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「人形」は芸術なのか。「人形」は人間の代わりになり得るのか。渋谷区立松濤美術館で見る「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」

日本の「人形」の歴史を振り返りながら、「人形」と「美術」の境界の揺らぎまでを問う展覧会「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」が東京・渋谷の渋谷区立松濤美術館で開幕。会期は8月27日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、村上隆《Ko²ちゃん(Project Ko²)》(1997)

 日本の「人形」の歴史を振り返りながら、そこに通底する「ものをつくる」という行為のあり方や、「人形」と「美術」の境界を問う展覧会「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」が東京・渋谷の渋谷区立松濤美術館で開幕した。会期は8月27日まで。企画構成は同館学芸員の野城今日子、平泉千枝が担当している。

展示風景より、左が三代 安本亀八《生人形 徳川時代花見上臈》(明治時代・20世紀)

 日本の「人形」といえば雛人形や五月人形、マネキン、フィギュアなどが連想されるが、その領域は民俗、考古、工芸、彫刻、玩具、現代美術にまで拡張できる。人形はジャンルのボーダーラインを飛び越える存在であり、見る者の既存の価値観を揺らがせる存在でもあることがわかる。

展示風景より、松﨑覚《フョードル・ドストエフスキー》(2022)

 本展は10章構成で「人形」が持つ多面性に迫るものだ。第1章「それはヒトか、ヒトガタか 」は、平安時代の考古資料から昭和期にいたる時代の民俗資料まで、人の形をした様々なものを展示する。

展示風景より、《サンスケ》(昭和時代・20世紀)

 《人形代[男・女]》(平安時代・9世紀)は、背面で人間の両腕が縛られている様子が表されている人形代(ひとかたしろ)だ。人形代とは呪殺を目的としてつくられた木製の人形で、相手の身体の特徴を忠実に表すほど、より強く呪いをかけられると信じられていた。

展示風景より、《人形代[男・女]》(平安時代・9世紀)

 また、東北地方で信仰される「オシラ神」を表した《オシラサマ》(江戸時代)や、12人で山に入ると神の怒りに触れることから、13人目の人の代替にして入山したという津軽地方の《サンスケ》(昭和時代・20世紀)など、神や人の代わりとして人の形がつくられてきた歴史が、実物とともに紹介される。

展示風景より、《オシラサマ》(江戸時代)

 第2章「社会に組み込まれる人形、社会をつくる人形」は、五月人形や雛人形といった、節句の人形を展示する。子供の健康を願うものも多いが、同時に子供が手にとって遊ぶことで結婚のためのイメージトレーニングや男女の役割を学ぶという目的があるものもあった。

展示風景より、末吉石舟《古今雛》(1827)

 幼児がハイハイする姿を模したとされる《這子》(江戸時代)や、様々な表情の古式雛など、古くから変わらない子供の将来を思う人々の願いが込められた人形が展示されている。

展示風景より、左から《這子》、《天児》(ともに江戸時代)

 第3章「『彫刻』の登場、『彫刻家』の誕生」は、2章までで紹介された日本人の生活のなかにあった人形に、近代的な「彫刻」という概念が介入してきたことを物語る作品が並ぶ。

 例えば、博多人形は素焼きの土人形に彩色を施した郷土玩具だが、破綻がないフォルムを有しており、彫刻の領域に達しているとも言える。どこまでが「人形」で、どこからが「彫刻」なのか。その概念の揺らぎをここに見出すことができる。

展示風景より、小島与一《三人舞妓》(1924)

 第4章「美術作品としての人形──人形芸術運動」は、第3章で提示された「人形」と「彫刻」の差異への問いを引き継ぐかたちで、昭和初期に「美術」として「人形」の地位を確立しようとした「人形芸術運動」と総称される人形作家たちの活動を紹介。「人形作家」という職業が確立される礎となった、野心的な人形たちを見ることができる。

展示風景より、堀柳女《御産の祈り》(1941)

 第5章「戦争と人形」は、前章の「人形芸術運動」が第二次世界大戦前夜の空気のなかで、富国強兵のイメージへと結びついていった過程をたどる。加えて、《慰問人形》もこの時代の人形として忘れてはならない存在となる。おもに少女たちによってつくられ、特攻隊員をはじめとした戦地の兵士へと送られた《慰問人形》。人形が死と隣り合わせにある人間にとっての拠り所であったことがわかる。

展示風景より、《人形・奉公袋》(昭和時代)

