生まれながらの性別から、衣服の力によってその性を越境する試みである「異性装」。日本におけるその歴史と表現をたどり、異性装のこれまでとこれからを考える「装いの力ー異性装の日本史」が東京・渋谷の松濤美術館で開幕した。会期は9月3日〜10月30日。
日本では、その歴史においてしばしば異性装を試みることで、従来の性別とは異なる社会的な立ち位置を得ようとした人々が存在した。本展は、古代から現代までの様々な絵画や衣裳、写真、映像、マンガなどの作品を通して、各時代の異性装の様相を通覧することで、その性の越境を可能とする「装いの力」について考察することを促すものだ。
会場は大きく2つのエリアに分かれており、全8章で構成。地下1階は奈良時代から江戸時代までの、2階からは明治時代以降における近・現代の異性装の事例が取り上げられている。
1章「日本のいにしえの異性装」では、古くから残る異性装の歴史を紹介。その異性装の最古の事例として挙げられているのが『古事記』だ。九州のクマソタケル討伐を命じられたヤマトタケルは、髪を下ろし、女性の着物を身にまとうことで女性に扮し、相手の隙をついた、というエピソードがこの書物には残されている。
室町時代の《新蔵人物語絵巻》は、とある貴族の三女が主人公の物語。この三女は「男になって走り歩きたい」という願望のもと、兄とともに男装をして宮中に出仕。帝に仕え、新蔵人(しんくろうど)と呼ばれるようになった。
谷文晁(たに・ぶんちょう)によって模写された江戸時代の《石山寺縁起》では、僧侶と同伴する少女の姿が見える。当時僧侶は女人禁制であったため、近年の研究では女装をした稚児なのではないか、と考えられている。
2章「戦う女性ー女武者」では、軍事領域は男性と考えられていた時代に、甲冑を身に着け武具を持った「戦う女性」を取り上げる。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場している巴御前の姿が描かれた《奈良絵本 平家物語》や、現存数が少なく非常に貴重な女性用の甲冑《朱漆塗色々威腹巻》がこの章の見どころと言える。
戦う女性もいるいっぽう、美しい男=「若衆」も存在する。3章で紹介されるこの若衆とは、一般的には元服前の若い男性のことだが、場合によっては男色の対象となった陰間(かげま)と呼ばれる少年や役者を指すこともあったという。ここで展示されている葛飾北斎の《若衆文案図》は、あたかも美人画と見まごうほどの中性的な少年が描かれており、当時はその独特な雰囲気に美を見出していたのではないかと言われている。
異性装で思い浮かぶ代表的なもののひとつが「歌舞伎」ではないだろうか。4章の「江戸の異性装―歌舞伎」では、かぶき踊りの創始者と言われている出雲阿国が描かれた《阿国歌舞伎草紙 第二段》が展示。男装の阿国が女装をした夫・三十郎と戯れる「茶屋遊び」の演目が当時人気を博し、この性の倒錯のおもしろさに江戸の人々は惹かれていたことが伺える。その後、遊女による歌舞伎や若衆歌舞伎なども誕生したが、風紀を乱すという理由で禁止に。成人男性役者が芝居を演じることで興行許可がおりた「野郎歌舞伎」が、現在まで続く歌舞伎の基礎となっている。
5章では江戸の異性装のなかでも「物語の登場人物・祭礼」に焦点を当てる。江戸時代に人気を博した小説や合巻などには異性装の人物が活躍することもあった。曲亭馬琴による『南総里見八犬伝』の女装剣士や、歌舞伎の演目としても有名な『三人吉三廓初買』で登場するお嬢吉三も女装の盗賊だ。
祭礼という非日常の場でも異性装は見られ、山王祭や神田祭では男装の女芸者による演目が行われるという事例もあったようだ。
異性装という営みは、時代背景や当人の身分によって許されたり罰せられたりした。江戸時代では、歌舞伎や小説など表現の場では積極的に受け入れられたものの、実世界ではすべて許容されていたわけではない。しかし、祭りのような特別な場ではある程度許容される、といったゆるやかな側面も持ち合わせていた時代だと言える。
6章「近代における異性装」で紹介する作品からは、異性装に対する人々の考え方が徐々に変わっていく様子を見ることができる。明治新政府が立ち上がった頃、日本は西洋の価値観を取り入れ同等になろうと文化醸成を推し進めた。その結果制定されたのが「違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)」。現在の軽犯罪法に当たる本条例には、異性装禁止の項目が含まれていた。
メディアではこのような刑罰報道が増えた。《東京日々新聞 813号》では、とある夫婦が結婚後、戸籍制度によって妻が女装をした男性であることが発覚。双方の同意のもとの婚姻であったにもかかわらず、離婚を強いられ、妻の男性は散切り頭にされてしまった、という痛ましいニュースだ。
一般社会での異性装の取り締まりが厳しくなるいっぽうで、芸能など表現の分野では変わらず異性装は容認されており、少女歌劇や男装の麗人・ターキーが人気を博したりと、矛盾した状況も生まれた。その後も異性装のキャラクターが活躍するマンガ『リボンの騎士』や『ベルサイユのばら』など、現代でも人気のコンテンツが表現の場では生まれ続けていることが、7章「現代における異性装」からはうかがい知ることができる。
8章「現代から未来へと続く異性装」では、これまでの歴史を踏まえて、異性装の未来を考えていくセクションとなる。現代アーティスト・森村泰昌の「女優シリーズ」作品やダムタイプの《S/N》記録映像が展示されており、異性装と密接に結びつくジェンダーやセクシャリティに関する諸問題について考えさせられる。
くわえて、グロリアス(古橋悌二)、DJ Lala(山中透)、シモーヌ深雪らによって始められた、日本最初期のドラァグクイーンによるエンターテイメントダンスパーティー、"DIAMONDS ARE FOREVER"のメンバーによるインスタレーションも見ることができる。古いジェンダー観のままの地球を飛び出し、宇宙へ向かうといったコンセプトだ。
本展は、異性装に関する日本史をたどり、知ることで既存の「男」「女」という二項対立のジェンダー規範について改めて考えさせられるものだ。ぜひ現場へ足を運び、自身の頭でジェンダーの未来について考えるきっかけをつくってみてほしい。
また、会場ロビーにはドラァグクイーンの写真パネルが設置されている。フラッシュを焚いて撮影すると変化が起こる仕様になっているため、こちらもぜひ試してみてほしい。