• HOME
  • MAGAZINE
  • SERIES
  • ゆっきゅんと巡る、出光真子の作品世界【後編】ゆっきゅんが見つ…

ゆっきゅんと巡る、出光真子の作品世界【後編】ゆっきゅんが見つめる「個人の魂」を刻み続ける表現の力【2/3ページ】

自分の「目」を自分に向けるということ

──《主婦の一日》は出光さんの目が「家事をしている自分」を監視しているような作品です。ゆっきゅんさんは、周りから見られる自分と、ありたい自分の姿に対して、普段考えていることはありますか。

ゆっきゅん あの作品はやっぱりシャンタル・アケルマン(*2)のことを思い出しながら観ましたね。この作品も個人を見つめながらステレオタイプを描くみたいなことをやっていると思うんですけど、どんどん求められた役割に慣れてルーティーン化していき、それがもはや自分になっていくという。でも本当はそうじゃないと知っているもうひとりの自分の冷めた目が部屋のなかのテレビ画面から自分を見ている、という構造。この目は見守っているわけじゃなく、かと言って誰かに見られているという恐怖とも違っていて、こんなふうに「どこか距離を置きながらも自分を見ているもうひとりの自分っているよな」と感じました。

 わたし自身は自由に自分の思いや考えを発信できる機会もたくさんあり、アイドルやスターが抱えているような、周りからの見られ方と本当の自分のあいだの葛藤みたいなものは少ないほうだと思うんですよね。自分らしさみたいなものが、どこかから取ってきたものではなくて、「自分が自分として生きていたらこうなった」みたいなことを発信できています。ただ、周りから期待されることはありますね。「こんなにあなたが自由なのは、うまく自分を表現できなかった時期があるにちがいない」みたいな、過去に何かを乗り越えた経験を持っているはずというような期待。

《主婦の一日》を鑑賞するゆっきゅん

──出光さんの「目」は作品のなかにいる自分に向けられています。ゆっきゅんさんは、自分に対する期待を込めた目線を、自分自身に向けることはありますか?

ゆっきゅん むしろ自分に対する期待だけでここまで成長してきました。期待することで辛くなるときもあるけど、結果的にできることも増えている、みたいな感じですね。出光さんは創作の原動力のひとつに怒りがあると思うんですけど、わたしは普段あんまり怒ることってないんです。でも、発言を文字にするだけだと怒っていると思われることがあって、それは根が辛口評論家のような性質だからなのかもしれません。自分の作品に対して厳しくしなくてはいけないと思う気持ちのほかに、他人への期待もやっぱりあります。とくに表現については、もっとできるだろうという期待から、「こういうところが良くない」と指摘するような発言をすることもあるけれど、怒っているわけではないんです。すごく厳しい批評家がずっと自分を見ているみたいな感覚があるのかもしれません。

*2──映画監督。1950年ベルギー・ブリュッセル生まれ。1975年、25歳にして平凡な主婦の日常を描いた3時間を超える映像作品《ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地》を発表した。

編集部