いまの時代にも通じる感覚
──今回、約50年前の作品が多く紹介されています。いまの時代に通じる部分があれば教えてください。
ゆっきゅん そもそも50年前の作品は、遠い過去のものではなく、最近の作品だと捉えています。絵画ならもっと古いものも多いですよね。出光さんの作品で表現されてきた問題意識やねじ伏せられてしまった自由は、いまの時代でも解決しているわけではないからこそ、その課題は現在も共通しているように感じます。「こんな時代があったんだ」だけじゃまだ終わらせられない。
──会場内に、出光さんが複製芸術に対して意識的であることがわかる言葉が掲げられていました。ゆっきゅんさんも以前、複製芸術に携わることに対して「せっかく複製芸術をつくるならば、いつかの未来を生きている孤独なあの人が、調べれば知ることが出来るものとして存在していたいと願う」と言葉を残されていました。作品が残ること、作品を残すことについてどんなことを考えていますか?
ゆっきゅん 映画や映像、音楽など、録画、録音されたものは繰り返し再生ができるじゃないですか。自分が作品をつくるときは、いま聴かれることや、いまの自分が歌うことについても考えるけど、その先の未来に残ることも考えます。とはいえ、残ることばかりを意識すると気を張ってしまうので、あまり気にしないときもありますが。ライブ自体は、公演後にそのかたちがそれぞれの記憶以外では消えてしまうかもしれないけど、音源をつくるときには、自分が会うこともない、想像することもできないような人が、この先の未来で聴いてくれるかもしれないと思いながらつくっています。

──出光さんの創作は、時間的な制約や、社会的な役割による抑圧が重要な動機の一部となっています。ゆっきゅんさんのDIVAの活動は、鮮やかでキラキラしているけれど、まだ誰にも描かれていない悲しさの一部を照らすような側面があるように感じます。ご自身の創作の動機について教えてください。
ゆっきゅん 悲しみや喜び、痛み、悔しさ──誰かが抱えているのにまだ歌になっていない感情があれば、その人は「自分のための歌」だと思いながら聴ける曲がないじゃないですか。歌手の仕事はそういう状況をなくすことなんですね。自分が描ける範囲の想像力で多くの人の感情を歌い、誰かが孤絶してしまう時間をなくすこと。それが歌手の仕事だと思っています。
出光さんの《主婦の一日》は、折に触れて思い出す気がします。あの映像のなかの目線になることは誰もできないけど、本作のように人が一人ひとり生きているってことが感じられる作品が好きです。わたしは、多くの人の気持ちを歌にすることで、 「こんなにわたしの気持ちを歌ってくれる曲があるとは思っていなかった」と感じてくれる人たちがもっといると信じています。そういう表現活動ができればいいなと思っています。



















