〝意味〞を拒絶した芸術家たちの物語
第1次世界大戦中の1916年、スイス・チューリヒのキャバレー・ヴォルテールで産声を上げたダダイズム。ちょうど一昨年の2016年はチューリヒ・ダダ誕生100年の歴史的節目であったから、国内外でダダ関連のイベントが活発に開催された様子を記憶している人も多いことだろう。しかし、過去の芸術のいっさいを否定し破壊の精神としてうたったダダイズムが「歴史化」するというのはいったいどういうことなのだろうか。「ダダは何も意味しない」。ダダの首謀者トリスタン・ツァラが1918年に発表した宣言の有名な一節を、改めて現在の私たちの精神に引き受けなければならない。「学派や理論に左右されない精神状態」のダダを美術史的理解とは異なるかたちで引き継ぐとしたら、それはどのような仕方で成し遂げられるのか。
ダダイズム研究の第一人者である著者は本書の冒頭で、「ダダはひとまず個人のレベルから始まる思惟や感情や行動」であると述べる。本書の始まりも中心人物・ツァラの評伝からだ。その後、ダダの理念が世界各地に波及してダダイストを生み出していく過程が丹念にたどられる。ダダの思想を広げるためにツァラはあらゆるメディアと人的ネットワークを利用した。興味深いのは、1920年頃、ツァラがパリで『ダダグローブ』なる国際的アンソロジーの編集を企てていたことである。残念ながら企画は頓挫したが、書簡を通じて世界各地のダダイストたちに協力を呼びかけた同書がもし完成していたら、ダダの精神を誌上で体現した一大アートブックが実現していたはずだ。『ダダグローブ』の構想にかぎらず、現在のようには交通網や情報ネットワークが発達していない時代にあって、ダダの精神がわずかな時間差を伴いながらベルリン、東欧、ニューヨーク、ラテンアメリカ、果ては日本の美術家や詩人たちを触発していくさまはほとんど驚異的と言ってよい。ダダの運動が複数化して世界中にスプリットし、時には本家チューリヒ・ダダとの相違点を見せながら展開していく過程は、正しく引き継がないという仕方こそがダダ的なのだ、という逆説的な事態を示しているかにも思える。
本書はツァラが傾倒した「黒人詩」や女性のダダイストなど、周縁とされる動向にも光を当てた。時間と空間、文化を超えたダダはどこまで拡張するのか。グローバルにしてローカルなダダの精神風土が本書で余すことなく描き出されている。