1964年4月号)
東野芳明「異説・「反芸術」──「宮川淳」以後──」(『美術手帖』美術出版社、1964年5月号)
宮川淳「〝永遠の可能性〟から不可能性の可能性へ──ヴァレリアンであるあなたに──」(『美術手帖』美術出版社、1964年6月号)
東野芳明「デュシャン・「グリーン・ボックス」・断想3──論争にかえて──」(『美術手帖』美術出版社、1964年7月号)
光田由里「芸術・不在・日常──「反芸術」をめぐる批評言説」(『美術批評と戦後美術』美術評論家連盟編、ブリュッケ、2007)