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ソウルでひらくクィア・アートの新たな地平。「スペクトロシンセシス・ソウル」展をレポート【2/3ページ】

展示空間の拡張と「クィア化」

 実際に会場を歩くと、その特徴は明確に現れている。展示はホワイトキューブにとどまらず、廊下や階段、ボイラー室、さらにはトイレといった場所にまで拡張されている。サンはこの点について「会場そのものをクィア化している」と表現する。鑑賞者は一定の動線に従うのではなく、空間を横断しながら作品に出会うことになる。

展示風景より、左の映像はハ・ジミン《Felt out of joint as a girl》(2026)。中央はイ・ウソン《Like Wind and Water: Gathering Without Staying》(2026)

 こうした空間構成は、クィア・コミュニティの歴史がしばしば非可視的で断片的なかたちで存在してきたことと響き合う。作品は必ずしも完結した形式をとらず、未完のものや断片性を含んだものも多い。サン自身も「断片的で未完成のように見える作品が、クィアの歴史そのものをよく反映している」と述べる。

 本展の印象的な作品のひとつが、オ・インファンによるインスタレーション《Where He Meets in Seoul》(2020/2026)だ。会場の床一面に、ソウルのゲイバーやクラブ、サウナなどの名称が香の粉で書き記され、それに火がつけられる。展示空間には独特の香りが立ち込め、時間の経過とともにその痕跡は消えていく。

展示風景より、オ・インファン《Where He Meets in Seoul》(2020/2026、部分)

 サンはこの作品について、「クィア・コミュニティの場がいかに儚く、移ろいやすいかを示している」と語る。実際、世界各地でクィアのための場所は消滅と再生を繰り返してきた。香が燃え尽きるプロセスは、そうした歴史そのものを象徴している。

 また、韓国系アメリカ人作家カン・スンリーの「Untitled (Harvey)」シリーズ(2025)には、サンフランシスコの政治家でゲイの権利活動家ハーヴェイ・ミルクの庭から受け継がれたサボテンがモチーフとして用いられている。そこには、世代や地域を超えて継承される記憶と連帯の物語が重ねられており、サンはこれを「レガシーの継承」として読み解くことで、文化や地理を越えた接続の象徴として位置づける。

展示風景より、壁面はカン・スンリー「Untitled (Harvey)」シリーズ(2025)

 展示を通して強調されるもうひとつの視点は、「クィア=特定の人々の問題ではない」という認識だ。写真家ツェン・クワン・チーの写真シリーズ「East Meets West」(1979–89)を例に、サンはこう語る。「クィア・アートは決してエロティシズムだけではない。私たちは誰もが、ある文脈において少数者になりうる」。

展示風景より、左から2番目上はツェン・クワン・チー《New York, NY (World Trade Center)》(1979)、3番目は同作家《San Francisco, California (Golden Gate Bridge)》(1979)

 本展で展示された同シリーズでは、ツェンは毛沢東を想起させる中山服を身にまとい、「訪問者」と記されたIDバッジを胸に付けた姿で、ゴールデンゲートブリッジや世界貿易センタービルといったアメリカの象徴的なランドマークの前に立つ。中国系としてアメリカに生きたツェンの立場は、性的マイノリティであることとも重なり合い、多層的な「他者性」を示す。こうした視点を通じて、観客は自身と異なる存在への共感へと導かれるだけでなく、自らの内にもまた他者性が存在することに気づかされる。

 「あなたのなかに私があり、私のなかにあなたがある」。サンが語るこの言葉は、本展全体を貫く思想を端的に表している。それは差異を強調するのではなく、その重なりや揺らぎに目を向けることで他者理解へと向かう態度だ。

展示風景より

編集部