渋谷区立松濤美術館で、「空の発見」がスタートした。会期は11月10日まで。担当学芸員は平泉千枝(渋谷区立松濤美術館 学芸員)。
空といえば「青い空」「白い雲」「夕焼け」など、様々な表情が見られるだろう。しかし、日本の美術において、それらは長いあいだ描かれてこなかったという。本展は、それはなぜか? という問いを発端として企画されたものだ。
会場では、「1章 日本美術に空はあったのか?─青空の輸入」「2章 開いた窓から空を見る─西洋美術における空の表現」「3章 近代日本にはさまざまな空が広がる」「4章 宇宙への意識、夜空を見上げる」「5章 カタストロフィーと空の発見」「6章 私たちはこの空間に何を見るのか?」といった全6章立てで、日本美術における空の変遷をたどっていくものとなる。
まず初めに1章で登場するのは、江戸末期に描かれた「洛中洛外図」の流れをくむ都市風景だ。ここには青い空や白い雲は一切登場せず、むしろ金色の雲(金雲)が上空いっぱいに広がっている。また、浮世絵版画では「一文字ぼかし」といった地面と平行のグラデーションを空の表現としており、どこか記号的に解釈されているようにも見受けられる。
このような作品群からも、最近まで日本の画家たちにとって「空をありのまま描く」といった概念が希薄であったことが伺えるだろう。
いっぽう西洋では15世紀頃から西洋古典絵画の基礎的な理論が形成されつつあり、17世紀から18世紀頃の作品を見ると、目でとらえた風景や空を観察し、繊細に写実されていることがわかる。
そのような西洋絵画の影響もあり、幕末から明治には日本でも西洋の油画を習得しようとする画家たちが登場した。例えば、亀井竹二郎によって油彩で描かれた《石版『懐古東海道五十三駅真景』油彩原画》と、歌川広重による大判錦絵『東海道五拾三次』シリーズの空の表現を比較してみるのもおもしろいだろう。また、上野の不忍池を描いた高橋由一による作品には、空の表現に浮世絵の「一文字ぼかし」の影響があるのではないか、といった指摘もあるそうだ。
その反面、本格的に西洋絵画を学んだ黒田清輝の教え子である萬鉄五郎は、西洋の影響を受けつつも、強烈な個性を空の表現にも取り入れ、自画像とともに描いている。ありのままに描く写実ではなく、自身の心象などをもとに自由に描くスタイルとして昭和期にはシュルレアリスムの表現も見受けられたが、戦前には危険思想として弾圧を受けることとなってしまった。
2章から3章では、西洋絵画からの影響と日本の画家たちによる空の表現の大きな変遷を見ることができる。
空の先には宇宙が広がっている、といった共通認識はいつ生まれたのだろうか。18世紀後半の江戸時代には長崎でオランダからの輸入書籍を通じて「地動説」が日本にも持ち込まれたという。4章では、空を通じて宇宙へと思いを馳せたことが伺える作品群が紹介されている。
我々は地上で生活をしているため、絵画で描かれるのは地上の風景が多いはずだ。しかし、「天を仰ぐ」という言葉があるように、空がクローズアップされたとき、それは地上に異変が起こったことを示すサインかもしれない。5章では、関東大震災の被害を描いた鹿子木孟郎の《大正12年9月1日》や、池田遙邨の《災禍の跡》、そして第二次世界大戦時に戦意高揚の目的で描かれた中村研一の《北九州上空野辺軍曹機の体当り B29二機を撃墜す》、召集された中国大陸でのやるせない思い出を、穴底から見た青空の景色として描いた香月泰男の《青の太陽》が紹介されている。
本展においてユニークなのは、日本の絵画における空の表現の変遷を追いながら、現代作家らによる絵画にとどまらない表現にも着目している点だ。6章では、AKI INOMATA、小林孝亘、小林正人、阪本トクロウ、Chim↑Pom(現 Chim↑Pom from Smappa!Group)、野村仁、ホンマタカシ、米田知子らの作品が展示。現代作家らがとらえる空の風景はどのようなものかぜひ着目してほしい。
小説や映像作品において、空の表情は時間の流れや登場人物の心情を表すメタファーとしてよく活用される。しかし、絵画のなかでそれに注目する機会はあまり多くはなかったのではないか。非常に新鮮な鑑賞体験であったとともに、絵画を見るということについて新たな目を得ることができる展覧会であった。