東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館で、企画展「ハンセン病療養所のなかの『外国人』」(*1)が11月29日まで開催されている。担当は同館学芸員の木村哲也。
ハンセン病とは、「らい菌」という細菌に感染することで引き起こされる感染症の一種だ。近代以降の国の誤った政策(*2)によって患者やその家族らが偏見・差別を受け、甚大な人権侵害を引き起こした問題が存在している。同館は、そうした状況に晒されてきた患者や元患者、その家族の名誉回復を図るため、ハンセン病問題に関する正しい知識を普及・啓発し、偏見や差別の解消を目指して活動を続けている。
同館において、療養所のなかの「外国人」という存在に焦点を当てるのは初の試みだという。本展は、ハンセン病療養所という隔離の場に生きた海外ルーツの人々に注目し、過酷な生活のなかでどのように抗い、誇りをもって生きていたのかを見つめ直す内容となっている。
療養所のなかの在日朝鮮人たち
展示は、とりわけ数の多かった在日朝鮮人(*3)の入所者に関する資料を中心に構成されている。日本のハンセン病療養所には、戦前の植民地支配を背景に多くの朝鮮人が入所していた。全国13ヶ所ある国立療養所のうち本土の10ヶ所に入所の記録が残されており、とくに戦後の長島愛生園や邑久光明園(ともに岡山県)では、総入所者の1割を超える時期もあったという。ハンセン病は栄養失調や劣悪な公衆衛生環境で発症しやすい性質を持つため、当時の在日朝鮮人たちが置かれていた厳しい生活水準もうかがい知ることができる。
では、彼ら/彼女らは、いかにして療養所のなかで暮らしていたのか。本展では、「たたかう」「はたらく」「くらす」「うたう おどる」「よむ かく」という5つの切り口から、その暮らしや置かれていた立場に焦点を当てている。


まず「たたかう」では、在日朝鮮人の入所者たちが隔離政策のみならず、戦後の外国人政策のもとで直面した差別的な処遇に対していかに声をあげてきたのかを紹介。続く「はたらく」では、療養所内でも日本人のやりたがらない重労働や苦痛を伴う仕事を在日朝鮮人の入所者らが引き受けていた記録を展示している。抑圧のなかで周囲に認められるため、自ら進んでそうした仕事を引き受けざるをえなかった状況は、隔離政策がもたらした傷の深さを物語る。


「くらす」「うたう おどる」「よむ かく」では、隔離された空間で在日朝鮮人の入所者たちが自らのアイデンティティをどのように保持していたかを提示する。なかでも「うたう おどる」で取り上げられている女性たちは、隔離政策や外国人政策に加え、「女が人前で踊るなんて」という性別による偏見の眼差しにも晒されており、複合的な抑圧を受ける状況にあったと木村は語る。

*1 ──本展では「外国人」という言葉を、現在の国籍のみを指すものとしてではなく、植民地期の朝鮮人・台湾人、国外出身で無国籍となった人、日本人とのダブルの出自をもつ人など、多様なルーツや歴史的背景をもつ人びとを含むものとして用いている。
*2──1907年に放浪するハンセン病患者の隔離を定めた「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)が成立。31年には同法律が改正され、すべての患者を本人の意思に関わりなく隔離する「強制隔離」が始まる。この強制隔離は、「らい予防法」が廃止される96年まで続いた。
*3──本展では、朝鮮半島にルーツをもつ人びとを「韓国籍」「朝鮮籍」「日本籍」の区別なく「朝鮮人」と表記している。
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