展覧会は4章構成で、ふたりの足取りをたどる。第1章「形成期と戦時下でのチューリヒでの活動」では、両者が自身の作風を探る時期を取り上げつつ、20世紀を代表する芸術潮流のひとつであるダダイスムの誕生との影響関係などを取り上げる。
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トイバーが生まれたスイス東部はテキスタイル製造の伝統を持つ地域だった。ザンクト・ガレンで素描とデザインを、その後はドイツのミュンヘンとハンブルクの学校で学ぶが、いずれも工芸的な要素とファインアートの相互的な影響を標榜する教育を行っていた。こうした来歴はその後のトイバーの制作姿勢にも強い影響を与えているといえる。またトイバーはアーツ・アンド・クラフツ運動の思想にも共感していたという。トイバーはスイスに帰国後、刺繍と木工、ビーズといった工芸的な素材を使い、幾何学的なフォルムの作品を生み出した。これらは工芸品店などでも人気があったそうだ。
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いっぽうのジャン・アルプはドイツ領ストラスブールに生まれ、工芸学校を経て造形芸術学校に学ぶも、本人が心の拠り所としていたのはロマン派に影響を受けた詩作だった。アルプは詩作を行いながら、同時に造形表現を模索していった。