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「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」(アーティゾン美術館)開幕レポート。誰かと何かをつくることの深遠さ【6/6ページ】

 最後となる第4章「トイバー=アルプ没後のアルプの創作と『コラボレーション』」では、トイバーの死に衝撃を受けたアルプが、その喪失に向き合いながら自身の作品を新たな領域に到達させようとした道程を辿る。

展示風景より、ジャン・アルプ《ダフネ》(1955) アルプ財団

 トイバーの急逝後、4年のあいだアルプはその死に向き合い、ガッシュや詩をつくり出していく。新旧の詩を再編成したり、ふたりの共作によって完成した作品をちぎりコラージュするといった方法は、トイバーに新たな表現の領域を与えた。こうした行為はやがて、没後においてなお、ふたりがコラボレーションし続ける一連の作品となっていく。

展示風景より、左からジャン・アルプ《共同絵画》(1950頃)、《デュオ=絵画》(1950頃)

 第二次世界大戦後、アルプはより明快なフォルムを打ち出した彫刻を制作するようになる。戦後に美術の中心地となるアメリカでは、トイバーとアルプの共作なども含めて、その作品が20世紀の重要な美術として収蔵対象となっていった。

展示風景より、左がジャン・アルプ《貝殻=帽子》(1965)アルプ美術館バーンホフ・ローランズエッグ、右が《山》(1953)アルプ財団

 また、アルプはトイバーとの協働を記録に残すべく、これまでの作品の制作年を確定させ、カタログ・レゾネとしてまとめている。いかに、ふたりの共作という作業が、アルプにとって重要だったのかわかるだろう。

 20世紀前半、当時の現代美術の先端をかけぬけ、各々の制作を共鳴させながら時代に名を残したゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ。ふたりが夫婦であったことはひとまず置きつつ、そもそも他者の存在は制作にいかなる影響を与えるのか、他者とともにしか到達できない領域とはどこなのか、鑑賞者一人ひとりが考えずにはいられない展覧会といえるだろう。

編集部

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