タピエが来日したのは、1957年9月のこと。吉原治良と「具体」会員たちが大阪駅で出迎え、「具体」会員たちの作品を保管していた吉原の本宅(大阪・中之島)や芦屋にある別邸に案内した。新たな抽象表現を追求する作家たちによる身体性や物質性を強調した作品を目の当たりにしたタピエは、その質の高さに感銘を受け、「具体」の熱心な支持者となったという。作品を意味性や物語と切り離し、純粋な抽象表現を目指す彼らが初めて評価を受けた瞬間であり、その後の大きなモチベーションを獲得する出会いとなった。

1962年9月1日、吉原が所有していた大阪・中之島の古い土蔵を改築して「グタイピナコテカ」をオープンした。ここでは1955年10月より定期的に行われてきた「具体美術展」のほか、「具体」会員たちの個展や、新人発掘の場となる公募展「具体美術新人展」などが開催された。白髪一雄や元永定正、田中敦子ら第一世代に、前川強や向井修二、名坂有子、松谷武判ら第二世代と呼ばれるメンバーがこの期間に加わった。
ドンゴロス(コーヒー豆の麻袋)を支持体とする前川や木工用ボンドを画材とする松谷のように、新たな素材を用いる作家、あるいは向井や名坂のように、反復を通して新たな表現を獲得しようとする作家ら、第二世代にとっても「ひとの真似をするな、今までに無いものをつくれ」のコンセプトは強い求心力となっていた。




















