機会を創るひと、活かすひと。リクルートの芸術文化支援は「江副記念リクルート財団」、アートセンター「BUG」の両輪で回る

東京駅八重洲南口に面したビル1階で、リクルートホールディングスにより昨年オープンしたのがアートセンター「BUG」。同スペースで6月から開催される小林颯個展「ポリパロール」(6月26日〜7月21日)は、新しい「場」にふさわしい大胆なチャレンジに満ちた展示であり、個展を担う小林は公益財団法人江副記念リクルート財団の支援を受けたアーティストでもあるのだ。リクルートが長らく継続してきた若き才能への支援活動と、BUGに象徴される「場づくり」の取り組みとはどんなものか。その歴史と実態を、運営側とアーティスト双方の声から探る。

聞き手=山内宏泰 写真=手塚なつめ

アートセンターBUGにて。左から、小林颯(アーティスト)、花形照美(株式会社リクルートホールディングス財団・アートセンター推進部部長)

50年以上継続する若者応援のための財団

 リクルートの文化・アート支援として現在もっとも人の目につきやすいのは、アートセンター「BUG」を核とした活動である。銀座で30年来運営されてきたふたつのギャラリー「クリエイションギャラリーG8」「ガーディアン・ガーデン」を受け継ぐかたちで、昨年、東京駅八重洲南口に誕生したスペースだ。都内有数の一等地で意欲的な展覧会を仕掛け、制作活動年数10年以下のアーティストを対象としたアワード「BUG Art Award」の拠点にもなっている。

 それだけではない。スペース運営を中心としたこれら一連の活動より以前から、リクルートは若き才能たちの支援を継続してきた。それは、学術、スポーツ、音楽、そしてアートといった幅広い領域で、50年以上にわたり留学支援などを行っている公益財団法人江副記念リクルート財団の存在によるもので、現在は、約80人の各分野の若者が、主に海外留学に対する支援を受けている。

 この財団とアートセンターの双方を統括する株式会社リクルートホールディングス財団・アートセンター推進部部長の花形照美に、この歴史について振り返ってもらった。

なぜ海外留学がアーティストにとって必要なキャリアとなるのか?

──まず、江副記念リクルート財団が長年行ってきた若者への支援制度について教えてください。

花形照美(以下、花形) 財団が創設されたのは1976年で、奨学金制度である「リクルートスカラシップ」がスタートしたのは71年のことです。リクルートは1960年の創業なので、企業として発展途上で安定していたわけではない時期から、社会貢献活動を始めたことになります。当時の主たる事業は、学生の就職や進学をサポートする情報誌ビジネスでした。若い人を応援する活動は本業との親和性が高いですし、創業者自身が身を立てるまでに辛苦があった事情も関わり、利益の一部を若い方々へ還元していこうとしたのです。

 創設時はまず社内組織として、現財団の前身となる「江副育英会」を立ち上げ、国内奨学制度を推進。のちに企業体と切り離し財団のかたちをとるようになりました。奨学金の対象となる分野は時代にあわせた変遷があり、現在はアート部門のほか学術部門、スポーツ部門と器楽(ピアノおよび弦楽器)が対象となっています。

 分野は多様ですが、応援したい人の像は「志と向学心があって“何かやりそう”と思わせる人」と共通しています。2010年代からは、リクルート自体がグローバルにビジネスの舵を切ったタイミングでもあって、世界で活躍することを目指す人たちの応援に注力しています。

花形照美
リクルートスカラシップ

──とくに若いアーティストの海外留学を応援する理由はあるのでしょうか。

花形 日本の学生が世界に出ていくときのハードルは、表現やスキルというよりプレゼンテーション能力にあることが多いようです。「いいものをつくればわかってくれる」といった態度は通用せず、自身の創作について、しかも英語で説明することが求められます。これは学生に限らず、日本のアーティストが総じて苦手とするところですね。となれば、やはり若いうちに海外留学などを経験し、プレゼン能力を含め総合的に学ぶ機会を多くの学生が持つべきだと考え、半年や1年の交換留学ではなく、あえて4年、2年の正規課程で学ぶことに重きをおいた支援をしています。

 2018年から奨学生の選考委員をしていただいているアーティストの塩田千春さんからも、海外の正規教育を受ける重要性はしばしば指摘いただいているところです。世界の第一線で活躍されている方の声を、非常に貴重なものと受け止めています。

