スマの創作と原爆
第6章「ピカドン」では、スマと原爆との関係性を紐解く。70歳で被爆したスマは奇跡的に一命を取り留めたものの、街中にあふれる無数の遺体や惨状を目撃し、翌年には長年連れ添った夫・金助を亡くした。本章では、直接的な表現を多く遺さなかったスマによる数少ない原爆関連の作品や言葉を紹介する。色彩豊かで伸びやかな画風の根底に、壮絶な被爆体験が存在していた事実を突きつけた。

第7章「スマが描いた広島の風景」では、スマが生きてきた広島の情景がいかにその感性を育んだかを、作品を通じて読み解いていく。そして第8章「丸木スマ的曼荼羅」で展示されるのは、本展のハイライトともいえる最晩年の大作《簪(かんざし)》(1955)だ。俊に「おばあちゃんの生涯の曼荼羅図」と評された本作には、それまでの作品にも登場したあらゆる動物や草花が圧倒的な密度で描き込まれている。《簪》という題名について俊は、「私たちは、きらきら輝く簪をこの絵の題名にして、働きとおした女、おばあちゃんの生涯を飾ることにしました」と、スマの画集にその思いを寄せている。


最終章「絵は誰でも描ける」のタイトルは、位里と俊の著作名に由来する。このエリアでは、スマの作品を鑑賞しながら来場者自身が自由に創作を体験できるスペースを併設。専門的な美術教育を受けず、73歳から筆を握ったスマのように、誰もが表現の楽しさに触れられる空間となっている。

当時「おばあちゃん画家」や「うずもれていた天才」として脚光を浴びた丸木スマ。しかしその本質は、そうした素朴で微笑ましいイメージだけに収まるものではなかった。生きることの苦しみも喜びも素直に絵筆を通してぶつけたスマの絵画は、時代を超えて見る者の心を力強く揺さぶる。「絵は誰でも描ける」というメッセージとともに届けられる本展は、鑑賞者一人ひとりへ、自分を表現する喜びと、いくつになっても新たに広がる人生の可能性を感じさせてくれるはずだ。




