 第6章「夢と、憧れと、大人の本気と」は、生活を彩り、人々の憧れを掻き立てる存在としての「人形」が展示される。

 本章で注目したいのは竹久夢二や中原淳一による人形作品だ。大正時代、「夢二美人」として人気を集める美人像を描いた竹久だが、晩年は多くの「夢二人形」を制作した。親しみのあるやわらかな造形ながらも、その立ち姿や表情には竹久特有のロマンチックな雰囲気が漂う。

展示風景より、竹久夢二《ピエロ》(1930〜1934)

 また、中原淳一も少女たちの憧れとなった雑誌の表紙絵やファッションデザインなどで活躍したが、十代のころに「夢二人形」と出会ったことで人形制作もはじめていた。とくに60年代、千葉・館山で療養していた時期には精力的に人形制作に取り組んでおり、会場ではこの時期の中原が自身のために身の回りの素材で制作した男性と少年の人形が展示されている。その洗練された雰囲気は、いまなお新鮮な印象を与えてくれるだろう。

展示風景より、中原淳一《無題》(1961)

 第7章「まるでそこに『いる』人形──生人形」で展示されているのは、「生人形(いきにんぎょう)」だ。まるで本物の人間がそこにいるような、精巧でリアルな人形は、見世物として幕末から明治にかけて流行した。ぜひ、展示室でも当時の人々が夢中になったのと同じ、そこに人がいるかのような生人形の存在感を味わってもらいたい。

展示風景より、手前が安本亀八《生人形 束髪立姿 明治令嬢体[頭部のみ]》(1907)

 いっぽうで本展では見世物とは異なる目的を持った生人形も見ることができる。愛媛・三津浜に伝わる吉村利三郎《生人形 松江の処刑》は、暴漢に襲われた際に相手を斬り殺してしまい、その罪を償うために自ら父に斬首を願い出た娘・松江の悲劇を生人形で再現したもの。この人形は、法要行事の際に松江の墓の横に陳列され、人々に感銘を与えるとともに供養の役割も担ったという。

展示風景より、吉村利三郎《生人形 松江の処刑》(1931頃)

 第8章「商業×人形×彫刻=マネキン」では、生人形の流行に翳りが見えたのち、生人形師たちが商業施設でのマネキンの制作に関わるようになっていき、やがてそこに芸術としての価値が生まれていった過程を追う。

展示風景より、荻島安二《マネキン》(1925)

 第9章「ピュグマリオンの愛と欲望を映し出せ!」では、性にまつわる人形が展示されている。例えば、佐賀の嬉野温泉にある「秘宝館」に展示されていた《有明婦人》。「おっぱいボタン」を押すと後ろを向いていた裸体の人形が回転し、露わになりそうな下半身をムツゴロウが隠すというこの人形は、思わず笑ってしまうギミックと、高度な人形の造形技術の同居が魅力的だ。

 性行為の対象となる人形として、ラブドールも本章では展示されている。たんなる性処理の対象を超えて、気持ちを入れ込む対象にまでなっていったラブドールたちは、人間と人形の境界を見るものに考えさせるだろう。

 第10章「ヒトガタはヒトガタ」は、現代の作家たちの作品によって、本展を締めくくる。

 フィギュア制作メーカーの海洋堂に所属するBOMEが原型を手がけた、村上隆の《Ko²ちゃん(Project Ko²)》(1997)は、オークションで高額落札されたことでも有名な、美術史における重要なピースだ。

展示風景より、村上隆《Ko²ちゃん(Project Ko²)》(1997)

 日本のオタク文化が生み出した記号的な美少女の特徴を表した本作だが、会場では2003年の『美術手帖』の特集号に付録としてついていたミニチュア版の《Ko²ちゃん》と同じ空間に展示されている。同じ《Ko²ちゃん》でありながらも、かたや高額な現代美術の歴史的な作品、かたや雑誌の付録と、異なる価値が併存していることになり、《Ko²ちゃん》が現代美術の価値そのものを体現した「人形」であることが強調されている。

展示風景より、左から『美術手帖』(2003年840号)、村上隆《Ko²ちゃん(Project Ko²)》(1997)

 また、現代の人形作家として忘れてはならないのが四谷シモンだ。球体関節人形という「人形」であることを強調するがゆえのメランコリーを内包する存在を、美術にまで高めた四谷の仕事は、今後も多くの創作者から参照され続けることだろう。

展示風景より、四谷シモン《解剖学の少年》(1983)

 「人形」という普遍的でありながらも、長く深い歴史を持つテーマを、美術との関係も含めて提示した本展。限りある展示スペースではあるが、そこにあるべき作品を厳選して重厚な展示テーマを完遂した、キュレーションの技も感じてほしい展覧会だ。

編集部

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