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「田中信太郎──意味から遠く離れて」(世田谷美術館)開催レポート。意味を削ぎ落とす独自の哲学とは【4/4ページ】

90年代以降──晩年に向き合い続けた平面作品

 90年代の作品としては、91年の東京画廊での個展で発表された《韓(HAN)ー海を前にして》(1991)が紹介されている。同展は、65年の個展以来はじめて開催された平面作品のみの展覧会だ。納得できる作品が完成したときしか発表をしないと決めていた田中の個展開催は極めて不定期で、ときには数年の空白期間を置くこともあった(グループ展では発表することもあった)。また、ネオ・ダダを除いて特定のジャンルや文脈にカテゴライズされることを拒んだことも、国際的な評価を受けながらも国内でその全貌が紹介される機会が少なかった要因かもしれない。

田中信太郎《韓(HAN)ー海を前にして》(1991)キャンバスにアクリルペイント 194×582cm 日立市郷土博物館
展示風景より、90年代以降の作品群

 立体作品の印象が強い田中だが、晩年にかけて平面作品に改めて向き合っていた。《Heliotrope 2008》(2008)や《羽化》(2008)はその証左だが、生前には発表されなかったという。風を使って絵具を広げるといった新しい手法を試みながら、なぜ本作は発表されなかったのか。「私の見たいものは、私にしか見えないのに、私にも、見えない。」(「秋田小吉展」図録、2005)という言葉を残した田中は、平面のなかに何を見出そうとしていたのだろうか。

世田谷区祖師ヶ谷のアトリエについての資料など

 ほかにも、2010年代の小作品や、63〜78年まで拠点を置いた世田谷区祖師ヶ谷のアトリエについても、当時の写真とともに紹介されている。手跡を残さないために外部発注していた田中ならではの精密な図面も、極めて貴重な資料となっている。

 60年代から晩年に至るまで、様々な表現手法を用いた作品によって国内外から高く評価された田中信太郎。しかしながら、独自の思想にもとづいて美術界の主流からあえて距離を置いていたため、その創作の軌跡が包括的に紹介されることは極めて稀であったといえる。田中が作品のなかに込め続けた純粋性と、そこに宿った強い信念を会場で感じ取ってみてはいかがだろうか。

編集部