東京・世田谷の世田谷美術館で、「田中信太郎──意味から遠く離れて」が開催されている。会期は6月28日まで。担当は同館学芸員の野田尚稔。
田中信太郎は1940年東京生まれ。太平洋戦争末期に茨城県日立市に疎開し、高校卒業まで暮らす。上京後は、現代美術家の篠原有司男(1931〜)の影響もあり、反芸術と称されていたネオ・ダダ・オルガナイザーズ(ネオ・ダダ)の活動に参加。前衛美術家として活動するも、60年代の後半よりミニマル・アートを彷彿とさせる作品へと転換する。その後70年の「人間と物質」展(東京都美術館・京都市美術館・愛知県美術館・福岡県文化会館、1970)、「ヴェネチア・ビエンナーレ」(1972)など主要な国際展に参加。85年以降は、平面と立体を組み合わせた作品を発表し、2019年に亡くなるまで、独自の思想に裏打ちされた作品を発表し続けた。
本展は、東京では初となる田中の回顧展だ。日本未発表だった70年の絵画作品から、晩年に探求し続けていた平面作品、そして亡くなるまで継続して制作した金属によるドローイングまで、アトリエに遺された作品を中心に40点弱で構成される。さらに60〜70年代にかけて、世田谷の祖師谷にアトリエを構えていた時代の作品図面や資料もあわせて展示されている。
入り口すぐの場所に位置する、特徴的な扇形の展示室では、《◯△◻︎(〝萌〟〝凛〟〝律〟)》(2001)が紹介されている。本作は2001年に国立国際美術館で開催された大規模個展「田中信太郎ー饒舌と沈黙のカノン」(2001年9月13日〜10月14日)で発表されたものだ。円、三角、四角のシンプルな要素で構成される本作の造形には、99年に制作された《無域》の要素が取り入れられている。