──「リクルートスカラシップ」は定められた奨学金を支給するに留まらず、関わりを持ったアーティストに対して、手厚い働きかけもしていますね。

花形 お金だけ払ってあとはお好きに、という関係性になってしまうのは寂しいし、それではおそらくアーティストも伸びなくなってしまう。支援するからには、私たちはお金を出すだけではなく、あえてきちんと口も出す存在であろうとしています。奨学生には活動報告レポートを毎月提出していただきますし、奨学生とスタッフがこぞって参加するイベントも年に1度は行います。2021年からは、奨学生として在籍した若手アーティストたちによるオンライントークイベントも開催しています。

 若い人たちにとっては少し煩わしく感じるかもしれませんが、財団と奨学生の良い付きあいを継続させていくことが、アーティストとして大きく羽ばたくことにつながっていくと信じています。

2022年9月10日に開催されたオンライントークイベント「海外美大留学 / 海外での滞在における作家のアイデンティティと制作」。ここでは、奨学生を経験した小林颯、増田麻耶、石原海が登壇した

つかみ取った機会を活かす。小林颯が留学中に気づいた「表現と社会の接点」

──この支援制度を活用し、ベルリン芸術大学大学院アートアンドメディア科への留学を果たしたアーティスト・小林颯さんにもお話を伺います。財団とはどのような経緯で出会ったのでしょうか。また、実際の「使い心地」はいかがでしたか。

小林颯(以下、小林) 江副記念リクルート財団の存在は、私の周りの学生にはよく知られていました。それだけに狭き門であり、選考はなかなか厳しいという噂も耳にしていました。留学したい気持ちが高まっていたので応募してみたのですが、自身が選考を通過するとはまったく想定していませんでした。このプログラムに通っていなければ、私はおそらくベルリンに留学できておらず、進路やキャリアはいまとはずいぶん違うものになっていたはずです。ですから奨学生に選んでいただいたことは非常にありがたいお話でした。

花形 応募した時点では、自分のできることやできないこと、今後のビジョンは明確になっていたんですか?

小林 私は映像表現について様々な試みを行っていますが、「装置」と「映像」を用いる手法については、自分なりのものを見出せたかなという感覚がありました。ただ、その手法を使ってどういったものをつくるかが定まっておらず、そこを固めていきたい段階にありました。

小林颯 2020年に東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻を修了。同時期に「リクルートスカラシップ」の奨学金を受給してベルリンへ留学。24年にベルリン芸術大学大学院アートアンドメディア科を修了した

花形 小林さんの場合は選考の際にも、技術的にハイレベルでしっかり手が動く状態になっていることが選考委員のなかでも高く評価されていました。「自分はどうしてもベルリンに行かなきゃいけないんだ」という切迫感もありました。ドイツ語についてはそこからしっかり勉強する必要がありましたが。

小林 実際に留学してからは、すぐ制作に忙しい日々が始まり、充実していました。日頃の財団との関わりとしては、経済的な支援を受けながら、活動レポートを書いて提出していくこと。あとは奨学生同士でたまにZoomをつなぎ、近況を報告しあったりということもありました。月に1度提出するレポートには活動報告のほか、そのとき感じていることを率直に書くようにもしていました。当時はロシアによるウクライナ侵攻が始まった時期で、そうしたニュースに触れて思うところをその都度言語化することも自分にとっては重要でした。

花形 アート部門の人は、制作のことだけでなく社会情勢にも触れたりと、けっこう長いコメントを書いてきてくれます。それが次なるアウトプットの動機にもなっているようです。

小林 レポートを書き継ぐことで社会との接点を持てますし、それが創作とつながっていることも実感するようになりました。ベルリンの学校では留学生でもどんどん発言したり、自分のしていることを言葉にするよう求められます。学校と月次のレポートによって、考えや思いをきちんと伝えることが習慣づけられました。

花形 アーティストとは本来、「あなたはどう思うの」「どういう主義主張があるの」と、つねに問われる存在。そのあたりは日本にいるとなかなか学べず徹底できませんから、留学はいいきっかけになると思います。

小林 個人的なことをどのように社会と結びつけるべきかを留学中に学べたのは、制作を続けるうえでの大きな糧となりました。日本にいるときは非常にパーソナルな視点から制作をしており、教授からはよく「個人的なことを特権としないように」と指摘されていました。当時はどうしたら個人的なことを外側に開いていけるかがわからず悶々としていましたが、留学を経験して様々な人とたくさんの言葉を交わすうち、個人的なことでも、フェミニズムやクィア映画、アーティスティック・リサーチなど、色々な視点でとらえる方法があることを学びました。結果、「個人的なことは政治的なこと」という言葉を自分のなかに得て、それを作品の核にできるようになったのは本当に大きな一歩だと思っています。

