「具体」の聖地で検証する、その功績【3/8ページ】

 1954年に結成された「具体」だが、作品制作はメンバーそれぞれが行っていたものの、グループとして作品展を開催するよりも前に機関誌『具体』を1955年1月1日付で創刊した。日英表記で誌面が構成されており、作品図版に加え、吉原による作品や展覧会の評論、会員のエッセイや芸術論も掲載され、1965年10月まで11年にわたって12冊が発行された。海外への展開も視野に入れ、戦略的に活動を計画した吉原治良の実業家としての視点がそこには垣間見える。

展示風景より、機関誌『具体』が創刊号(画面右の黄色い絵の表紙のもの)より並ぶ
展示風景より、吉原治良による「具体美術宣言」が掲載された『芸術新潮』(1956年12月号)

 その戦略は、見事に奏功する。『具体』誌を受け取ったパリ在住の画家、堂本尚郎が、「アンフォルメル」の主唱者であるフランスの美術評論家であるミシェル・タピエに見せると、タピエは強い関心をもち、「具体」の海外での展示をプロデュースするのみでなく、のちに拠点となる「グタイピナコテカ」の名付け親となるなど、その後の展開に大きな影響を与える出会いをこの機関誌がつくったのだ。展示は「第1部:具体美術協会 1954-1972 『具体』から『GUTAI』へ/1957-1965」へと続く。

「第1部:具体美術協会 1954-1972 『具体』から『GUTAI』へ/1957-1965」展示風景より
展示風景より、左から正延正俊《作品64-3》(1964)、田中敦子《作品》(1960)

編集部