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「丸木スマ展 73歳からのアーティスト」(滋賀県立美術館)開幕レポート。壮絶な人生から生まれた作品が現代に語りかけるものとは?【2/3ページ】

「丸木スマ」はいかに受容されていったのか

 こうしたスマの絵は、なぜ戦後の画壇で高く評価されたのか。画壇に進出していった背景には、息子夫妻が画家であり美術界が身近に存在した点も挙げられる。第3章「画壇へ」では、「女流画家協会展」「再興日本美術院展」、さらには「院展」の入選作品を通じ、スマが画壇での評価を確立していく過程を時系列順に追う。

「再興第37回日本美術院展」(1952)の入選作品。左はスマによる作品群、右はスマと同時期に入選した小倉遊亀の《娘》(1951)
「第38回日本美術院展」(1953)に入選したスマによる《きのこ》

 第4章「丸木家の人々」では、スマと深い関わりをもった人々、とりわけ位里と俊、そして娘の大道あやに関する作品や資料を展示する。位里と俊は「原爆の図」シリーズで知られるが、その制作風景をスマが傍らで見つめていたことが資料からもわかる。さらにスマと俊は姑と嫁の関係でありつつも、画家同士として共鳴しあい、交流していた姿も展示作品からうかがえる。娘のあやが絵を描き始めたのも60歳頃であり、スマの歩んだ道筋と重なる。

写真は、「《原爆長崎之図 浦上天主堂》制作中の丸木位里と後ろから見つめる丸木スマ」(1953-54頃)
スマと俊の関係性がうかがえる作品と写真

 73歳で絵筆を取り、一気に画壇の脚光を浴びたスマに対し、周囲はどのような視線を注いでいたのか。第5章「『丸木スマ』はどのように受け入れられたか?」では、1952年の初個展の様子や、当時の雑誌・新聞記事などの資料を網羅する。民藝運動を提唱した柳宗悦、山下清を見出した精神科医の式場隆三郎をはじめ、吉川英治、石牟礼道子、水上勉といった文学界の鬼才たちまでもが、熱い視線を送っていた様子が伝わる。

スマの個展に関する写真やポスター
式場隆三郎が所持していたスマの作品《柿もぎ》(1949)

編集部

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