ベルリンでの留学中の様子
ベルリンでの留学中の様子

アーティストたちの「帰れる場所」をつくる

──小林さんはベルリン留学を経て、このたびアートセンター「BUG」で個展「ポリパロール」(6月26日〜7月21日)を開催されます。本展の詳細や出展作品の制作経緯ついても教えてください。

小林 個展のタイトルは私の造語で、「複数の」を意味する接頭辞「ポリ(poly-)」と、言語学上の用語で個人の発話行為を表す「パロール(parole)」をあわせたものです。色々な背景を持った人たちのおしゃべりが重なっている空間をイメージして名づけました。

 会場では、大掛かりなものからこじんまりとしたものまで、様々な装置が「しゃべって」います。例えば、展示作品のひとつ《つぎはぎの言語》では、中国・四川からベルリンへ亡命してきた詩人のインタビューの翻訳作業から、個人と社会の距離を考えさせられます。また、新作の《Appeartus》は、壁面に投影される映像と自転車型の装置からなるインスタレーション。装置を通じて話すと壁面に口元が大きく投影されて、唇が自分のものではないような感覚に陥ります。

展示風景より 提供=BUG
展示風景より 提供=BUG

花形 ユニークなテーマですよね。ただ、もともと小林さんはおしゃべりなタイプではなかったはず。財団の選考面接の際も、プレゼンテーションをセリフ付きの映像をつくって流し、自分で話す分を減らしていましたよね。そんな小林さんがおしゃべりをテーマに作品をつくるようになるとは思いませんでした。

小林 たしかに留学を機に意識が変わりました。ベルリン滞在時はコロナ禍と重なり、しばらく帰国はおろか移動もできなくなってしまった。母語の外に出た状態一般を指すドイツ語「エクソフォニー」を経験し、「よそ者」という存在にも思いを馳せるようになって初めて、自分が声を発することや人のおしゃべりに耳を傾ける大切さを実感しました。思い切って環境を変えなかったら、ここまで自分が変わることもなかったと思います。

展示風景より 提供=BUG
展示風景より 提供=BUG

花形 個人的なものをどう社会と接続するか、という点がよく考えられた展示になっていますね。

小林 ここ数年のベルリンでの体験が、作品の土台になっていることを自分でも実感します。また、このロケーションだからこそ、社会とのつながりを否応にも考えさせられる面があると思います。BUGがあるのは東京駅前で、通りをビジネスパーソンが行き交い、発着する長距離バスを待つ人たちが集っています。今回の出品作が共通して持つ「よそ者」というテーマにも絡んできそうです。街を歩く人が、ふらりと立ち寄ってくれたりしたらいいのですが。

花形 今回の展示のようにこのアートセンターが活かされていくのは本望ですね。銀座でリクルートが運営していたふたつのギャラリーを受け継ぐかたちでBUGを構想したのは、より若い人がチャンスを得てキャリアを築いていける場を新しくつくりたかったからです。リクルートと関わってくれたアーティストたちにとって、居心地のいい場所、帰ってきやすい場所になれたら、と考えています。財団とBUGの活動は、車の両輪のようにして回っていくのが理想です。双方で若い才能に対してどんどん「お節介」を焼いていけたらと思っています。

これから挑戦するアーティストへ

小林 財団の奨学プログラムは、もしもいまの環境で悶々としている人がいたら、ぜひ挑戦してほしいです。そこからきっと道が拓ける感覚が強くありますし、実際に私はそうでした。BUGという場については、できたばかりということもあって、これから自分たちでやり方をイチから探っていける楽しさがありますね。併設のカフェとの展覧会コラボレーション・メニューにスタッフ一同全力で取り組んだりと、楽しくポジティブな雰囲気に満ちていて、居心地が良い。場としてのおもしろさと個展の内容、どちらも味わいに来ていただきたいです。

花形 せっかくの新しい場なので、ここでは失敗を恐れず思い切ったチャレンジをしてほしい。周りから「やりすぎ!」と言われるくらい突き抜けた試みをアーティストにはしていただきたいですね。

 個展に次ぐ近々の活動としては、年に1度開催する「BUG Art Award」の2次審査が6月にあり、ファイナリスト6名を発表させていただきました。また、選ばれたファイナストによる「第2回BUG Art Awardファイナリスト展(バグ展)」を、9月25日から10月20日の会期で開催します。新しい才能との出会いとつながりが生まれるのを私たちは楽しみにしていますし、観に来てくださる方々にも良い出会いを提供できたらと思います。

 財団でも、7月から新たに奨学生募集を始めます。ぜひご注目いただき、たくさんのご応募をいただければ嬉しいかぎりです。

編集部

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