「具体」の聖地で検証する、その功績【8/8ページ】

 「第2部:『具体』が芦屋へもたらした、新たな息吹」を締めくくるのは、1978年から1994年まで17回にわたって開催された「ジャパンエンバ美術コンクール」の紹介だ。国籍や年齢、ジャンルなどに制限を設けず「国鉄5トンコンテナに積み込める」大きさであることを条件とし、出品無料でありながら大賞受賞者には賞金300万円が贈られたこの賞。大阪大学教授の木村重信と元「具体」会員の吉田稔郎が、毛皮の総合商社であるジャパンエンバ株式会社社長で美術に深い関心をもっていた植野藤次郎に話をもちかけ、現代美術の振興の必要性を説いたことで実現した。第1回の入賞作品展「エンバ賞美術展」が芦屋市民センターで開催され、1991年の開館年から芦屋市立美術博物館賞(作品を買い上げ)が設けられるなど、芦屋の地と深い関わりをもつ賞であった。

展示風景より、エンパ賞美術展出品作品。右から松田豊《STAGE-41》(1989)、村上公也《TURN BUCKLE 900-R》(1990)、山下哲郎《陶板のためのWOOD CUT H5-52》(1993)

 所蔵作品のみで「具体」の初期から後期までをたどることができ、また、解散後にも元「具体」メンバーが地域の文化活動に携わった芦屋市の同館だからこそ、これだけの濃度のある「具体」展が可能となったのだろう。芦屋公園で行われた野外展が市民たちを熱狂させ、「具体」の活動を追いかけた人々によって、1972年以降の芦屋の文化的な動きが起こったことが全体を通して伝わってくる。

編集部